アモン・デュール(1) サイケデリック・アンダーグラウンド (Metronome, 1969) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

アモン・デュール - サイケデリック・アンダーグラウンド (Metronome, 1969)
アモン・デュール Amon Düül - サイケデリック・アンダーグラウンド Psychedelic Underground (Metronome, 1969) :  

Released by Metronome Records MLP 15.332, 1969
Reissued by Brain Records 0040.149 as "Minnelied", 1978
Produced by Meisel-Produktion
(Side A)
A1. シュトメールが見たサンドーサの夢 Ein Wunderhubsches Madchen Traumt Von Sandosa - 17:03
A2. カスカードの恋歌 Kaskados Minnelied - 2:54
A3. ママ・デュール率いるキャベツ頭楽団の演奏 Mama Duul Und Ihre Sauerkraut Spielt Auf - 2:54
(Side B)
B1. サンドーサの庭で Im Garten Sandosa - 7:48
B2. 朝露に濡れるサンドーサの庭 Der Garten Sandosa Im Morgentau - 8:06
B3. ビタリングの変容 Bitterlings Verwandlung - 2:30
Amon Düül ]
Rayner - elektrische 12 string, gesang
Ulrich - elektrischer bass, gestrichener bas 
Helge - konga, amber, gesang
Krischke - trommel, piano
Eleonora Romana - schuttelrohr, trommel, gesang
Angelika - trommel, gesang
Uschi - maracus
(Original Metronome "Psychedelic Underground" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover & Side A Label)
 中世ラテン語とソマリ語で「飛翔する悪魔 (Amon Düül)」というバンド名、そのものずばりの『Psychedelic Underground』というタイトル、強烈なジャケットで聴く前からリスナーをおののかせる本作は、本当にそのイメージ通りのサウンドが聴けるアルバムです。本作の系統の実験的脱構築ロックはフランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションのデビュー作『フリーク・アウト!(Freak Out !)』(1966年8月)、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのデビュー作でアンディ・ウォホールがプロデュース名義(ウォホールは実際はパトロンで、トム・ウィルソンがプロデュース)の『ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ(The Velvet Underground & Nico)』(1967年3月)を嚆矢とし、1967年4月にはザ・ドアーズ、8月にはピンク・フロイドのデビュー作が発表され、グラミー賞年間最優秀アルバムはザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)』(6月発売)、全米年間アルバム・チャートNo.1はジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスのデビュー作『アー・ユー・エクスペリエンスド?(Are You Experienced ?)』(7月発売)でした。『サージェント・ペパーズ』の年の上に同時代的影響力ではジェファーソン・エアプレインの第二作『シュールレアリスティック・ピロー(Surrealistic Pillow)』(1967年2月発売)がサイケデリック・ロックの典型となり、ザ・モンキーズの人気もこの年がピークでしたからジミの全米年間アルバム・チャートNo.1は画期的な出来事だったのがわかります。また、ザッパとヴェルヴェットのプロデューサーを勤めたトム・ウィルソン(1931-1978)はハーヴァード大学法律科出身のインテリ黒人で、'50年代中期にはインディー・レーベルのトランジションを主宰してサン・ラ、セシル・テイラー、ドナルド・バードらのデビュー作を制作し、'60年代にフリーでポップス畑に移るとボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、アメリカ移住後のジ・アニマルズのプロデュースでヒット実績がありました。「サウンド・オブ・サイレンス」も「ライク・ア・ローリング・ストーン」も中期アニマルズの「恋の炎」「孤独の叫び」「サンフランシスコ・ナイト」もウィルソンのプロデュースによって大ヒットした曲です。

 アメリカとイギリスでは市場の規模によって制作ペースが倍ほど違います。エアプレインもドアーズもジミも1967年にはもう次作を発表していますし、当時まったく売れなかったヴェルヴェットも1968年1月には第二作『ホワイト・ライト・ホワイト・ヒート(White Light White Heat)』を発表、ピンク・フロイドの第二作『神秘(A Saucerful Of Secrets)』は1968年6月発表で、これに1968年1月発表のドクター・ジョン『グリ・グリ(Gris-Gris)』、1969年10月発表のフランク・ザッパの第六作『ホット・ラッツ(Hot Rats)』と、1970年1月発表のキャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンド『トラウト・マスク・レプリカ(Trout Mask Replica)』でロックのアヴァンギャルドはほぼ出揃います。もっとも今回の話はそこまでは進みません。
Le Stelle Di Mario Schifano - Dedicato A... (BDS,1967) :  

