水曜の朝、午前3時(床上浸水日記) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。


 今朝も曇りか、と二度寝して起きるとそのまま小雨になっており、午後三時に載せるブログ(つまりこれ)の下書きを進め、昼ごろやや小雨が止んだ間にそそくさと食パンとおにぎり、ワインを買ってきました。帰宅すると部屋はしんと静まり返り、避難生活も今夜、明日の夜とあと二泊で、家財道具搬入の金曜日が待ち遠しいのかわずらわしいのか、ちょっと微妙な気分です。

 以上日記ブログ部分は終わりで、一昨日・昨日と月曜日の歌、火曜日の歌と載せてきましたから、今日は水曜日の歌に行きますが、まっ先に思い浮かんだのはインストルメンタル・ジャズですがチャールズ・ミンガスの「水曜の夜の祈りの集い (Wednesday Night Prayer Meeting)」(アルバム『ブルース&ルーツ (Blues & Roots)』Atlantic, 1960)、サイモン&ガーファンクルの「水曜の朝、午前3時 (Wednesday Morning, 3 AM)」(同名アルバム、Columbia, 1964)、ビートルズの「シーズ・リーヴィング・ホーム (She's Leaving Home)」(アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)』Parlophone, 1967)の3曲でした。ミンガス(カトリックでもT・S・エリオットの長篇詩「聖灰水曜日 (Ash Wednesday)」1930がありますが、カトリックでもプロテスタントでも水曜の夜とはキリストの復活祭前夜に当たり、水曜の夜とは大衆プロテスタント教会で祈祷会が行われる曜日です)とS&Gの曲はタイトルからしてずばりですが、ビートルズの曲は思春期の一人っ子の女学生が親に黙って恋人と駆け落ちする内容の歌詞で、「Wednesday morning at five o'clock as the day begins...」と少女の目覚めから始まるのです。

 この3曲を並べるといちばんロックしているのがチャールズ・ミンガス(1959年2月録音)なのは皮肉な感じがしますが、ミンガスこそはマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンと並んでクリームら脱ビート・グループ期のブリティッシュ・ロック(ブルース・ロック~サイケデリック・ロック~ハード・ロック、プログレッシヴ・ロック)のロック・ミュージシャンにもっとも大きな影響を与えた先進的ジャズマンでした。この6/8のブルース曲も、キング・クリムゾン1969年のデビュー・アルバム冒頭の「21st Century Schizoid Man」の間奏部分そのものです。プロデューサーはアトランティック社長ネスヒ・アーティガン、エンジニアはのちの大プロデューサー、トム・ダウドですから、ロックしていて当たり前という気がします。10年後にミンガスは「ロックなんて全部ジャズのパクりじゃないか!」と怒りを顕わにしますが、フランスのアンティーブ・ジャズ祭のテッド・カーソン(トランペット)、ブッカー・アーヴィン(テナーサックス)、エリック・ドルフィー(アルトサックス、ソロもこの順)のピアノレス・クインテットのライヴ映像は圧巻です。2トロンボーン、2アルトサックス、テナーサックス、バリトンサックス+ピアノ、ベース、ドラムスによる9人編成のスタジオ版もいいですが、ミンガスのベース、ダニー・リッチモンドのドラムスが神経接続されたような5人編成のライヴ・ヴァージョンはこの時代のジャズならではの底知れないパワーを感じさせます。

 サイモン&ガーファンクルはハーヴァード大学法学部卒のフリーのインテリ黒人プロデューサー(かつ'50年代ジャズ、'60年代年代フォーク、ロック)のキーパーソン、トム・ウィルソン(1931-1978)が手がけ、トム・ウィルソンは'50年代にはサン・ラやセシル・テイラーをデビューさせ、'60年代にはボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクルをアコースティック・フォークからバンド編成のフォーク・ロックに転向するまで手がけ、フランク・ザッパ、アメリカに本拠地を移した後期アニマルズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドまで手がけた伝説的プロデューサーですが、フォーク・ロック(伝承歌のロック化)の第一弾をまだウィルソンが手がける以前のアニマルズの1964年のNo.1ヒット「朝日であたる家 (The House of Rising Sun)」(同曲はアニマルズに先立ってボブ・ディランのデビュー作にも採り上げられていました)ですから、一見意外ながら筋の通った、常に先進的なアーティストを積極的に手がけていました。ミンガスがジャズ界にあってそうだったように、ウィルソンはポップスがサブカルチャーからカウンター・カルチャー(この二つは混同されがちですが、まるで違います)への転換点に向かうまさにその渦中で決定的な役割を果たしたアーティストたちを後押ししました。ハイティーンの頃から「トムとジェリー (Tom & Jerry)」名義でインディー・レーベルからメジャーのコロンビアに契約するに当たって本名のサイモン&ガーファンクルを名乗るのは「ユダヤ系の名字丸出しで嫌だ」と抵抗する二人に、ウィルソンが「それが何だ。俺は黒人だ。今はそういう(自分のアイデンティティを隠さない)時代だ!」と啖呵を切って押しきったのというエピソードは有名です。

