ヴェルナー・シュレーターのLGBT映画 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ヴェルナー・シュレーター(1945-2010)

 '60年代末にいち早く西ドイツのインディー映画界を牽引したLGBT監督、ヴェルナー・シュレーター(Werner Schroeter, 1945年4月7日―2010年4月12日)は45作の監督作のうち、日本での劇場公開作は『愚か者の日』(Tag der Idioten, 1981)、『薔薇の王国』(Der Rosenkönig, 1986)、『マリーナ』(Malina, 1990)、『愛の破片(原題:愛の廃棄物)』(Abfallprodukte der Liebe, 1996)しかないので、知名度も低ければ、作品をご覧になる機会があった方も全貌をつかむのが容易でない重要な映画監督です。同年生まれのヴィム・ヴェンダース、ライナー・ウェルナー・ファスビンダーもシュレーターをジャーマン・ニュー・シネマをリードした最重要監督と生涯尊敬しつづけたので、ファスビンダーにいたっては「ヴェルナー・シュレーターは、私ならさしずめ文学におけるノヴァーリスとロートレアモン、ルイ=フェルディナン・セリーヌの間あたりと言うべき位置を後世の映画史で占めるとするだろう」とまで激賞しています。ノヴァーリス、ロートレアモン、セリーヌ!さらにこれからご紹介する作品歴と作風を、合間合間に挟んだスチール写真と併せてご覧になると、さぞ難解で陰鬱、頽廃的な作品を作った映画監督だろうと思われるかもしれませんが(また、メジャー映画では意図的にそうした作品も作った監督ですが)、今回ご紹介する初期作品はむしろ若い映画監督がやりたいことを存分にやりきった、題材こそ重くても鮮烈な閃きを持ち、観終えたあとに驚異的な完成度すら感じさせる、爽快ですらある映画です。シュレーター、ファスビンダー、ヴェンダースはいずれも西ドイツのヒッピー世代ですが、西ドイツのヒッピーがどれほど飛んでいたかはクラウトロックの活況にも現れたので、見かけこそドイツ的な重さや頽廃感はあれ、映画制作に注ぎこんだ創造力の爆発は目覚ましいものでした。シュレーターは日本公開作がたまたま重いテーマを重いまま描いてしまった作品ばかりだったのが不運だったといえ(ドキュメンタリー作品『愛の破片』除く)、すでにその代表作は古典的な地位を映画史に占めています。今回ご紹介する2作がそれぞれ23歳、26歳の時に作られた、というだけでも驚異的です。


 シュレーターについては日本語版ウィキペディア(英語版ウィキペディアからの抄訳)ともども各国語版ウィキペディアに詳細な項目、代表作の項目がありますが、ごく短く要約すると、ドイツのテューリンゲン州ゲオルゲンタールで生まれたシュレーターは5歳の時から映画監督を目指すし、13歳の時にラジオで聴いたマリア・カラスの歌声に魅了されて以降ゲイとしての自覚に目覚めました。20代の頃から8mmや16mmで実験的な短編映画を撮り始め、その後ミュンヘン映画大学に入学するも数週間で退学しています。1969年に本格的な長編第一作『アイカ・カタパ』(Eika Katappa, 1969)で注目を集め、同作はマンハイム・ハイデルベルク国際映画祭でジョセフ・フォン・スタンバーグ賞を受賞し、演劇畑で活動していたファスビンダー、インディー映画シーンで活動していたヴェンダースらに先立って一躍西ドイツのノイエ・デイッシュ・フィルム(ニュー・ジャーマン・シネマ)のリーダー的存在となりました。'70年代からはオペラや演劇の演出も行い、同時に数多くの映画も発表してニュー・ジャーマン・シネマ異色の天才として地位を築き、1978年の『ナポリ王国』(Regno di Napoli)はシカゴ国際映画祭シルバー・ヒューゴ賞、タオルミナ国際映画祭グランプリ、ドイツ映画賞監督賞など多数の賞を受賞、1980年には『パレルモあるいはヴォルフスブルク』(Palermo oder Wolfsburg)を発表し第30回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞、1981年にはキャロル・ブーケ主演の『愚か者の日』が1982年の第35回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、ドイツ映画賞では2度目の監督賞を受賞します。 1991年にはインゲボルク・バッハマンの小説をイザベル・ユペール主演で映画化した『マリーナ』が第44回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、ドイツ映画賞では作品賞と3度目の監督賞を受賞し、1996年にはオペラ歌手たちとその伴侶や家族たちの姿を映したドキュメンタリー『愛の破片』を発表してロカルノ国際映画祭で上映され名誉豹賞を受賞、同作はシュレーターが1997年山形国際ドキュメンタリー映画祭の審査員として来日した記念で上映されたのち、翌1998年6月に劇場公開されました。なお、同作はLGBTの歌手がフィーチャーされていたこともあり、1998年第7回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でも特別上映されています。2008年には『犬の夜』(Nuit de chien)が第65回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、審査員長のヴェンダースよりこれまでの功績も併せて同映画祭で生涯功労賞を贈られました。2010年には第60回ベルリン国際映画祭で特別テディ賞を受賞し、2010年4月12日、ヘッセン州カッセル郡にて65歳で死去しています。