Prodotto da Mario Schifano e Ettore Rosboch
(Lato A) A1. Le Ultime Parole di Brandimante, Dall'Orlando Furioso, Ospite Peter Hartman e Fine (Da Ascoltarsi Con TV Accesa,Senza Volume)
(Lato B) B1. Molto Alto / B2. Susan Song / B3. E Dopo / B4. Intervallo / B5. Molto Iontano(A Colori)
[ Le Stelle Di Mario Schifano ]
Urbano Orlandi - chitarra, Nello Marini - organo e pianoforte, Giandomenico Crescentini - basso, Sergio Cerra - batteria

 まずはイタリアの謎のアルバム『レ・ステーレ・ディ・マリオ・スキファノ(マリオ・スキファノの星)』という幻のアルバムがあり、1967年11月に550枚限定プレスされてほとんどが非売品として無料配布されたそうです。1992年にCD化されるまで実物を聴いた人がマニアにもいない謎の作品でした。マリオ・スキファノ(1934-1998)はイタリアでは高名な画家で、アンディ・ウォホールのヴェルヴェット・アンダーグラウンドの向こうを張ってロック・バンドに思い切り実験的なアルバムを作らせたのが本作の実態でした。日本でも一柳慧(現代音楽家、オノ・ヨーコ前夫)がロック・バンドのフラワーズを起用した『横尾忠則、オペラを唄う』というアルバムを制作しましたが、そうした一種の企画アルバムです。実際にスキファノのメンバーたちが具体的に参考にしたのは『フリーク・アウト!』と『ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』だったのがはっきりわかるサウンドで、ザッパとヴェルヴェットはアメリカでもアンダーグラウンドな存在でしたから、この影響例は世界的に見ても早いものです。内容的にはヴェルヴェットの第二作『ホワイト・ライト~』を先取りしているようなところもあり、ラテン的な明晰さが好ましい形で顕れている佳作です。

 もっとも、似たようなことはイタリアに少し先立ってイギリスでも行われていました。同時期にはインクレディブル・ストリング・バンドのだらだらしたアシッド・フォーク、ザ・ディヴィアンツの焼糞なガレージ・ロックも即興性の高いものでしたし、ビートルズの事務所関係のアート・チームが組んだお遊びバンド、ザ・フールのアルバムも有名ですが、こちらはのちにモット・ザ・フープルやクラッシュの名作をプロデュースするガイ・スティーヴンスによる冗談でした。
Hapshash & the Coloured Coat - Featuring the Human Host and the Heavy Metal Kids (Mint, 1967)  

Released by Liberty Records Mint MLL 40001 E, UK, early 1967
(Side A) A1. H-O-P-P-Why / A2. A Mind Blown is a Mind Shown / A3. The New Messiah Coming 1985 / A4. Aoum
(Side B) B1. Empires Of The Sun
[ Hapshash & the Coloured Coat ]
Michael English - instruments, voices, Nigel Waymouth - instruments, voices, Guy Stevens - producer, istruments, The Human Host (Pre-Spooky Tooth), Heavy Metal Kids (Micky Finn), 

 イングリッシュとウェイマウスは美術学生で、アルバム・ジャケットはいかにもサイケデリック時代らしいなかなか良いデザインですし、のちにスプーキー・トゥースになるメンバーとT-レックス参加前のミッキー・フィンまで加わっていますが、内容は『フリーク・アウト!』C面の悪意に満ちたワン・コード・ブギー「Trouble Everyday」「Help, I'm A Rock」とD面全面のサウンド・コラージュ「The Return of The Son of Monster Magnet」をヴェルヴェット的な反復ビートとデビュー作のピンク・フロイド的なサイケデリック風味でお手軽に再生産しただけの代物で、ハップサーシュ自身には何の革新性もありませんでしたから、ヴェルヴェットの『ホワイト・ライト~』とフロイドの『神秘』のリリースによってハップサーシュはたちまち歴史の闇に笑殺されました。イギリス本国でもハップサーシュは冗談の産物として名を残しているだけで、同様のアイランド・レコーズの企画アルバム『White Noise』1969へのミッシング・リンクに位置づけられている程度です。むしろ当時500枚限定の自主制作盤だったため'80年代まで存在すら知られなかったアメリカ西海外のヒッピー・バンド『ザ・ビート・オブ・ジ・アース (The Beat of the Earth)』がAB面全1曲即興演奏の実験ではハップサーシュやマリオ・スキファノ以上の成果をあげていました。 もっとも自主制作の限定盤だったマリオ・スキファノやビート・オブ・ジ・アースの存在が知られるようになったのは1980年代末なので、それまではハップサーシュがもっぱらこのスタイルの先駆者と目されていました。
The Beat of The Earth - The Beat of The Earth (Radish, 1967)


