アルバート・アイラー・トリオ - スピリチュアル・ユニティー (ESP, 1965) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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アルバート・アイラー・トリオ - スピリチュアル・ユニティー (ESP, 1965)
アルバート・アイラー・トリオ Albert Ayler Trio - スピリチュアル・ユニティー Spiritual Unity (ESP, 1965) :  

Originally Released by ESP-Disk ESP 0002 (Promotional Press), 1965
All compositions by Albert Ayler
(Side A)
A1. Ghosts: First variation - 5:12
A2. The Wizard - 7:20
(Side B)
B1. Spirits - 6:46
B2. Ghosts: Second variation - 10:01
[ Albert Ayler Trio ]
Albert Ayler - tenor saxophone (listed as "saxophone" in liner notes)
Gary Peacock - bass
Sunny Murray - percussion
(Original ESP-Disk "Spritual Unity" LP Liner Cover & Side A Label)

 本作ほどに一見実験的に見えて、リスナーのDNAレベルにまで訴えかけるほど素朴かつ純粋で、チャーミングなジャズのアルバムはそうそうないでしょう。テナーサックス、ベース、ドラムスの最小編成の一発録りで制作されたこのアルバムをリリースしたESPディスクは、ニューヨークで当時のアンダーグラウンドのジャズ/フォーク/ロック・シーンに注目し、レコード・レーベル経営を思い立ったエスペラント(Esperanto)語主義者の弁護士、バーナード・ストールマン(1929-2015)が1964年に設立したインディー・レーベルでした。ESPはアーティストにアルバム内容の全権を与える代わりに組合最低限規定金額のレコーディング契約、ギャラの未払い、勝手な版権登録、無断リリースなど徐々にインディーならではの問題点が起こり、長く在籍したアーティストは少ないのですが、1964年~1968年にかけては国際的ジャズ・シーンの台風の目のように注目を集めたレーベルで、'60年代アメリカのジャズ史に残る名盤を数多く制作し送り出しました。メジャー・レーベルではとうてい売れそうにない内容のためにESPが創設されなければデビュー、またはリリースできなかっただろうと思えるアーティストやアルバムも多いので、功罪ならば功績の方が大きいのです。最初のリリースはエスペラント語教材レコードでしたが、1964年の夏に録音された3枚、アルバート・アイラーの『スピリチュアル・ユニティー』、バイロン・アレン・トリオの『Byron Allen Trio』、ジュセッピ・ローガンの『Giuseppe Logan Quartet』がジャズ・アルバムの初リリースになり、特に一般発売以前のプロモーション盤の時点から国際的話題作になったのは本作、第2弾リリースのサン・ラ『サン・ラの太陽中心世界(The Heliocentric World of Sun Ra)』、ニューヨーク・アート・カルテットの『New York Art Quartet』の3作でした。アレン、ローガンらESPのアルバムが初レコーディングになったアーティストもいますが、サン・ラ、アイラー、NYAQのメンバーのようにそれまで目立たないアルバム発売をしていたフリー・ジャズ系のアンダーグラウンドなジャズマンが一躍国際的注目を集めたのもESPの尽力によります。ただし国際的評価先行による弊害もあり、生前にはアイラーはヨーロッパ諸国や日本での人気の方が高く、没後もなかなかアメリカ国内での評価が定まらない偏見を生みました。同世代のサックス奏者からも評価は分かれ、エリック・ドルフィー(1928-1964)やオリヴァー・ネルソン(1932-1975)からは絶讃される一方、ブッカー・アーヴィン(1930-1970)からは酷評されるという具合に、評価は両極端に分かれていました。