 シュレーター作品の本格的紹介は、ようやく1987年のアテネ・フランセ文化センターによる「ヴェルナー・シュレーター映画祭」で実現し、『アイカ・カタパ』、『マリア・マリブランの死』(Der Tod der Maria Malibran, 1972)、『ナポリ王国』、『パレルモあるいはヴォルフスブルク』、大野一雄や山海塾が出演したナンシー演劇祭のドキュメンタリー『舞台リハーサル』(Die Generalprobe, 1980)、『愚か者の日』、ヴァヴァリア出身の異色作家オスカー・パニッツァ(1853-1921)の同名戯曲(1895年)を原作とした『愛の会議』(Liebeskonzil, 1982)、『笑うスター』(Der lachende Stern, 1983)が特集上映されました。筆者が初めてシュレーターの映画を観たのもこの時です(アテネ・フランセではシュレーター没後の2014年にも特集上映が行われました)。また、ヴェルナー・ヘルツォークの『フィッツカラルド』(Fitzcarraldo, 1982)のオペラ上演場面の演出、小澤征爾指揮の『トスカ』の演出も行なっています。シュレーターの映画の作風は「演劇やオペラの身振りを取り入れた表現主義的なパフォーマンスを音楽やテクストとモンタージュし、恍惚的かつ冷徹な映画世界を構築する」 (渋谷哲也・ドイツ文学、ドイツ映画史家)とされています。 初期の作品ではダニエル・シュミットやローザ・フォン・プラウンハイム(やはりゲイであったプラウンハイムとの出会いで、シュレーターはゲイであることをカミングアウトするようになりました)らと共同で映画製作を行ったり、ファスビンダーの映画へ出演もしています。ファスビンダーの『聖なるパン助に注意』(Warnung vor einer heiligen Nutte, 1971)はシュレーターの出演とともに『アイカ・カタパ』の1シーンを再現していますが、そのシーンの演出はシュレーター本人に任されたといいます。ファスビンダーはドイツ映画のベスト10アンケートで、「最良の映画」の1本に『ナポリ王国』、「最も美しい映画」の1本に『アイカ・カタパ』、「最も期待はずれだった作品」の1本に『パレルモあるいはヴォルフスブルク』を挙げています(『ナポリ王国』については『懸垂、倒立、宙返り--着地成功』という文章も発表)し、またヴェンダースも『創られたイメージを持つ人々についてのヴェルナー・シュレーターの素敵な映画』(アテネ・フランセ「ヴェルナー・シュレーター映画祭」パンフレットに翻訳)という文章を発表しています。 さらにフランスの思想家ミシェル・フーコーがシュレーター初期の代表作『マリア・マリブランの死』に関する文章を発表したことから実現したシュレーターとフーコーの対談の翻訳は『ミシェル・フーコー思考集成IX 1982-83 自己/統治性/快楽』(筑摩書房)で読むことができます。