 ですがハップサーシュのアルバムを直接の雛型にして西ドイツのヒッピー集団が1968年末に制作したアルバム『サイケデリック・アンダーグラウンド』は、正真正銘恐ろしい作品になりました。このヒッピー集団はアルバム制作に当たってアモン・デュールと名乗りましたが、アモン・デュールはバンドではなくアルバム制作プロジェクト、ヒッピー・コミューンの名称でした。アルバムの企画段階ではクリス・カーレルやペーター・レオポルドら演奏技量のあるミュージシャンがいましたが、制作段階でカーレルやレオポルドは本格的にプロのバンドを目指したアモン・デュールIIに分裂し、オリジナル・アモン・デュールは純粋な素人集団になります。オリジナル・アルバムはメンバー名だけで担当楽器の記載すらなく、ほとんどアコースティック・ギターとパーカッションだけで女子供まで含む全員が好き勝手に叫んだり呻いたりしているだけのラリったヒッピーの宴会のドキュメント・アルバムのようですが、実はアルバム6枚分に相当する膨大な断片的セッションからゲルマン的な執拗さで巧妙に編集されたものなのがのちの発掘音源から判明することになりました。A1の9分半あたりからはビートルズ「I Showld Have Known Better」を歌っているのが聴きとれ、B2はアモン・デュールIIのデビュー作『神の鞭(Phallus Dei)』収録曲「Dem Guten, Schonen, Wahren」のリフを使っているのが確認できます。さらにレコードの針飛びや意図的にプレスミスに見せかけた編集、演奏断片をつなぐエフェクト処理や複数トラックを同時進行させる凝ったミキシング、ステレオの位相を使ってオーディオの再生エラーなどに見せかけたサウンド・ギミックもあります。このアルバムは阿鼻叫喚とかノイズ絵巻とかLP1枚続く金太郎飴とかさまざまな定評があり、それも間違いではない内容ですが、本作の代わりになるアルバムもないほど極めつけの濃厚なトリップ・ミュージック作品でもあります。1979年には別ジャケット、別題(独Brain盤"Minnelied"、日本発売1982年・邦題『恋歌』)で日本盤も出ていたので、国際的成功を収めたアモン・デュールII関連から本作を聴いたリスナーも案外多いと思われます。宇宙空間に聖像と裸女と勃起した亀頭をメタルカラーに照からせたペニスが絡み合うオリジナルMetronome盤のジャケット(銀色の特色インクが使われています)は強烈なアルバム・タイトルとあいまって素晴らしいものですが、マヤコフスキーの『パンツを履いた雲』を思わせる再発売のBrain盤『恋歌』のジャケットも秀逸です。

 まるで当時の西ドイツのヴェルナー・シュレーターやR・W・ファスビンダーの陰鬱なヒッピー映画を思わせる地獄のようなアルバムの本作ですが、本作こそは同じ1969年発売のアモン・デュールII『神の鞭 (Phallus Dei)』、カンの『モンスター・ムーヴィー (Monster Movie)』と並ぶクラウトロック(西ドイツの実験派ロック)の原点であり、全体にあふれる天衣無縫で凶暴な開放感と編集の妙は他には代替がきかないもので、ハップサーシュやマリオ・スキファノ、ホワイト・ノイズらとは段違いのセンス、唯一拮抗するのは幻のビート・オブ・ジ・アースだけの濃厚なアシッド感を見せつけてくれます。本来跳ねるべきビートが演奏が稚拙すぎて跳ねないためまったくそうは聴こえませんが、本作の基調をなすリズム・リフはよく聴くとボ・ディドリー・ビートです。ヘヴィな精神性をトライバルなコーラスとノイズ、パーカッションのモンタージュ作品に仕上げた出来もこれに匹敵するものは'80年代初頭のSPKに代表されるインダストリアル・ノイズ勢まで現れなかったほどで、アモン・デュールに較べればマグマのアルバムなどは手法にのみ偏した擬似アカデミズムの折衷的産物に聴こえます。クラウトロックの中でもアモン・デュールはクールで醒めたプロ集団だったカンと正反対の方向性を志向した集団でしたが、本作がいければオリジナル・アモン・デュールの全5作はいずれもトリップ・ミュージック~フリーフォーム・ロックの宝庫として聴き飽きのこない、ディープな音楽的酩酊感を与えてくれるものです。

(旧記事を手直しし、再掲載しました。)