 1936年7月13日、オハイオ州クリーヴランド生まれのテナーサックス奏者アルバート・アイラー(1936~1970)は、ミュージシャン兼業だった裕福な工場主の父エドワードに幼い頃から楽器を与えられ、10歳から専門的な音楽学校に通っていた、恵まれた環境で育ったサクソフォン奏者でした。弟のドナルド・アイラー(1942-2007)ものちトランペット奏者になりますが、アイラーの母は息子たちがジャズマンになるのを反対しており、それが晩年のアルバートと母の確執に発展します。しかし若い頃のアイラーは10代でさまざまなバンドへの参加を経験し、特にブルース界の大御所、マディ・ウォータース(1913-1983)門下生のR&Bシンガー&ブルース・ハーピストのリトル・ウォルター(1930-1968)の地方公演に参加した際は短期間ながら多大な影響を受け、晩年(1970年)の日本のスウィング・ジャーナル誌のインタビューでも「彼は音楽そのものといった人でした」と、その2年前に街頭の喧嘩騒ぎを止めようと割って入り(ウォルターは元プロボクサーでした)逆に殴られて亡くなったリトル・ウォルターを偲んでいます。20代初めまではアルトサックスを演奏し、ビ・バップの英雄チャーリー・パーカー(1920-1955)のレコードを完璧にコピーできたため、地元ではパーカーの愛称「バード」にちなんで「リトル・バード」と呼ばれていたという、後年の演奏からは信じがたい逸話もあります。1958年から1961年にはヨーロッパ諸国の米軍基地に軍務するも軍楽隊に所属し、平和時ですから給料をもらって留学しているような青春だったようです。アルトからテナーサックスに転向し、プロ・ミュージシャンになる決意をしたのもこの時期で、除隊後も貯金と仕送りで1963年半ばまでスウェーデンやデンマークでジャズ修行をしていました。本場の黒人ミュージシャンと思われて現地ジャズマンと美術館コンサートやラジオ出演したり(『First Recordings』や『My Name Is Albert Ayler』はその時の録音のレコード化です)していましたが在欧黒人ジャズマンの間では浮いていたそうで、文化会館の無料練習ホールにアイラーが姿を現すと他のミュージシャンが出ていってしまうという証言もあり、泣いているアイラーを見るに見かねたヨーロッパ巡業中のセシル・テイラー(1929-2018)からテイラーのバンドのラジオ出演に誘われたり(『Holy Ghost : Rare & Unissued Recordings 1962–70』に発掘収録)と、早くも強い個性で賛否両論を分けていたようです。この頃やはりヨーロッパ巡業中のジョン・コルトレーン(1926-1967)がコルトレーン・クインテットに参加していたエリック・ドルフィー(1928-1964)の勧めでアイラーの演奏を聴き、以降コルトレーンは年少のアイラーを現代最高のテナーサックス奏者として尊敬し、公私ともに支援することになりました。
 
 1963年末には帰国してアメリカでの活動を始めていたアイラーですが、レコード契約はデンマークのレコード会社としか結べず、アイラーはまずデンマークからの輸入盤の『My Name Is Albert Ayler』と『Spirits』で少数の批評家から注目されることになりました。サン・ラを中心としたフリー・ジャズの合同自主コンサートがちょうど新しいジャズ・レーベルの創設を計画していたストールマンの目にとまり、ESPディスクの第1弾リリースとして制作・発売されたのがこの『スピリチュアル・ユニティー』で、奇しくもエリック・ドルフィーがベルリンで急逝した1964年6月29日から10日後の1964年7月10日録音でした。ジョン・コルトレーンは新作アルバム『クレッセント(Crescent)』を6月1日に完成したばかりで、親友でかつてのバンドメイトだったドルフィーの急死とアイラーの本格的なアメリカ・デビューは、今後の音楽的方向を模索していたコルトレーンにとって大きなショックを与えることになりました。アイラーは『First Recordings』や『My Name Is Albert Ayler』ではコルトレーンのレパートリーを多く採り上げるほどコルトレーンを敬愛していましたが、逆にアイラーの演奏がコルトレーンに驚愕と影響を与えるようになりました。コルトレーンは1967年7月の急逝までアイラーに目をかけ、インディーのESPディスクからコルトレーンを看板アーティストとするメジャーのMCA/ABCレコード傘下のインパルス!レーベルにアイラーを特別待遇で移籍させ、個人的にアイラーに経済的援助までしていたほどです。
 
 この『スピリチュアル・ユニティー』はアメリカ本国よりヨーロッパや日本で先に評価されたアルバムで、当初はフリー・ジャズ専門レーベルESPディスクの創設記念アルバムとして非売品の見本盤が300枚関係者やプロモーション用に配布されただけでした。アメリカ本国でのジャズ不況(1964年はビートルズがアメリカのヒットチャートを席捲した年です)から国内よりも海外市場をにらんだストールマンの戦略は抜け目なく、ヨーロッパ諸国や日本のジャズ雑誌にも見本盤が届けられました。日本を含む諸外国ではまたたく間に反響を呼び、そのため本作は諸外国では最初から市販用レコードとして発売されましたが、アメリカ本国のオリジナル盤は見本盤しか存在しないという変則的なリリースになりました。アイラーにはこのアルバムの前にスウェーデンで2枚、デンマークのレーベルから3枚(うち1枚は没後リリース)のアルバムがあり、特に『My Name Is Albert Ayler』と『Spirits』は初期の名盤といえるものでした。ですがアイラー以前のフリー・ジャズ(オーネット・コールマン、セシル・テイラー、サン・ラ)からの影響から脱して、コルトレーンの方向性にまで影響を与えるほど強烈な個性を確立したのはやはり画期的アルバム『スピリチュアル・ユニティー』で、数ある'60年代のモダン・ジャズの名盤中でも屈指の傑作とされているものです。ジャケット・アートも秀逸で、ESPの専属デザイナー(それが本職でした)にしてゴッズのメンバーだった22歳のジェイ・ディロンの手がけたジャケットでも畢生の傑作といえるものでしょう。当時アイラーは27歳(28歳の誕生日の3日前)、セシル・テイラー・ユニットの元メンバーだったドラムスのサニー・マレー(1936-2017)は27歳、ビル・エヴァンス・トリオ出身の白人ベーシスト、ゲイリー・ピーコック(1935-)は29歳です。トリオの演奏はタイトル通り三人に精神的結合が起こっているかのようでした。
 