 日本の商業上映で初めて公開されたシュレーターの映画は、渋谷のユーロスペースで単館上映(レイトショーのみ)で公開された『薔薇の王国』でしたが、『アイカ・カタパ』『マリア・マリブランの死』以来のシュレーター映画のヒロイン、マグダレーナ・モンテヅマ(1942-1984)の遺作となった同作はシュレーターのグロテスクな悪趣味が前面に出た作品で、「ヴェルナー・シュレーター映画祭」でシュレーターの映画に魅了された観客には失望を感じさせるものでした。以降もシュレーターの作品は比較的ポピュラリティーのあるメジャー映画『愚か者の日』『マリーナ』、優れたドキュメンタリー映画『愛の破片』と散発的に日本公開されましたが、シュレーター生涯の傑作はシュレーター自身が監督・脚本のみならず撮影・編集をてがけた2時間24分にもおよぶ長編第一作『アイカ・カタパ』、1時間44分の長編第二作『マリア・マリブランの死』の16mmフィルム作品2作でしょう。『アイカ・カタパ』は時空を越えたLGBTのヒッピー・コミュニティ内の愛と死を題材とし、『マリア・マリブランの死』は実在した伝説的なスペイン生まれのフランス人歌手、マリア・マリブラン(Maria Malibran, 1808-1836)が落馬して亡くなった日の前後を描いた作品ですが、どちらも通常の商業映画とはかけ離れた、「(LGBTコミュニティの)愛と死と追悼」という枠組をプロットとするだけで、時系列的なストーリーもなければサウンドトラックは既成クラシック、オペラ、ポップスが流され、台詞はほとんどありません。男女の素人俳優たちによるシーンごとの無言劇が黙々と儀式のようにコラージュされ、例えば『アイカ・カタパ』では手をつないで歩く男同士の恋人たちの情景のあとに、唐突に路上で倒れている恋人にすがって泣き崩れている恋人のシーンが連続する、といった具合です。『マリア・マリブランの死』では顔面血まみれで死んでいるヒロインの目からナイフが引き抜かれるショッキングな映像から始まりますが、ヒロインの死因は落馬ですから冒頭の映像は映画内ですら現実ではなく、痛切な死の暗喩でしかありません。また男装の女性、女装の男性が性別不明の役割で代わるがわる出てくるので登場人物たちの性別も一定しません。つまりキャラクターの同一性すらないのです。これは通常の映画作法からすれば恐るべき逸脱です。シュレーターの映画にあってはすべてのシーンが出来事の暗喩なのか出来事そのものなのか判然とせず、ひたすら痛切なエモーションだけがフラッシュバックのように膨大で断片的なシーンをつないでいるのです。もちろんシュレーターはヌーヴェル・ヴァーグの映画文法破壊的な映画やアンディ・ウォホールの固定ショット4時間といった実験映画の成果を踏まえているでしょう。またアメリカのインディー監督、ケネス・アンガーの短編ゲイ映画も当然観ていたでしょう。しかしシュレーターの映画は純粋なエモーションの追求の結果、枠組だけのプロットとストーリー性皆無なモンタージュという映画の臨界点に達したもので(アンガーもそうですが、アンガーがそれをできたのは短編映画だからこそでした)、さすがにシュレーター自身にもこれを持続することは困難だったか、1973年の『ウィロー・スプリングス』(Willow Springs)、1975年の『黒い天使』(Der schwarze Engel)、1976年の『黄金の群れ』(Goldflocken)とプロット、ストーリーを備えた映画に向かっていき、『ナポリ王国』でドラマツルギーを備えた映画として高い完成度に達します。初期シュレーターの作風をポップ・アート的に継承したのが『ヒトラー、あるいはドイツ映画』(Hitler, ein Film aus Deutschland, 1977)のハンス=ユルゲン・ジーバーベルクで、温厚なヴェンダースはともかくファスビンダーはジーバーベルクをシュレーター映画の模倣者と口を極めて痛罵しました。しかし初期シュレーター映画の作風はジーバーベルクやダニエル・シュミット(シュミットはファスビンダーやヴェンダースの盟友だったので模倣呼ばわりされずに済みました)には受け継がれても、シュレーター自身は通常の劇映画に接近した作品の中に初期作品の発想を部分的手法として採りいれていったので、『アイカ・カタパ』『マリア・マリブランの死』はシュレーター本人にも二度と作れなかった(それを試みたマグダレーナ・モンテヅマの遺作主演作『薔薇の王国』は大失敗します)孤高の作品になりました。『アイカ・カタパ』『マリア・マリブランの死』はドイツでシュレーター作品の一斉DVD化の際に廉価版2枚組DVDとして発売され、現在でも入手は容易なので、YouTubeリンクで試聴してこれは!と思われた方はぜひ、より画質・音質の良いDVDでご覧ください。このシュレーターの初期傑作2本ほどくり返し観るに耐える作品はそうそうありません。
◎アイカ・カタパ Eika Katappa (Werner Schroeter Production, 1969) :  

◎マリア・マリブランの死 Der Tod der Maria Malibran (ZDF, 1972) :