 ウィルソンのプロデュースではありませんが、ザ・バーズのデビュー・シングルでボブ・ディランの曲をロック・カヴァーした「ミスター・タンブリング・マン (Mr. Tambourine Man)」(Columbia, 1965.4)の全米No.1ヒットに続き、ウィルソンのプロデュースしたボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン (Like A Rolling Stone)」(Columbia, 1965.7)は全米1位(Cash Box、Billboardでは最高位2位)の大ヒット曲になりました。サイモン&のデビュー・アルバムは簡素なフォーク・アルバムでしたが、ウィルソンは同作収録曲「サウンド・オブ・サイレンス (The Sound of Silence)」(Single Version/Columbia, 1965.9)にロック・バンドのオーヴァーダビングを行い、1966年1月のNo.1ヒットに送りこみます。アメリカ産のフォーク・ロックがブレイクしたのはザ・バーズのデビュー・シングルでしたが、ボブ・ディランは第5作でウィルソンのプロデュースによるアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム (Bringing It All Back Home)』(Columbia, 1965.3、「ミスター・タンブリング・マン」収録)ですでにウィルソンのプロデュースでロック化を進め、バックにロック・バンドを起用しており、ディラン、ザ・バーズ、サイモン&ガーファンクルに先導されて1965年~1966年のアメリカン・ポップスはフォーク・ロックが席巻します。これは1964年のビートルズのブレイクに端を発したブリティッシュ・インヴェンジョンへのアメリカからの回答でもあり、そこにトム・ウィルソンという尖鋭ジャズ畑出身の黒人プロデューサーがキーパーソンとして存在したのは(ウィルソンはコロンビアからMGMに移り、より先鋭的なアンダーグラウンド・ロック・シーンのフランク・ザッパ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを手がけます)は特記されてしかるべきでしょう。ウィルソンの手がけたディラン、S&G、エリック・バードン&ジ・アニマルズ、ザッパ、ヴェルヴェットらの日本盤CD解説にはほとんどウィルソンへの言及がないのです。

 サイモン&ガーファンクルはコロンビアがフォーク・ブームに乗ってディランの二匹目のドジョウ(ただしもっと穏やかでポップな)を狙ってデビューさせたデュオですが、耳学問と閃き一発の天才肌のディランと違い本格的にアメリカ・イギリスの伝承歌を研究していた学究肌でもありました。この「水曜の朝、午前3時」も本格的なバラード形式によるもので、バラードというと日本ではスローでメロディアスな楽曲と俗化したイメージがありますが、「朝日のあたる家」が「There's The House in New Orleans, the house called "Rising Sun"...」と始まるように、本来「物語歌」を指すものです。初期のディランもオリジナルのバラード=物語歌が大半ですが、水曜日の朝午前3時にまだ眠っている恋人とのベッドで目覚めてドラッグストアで泥棒してきた犯罪を悔い、恋人との別れの予感を感じる主人公を一人称で歌ったこの曲も典型的な物語歌であり、恋人の寝姿の些細な観察が哀切さを高めています。ボブ・ディランやアメリカのフォーク・ロックからの影響はビートルズではジョン・レノンがいちばん大きかったと言われますし、実際にジョンがディラン風のヴォーカル・スタイルを採りいれたビートルズのフォーク・ロック曲(「悲しみをぶっとばせ (You've Got Hide Love Away)」)もあるのですが、フォーク・ロックの本質たる物語歌という面では(ジョンにも「ノーウェジアン・ウッド (Norwegian Wood)」などがありますが)、「エリナー・リグビー (Eleanor Rigby)」や「フォー・ノー・ワン (For No One)」などポール・マッカートニーの曲の方により強く反映されているのではないかと思えます。「フォー・ノー・ワン」などそのまま「シーズ・リーヴィング・ホーム」につながっていく楽曲で、「シーズ~」はビートルズ解散後のポールのソロ時代の「アナザー・デイ (Another Day)」に受け継がれる「She」ソングです。

 それにしても「シーズ・リーヴィング・ホーム」は、『サージェント・ペパーズ~』以降ビートルズはライヴを行わずスタジオ録音に専念するバンドになりますからライヴ演奏を気にしない、弦楽アレンジと他のメンバー(ジョン、ジョージ)はコーラスのみの参加という大胆なバラード(物語歌)で、「She's leaving home after living alone for so many years. (彼女は長い間孤独に暮らしてきた家から出て行く)」「Something inside that was always denied for so many years. (心の中の何かがずっと否定されてきたから)」「She's leaving home, bye, bye. (彼女は家を出て行く、さようなら)」と、極上のメロディーとヴァース、ヴォーカル・コーラスにポールの冴えが光り輝いています。「ありふれた言葉をメロディーに乗せただけで至上の詩になる。まるでシェイクスピアだ」とスティングもポールの作詞を絶讃していました。先に述べたようにビートルズはこの曲をライヴ演奏することはありませんでしたが、さすが世界一の人気グループだけあって日本語訳カヴァーがYouTubeにアップされていましたから添えました。この家出・駆け落ち少女の父親・母親は優しく、この上ないほど一人娘を大事に育ててきた両親なのですが、それでも(それゆえに)少女が満たされない心を抱えてきたというのがポール(この時まだ25歳!)という天才ソングライターの才能を示してあまりあります。しかし荒ぶる原初的なロックの魂は繊細なサイモン&ガーファンクルや天才ポール・マッカートニーよりもチャールズ・ミンガスの熱狂的なブルース・ゴスペル・ジャズにあるので、水曜日という微妙な曜日を設定にしてもこれだけ違うんだな、と感嘆するばかりです。
Charles Mingus - Wednesday Night Prayer Meeting (Atlantic, 1960) :  

Charles Mingus - Wednesday Night Prayer Meeting (Live at Antibes, 1960/Atlantic, 1976) 

Simon & Garfunkel - Wednesday Morning, 3 AM (Columbia, 1964) :  

Simon & Garfunkel - Wednesday Morning, 3 AM (The Concert in Central Park, 1981/Geffin, 1982) 

The Beatles - She's Leaving Home (Parlophone, 1967) :