また朝明けに燃えあがる大樹の、ほか二つ | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

Piet Mondrian, "Evening; Red Tree (Avond; De rode boom)", 1908-1910

背の高い葦の河川敷をぬけて
その一

背の高い秋の葦の河川敷をぬけて
(「葦と葦とは
どう違う」のだろう)
曇り空の下 彼女はぐんぐんと
進んでいった
視界を野生の植物がさえぎる
青空ですら 行方を追いきれない
天使の眼すらかいくぐるように
祝福された幼な児の足跡は
そこで途切れた

歩行者が立入禁止の
車線の広い道路で遊ぶように
彼女は この時も無邪気だった
危険を顧みるには幼なすぎた
何事が 彼女を見舞うかを
知る余地もないほどに それから

きっと彼女は 泣き出したのに違いない
頸動脈を鋭い葉にさらし
途切れた 細い線をつたうことさえ
頼りもない 見放された事態に
たったひとりで 直面して--

ぼくは 彼女なのだ
ある時期 ぼくは
ほぼ半年ごとに
誰にも知られずに
消えていた
葦の茂る 河川敷のような
闇雲に迷いこみ
罠と知りながらみすみすと踏みこんだ

ぼくは救出され 保護され
かろうじて命をつないだが
それは偶然 姑息な
運命のかりそめでしかない
子どもたちはいつも
転覆ぎりぎりの
難民船に乗って波間を進む

舵を執る大人たちも また
自分たちのことだけで 手一杯だから
命はいつも いまわのきわの
オノマトペすら届かない
空漠に さらされている
危険を知るはずの
大人たちでさえも
そして

夕暮れの空が欲情のように染まる時
景色は季節まるごと 昏睡する
施術台の上で 石のように麻痺して
点滴をそそがれる 中毒症患者の
乖離した意識のように
終わりのない

ゼノンの矢
ピタゴラス・コンマ
のように


それらはみなはるか遠くへ行く
その二

ゼノンの矢
ピタゴラス・コンマ
のように

憎しみもなし 悔恨もなしに
むしろ まったくの
無関心と不注意をすり抜け
誰も知らない 無常に向かって
消えていくのは ありふれた
ことだ そのように
子どもたちは生まれ 育ち
多感をすごし 飽き果てて
倦怠し いずれ
邪魔者のように年老い
消える そうだろう

宮崎湖處子よ
児玉花外よ
三木露風よ
川路柳虹よ
加藤介春よ
深尾須磨子よ
生田春月よ
熊田精華よ
柳沢健よ
平戸廉吉よ
根岸正吉よ
野村吉哉よ
三野混沌よ
岡田刀水士よ
石川善助よ
牧村浩よ

頌栄されない詩人の群れが
死屍累々する
頌栄されない詩人たちが
死屍累々して
明治大正の遙かなとばりに
誰も読まない もんじとなって
それらもまた葦のように揺れる

彼らはみな 詩を信じすぎた
詩人であることを信じすぎたから
詩のない生涯を歩めなかった
そして今 彼らはその詩よりも

詩人であった ことだけで記憶されるが
もはやその詩は 詩でないものと
区別がつかなくなっている

いや違う それは不当だ
彼らは懸命に詩を書いた しかし
誰もが読まなくなった かくて
彼らの詩は 途絶えた
彼らを関心の外へ追いやって
さらには (批評や戯曲すら読まず)
小説ばかりを消費する
「文学」読者を 蔓延させたのは
詩人たちだけの非を責められない

確かに 彼らの詩はつまらない と
言うのはいともたやすい に違いない
だが詩を読むことは受粉 内なる詩を呼びさまし
予想もつかない未来の 未知の 未開の予兆を
ひそかに育むこと そのために幾多の詩は書かれ
読まれる先から忘れられてきた
それが 詩において顕著であることは
むしろ 個々の詩人と詩を越えて

詩という 私情や述志の掃きだめの
浄化作用と言っていい
人物はいらない
筋はいらない
構成はいらない
思想はいらない
音律はいらない
押韻はいらない
そして私情や述志さえ捨てたなら
言葉も 詩人すら必要ない

もしも彼方に持って行けるものがあるなら
人はまず言葉から脱ぎ捨てる
そのようにして 抜け殻の詩が
残された者へと託される だけだ


また朝焼けに燃えあがる大樹の
その三

欲情のように燃えあがる朝焼けの樹木の

残照 神の鞭 その枝のねじ曲がった

輪郭線にも 老木としての限界によってもたらされた

一定の秩序がある ひとつひとつの窓に灯がともり

起き出した人びとは 生きるためではなく

いつか来る喪のために 朝食をとり

勤めへ 学びへと向かう

彼らの身なりは身分の識別飾

市民が市民であるための扮装

彼らは彼ら以外の誰にも似ていない と同時に

すげ替えられた首は どの肉体にも適合する

髭のように蔦が覆う牧師館 その角を曲がると

駅まで延びる 快活な一本の小径と

整然とした自転車駐輪場と

小学生の通学路の 歩道橋がある

早朝 その立橋も朝焼けに赤く染まる

晴れ空は日陰を濃紺に染める

鳥のさえずりは死者たちの私語のように響く

私語は 生ける者たちの

膨張した 死語の

さざめき

朝は朝だけのかすみを

大気は たっぷりと泡立てている

揺らしている 無窮のゆりかご

あるいは 見せかけの混沌

のように

「女たちは 墓穴に股がって産み落とす

一瞬陽が射して あとは真っ暗」*

誰にも必要とされないことは おそらく

均しく 何の資格も問わずに

誰もが 甘んじられる

新鮮に老いた

唯一無二の

悲しみ 

安ら


*サミュエル・ベケット『マロウンは死ぬ』


(古い書きつけをまとめました。)