 ジョン・コルトレーンが『クレッセント』同様全曲オリジナルの次作『至上の愛(A Love Supreme)』を録音するのは1964年12月9日(1965年2月発売)でしたが、コルトレーンとしては異例の、半年もの熟成期間をかけたそのアルバムは、『スピリチュアル・ユニティー』同様に全4曲の組曲形式のスピリチュアルな方向性を意識したアルバムでした。先立つ『ライヴ・アット・バードランド(Live At Birdland)』1964と『クレッセント』で完成を見たコルトレーン・カルテット(ドルフィー脱退後はメンバーを増員していませんでした)のアンサンブルは『至上の愛』ではコルトレーン自身によって意図的に変化させられています。『クレッセント』から『至上の愛』への転換、さらに少なく見つもっても12枚のオリジナル・アルバム(生前発表は3枚)を録音した翌1965年のコルトレーンの爆発的なレコーディングは、盟友ドルフィーの死、新人アイラーの登場の影響なしには考えられません。コルトレーンはジャズ界を牽引し、一家をなした巨匠にもかかわらず、当時「アイラーのようにテナーサックスを吹きたい」とまで発言しました。人や獣の肉声のようにサックスを鳴らすアイラーの奏法は先行するオーネット・コールマン(1930-2015)以上に過激かつ純粋なものでした。
 
 コルトレーン1965年のアルバムはすべて必聴ですが、生前発売された3枚のうち2月録音の『カルテット・プレイズ(John Coltrane Quartet Plays)』は「チム・チム・チェリー(Chim Chim Cheree)」と「ネイチャー・ボーイ(Nature Boy)」の2曲のミュージカル・映画主題歌のスタンダード曲を軸に、『バードランド』『クレッセント』の系列と『至上の愛』の方向性を合わせたアルバムになりました。10月録音の『クル・セ・ママ(Kulu Se Mama)』はアフリカ詩人・歌手ジュノ・ルイスのヴォーカル曲をタイトル・チューンに2年後の1967年春に出されたスピリチュアル系のアルバムで、コルトレーンは1967年7月に胃癌で逝去しますから、どうしても生前に緊急発売したかったのでしょう。あと1枚、6月録音(余命2年)の『アセンション(Ascension)』はカルテットに7人のフリー・ジャズ系ゲスト・プレイヤーを迎え、アルバム全編AB面で全1曲40分にもおよぶ、ドルフィーも参加していたオーネット・コールマンの『フリー・ジャズ(Free Jazz)』(1961年12月録音)への遅ればせの回答というべき作品でした。インパルスはフリー・ジャズ(当時の呼称は「New Thing」)に傾倒するコルトレーンの主導でアーチー・シェップ、マリオン・ブラウンらの新鋭フリー系ジャズマンが占めるようになります。コルトレーンのデビュー時からのライヴァルで友人でもあるソニー・ロリンズも同時期に4枚のアルバムをインパルスに残していますが、それらもアイラーらの感化を感じさせるものでした。1965年末からコルトレーンはサニー・マレーに学んだスタイルを持つドラマーのラシッド・アリを加え、さらにサン・ラ・アーケストラ出身でアイラーと双子のような奏法のテナー奏者ファロア・サンダース(1940-)を迎えてツイン・テナーサックス、ツイン・ドラムス編成の、やはりスピリチュアル系のアルバム『メディテーションズ(Meditations)』を発表しますが、それまでの鉄壁のカルテット編成からのメンバーの増員を嫌って足かけ7年メンバーだったピアノのマッコイ・タイナー、ドラムスのエルヴィン・ジョーンズがバンドを脱退してしまいます。コルトレーンがサンダースとアイラーを聖書の「父(コルトレーン)と子(サンダース)と聖霊(アイラー)」になぞらえたほど、この三人のテナー奏者には精神的な絆がありました。コルトレーンは困窮していたアイラーにしばしば個人的な経済的援助を行い、またコルトレーンを主力アーティストとするインパルス・レーベルと契約を結ばせ、それまで小インディー・レーベルのアーティストだったアイラーをメジャー・デビューさせましたが、アイラーは晩年のインタビューで「音楽活動による年収は80ドル(!)を越えたことがなかった」と告白しているほどなので、コルトレーンの援助はアイラーにとって切実なものだったでしょう。ですがコルトレーン、さらにアイラーに残された時間はわずかでした。
 
 コルトレーンは亡くなる1年前、1966年7月に唯一の来日公演を行い、毎回二時間半で3曲、17日間の滞在中に16回公演という脅威的なコンサートを日本の観客に披露したのち、帰国後に体調を崩してライヴのスケジュールをすべてキャンセルしました。それから1967年7月の急逝までコンサート出演は2回のみ、すべて没後発表に持ちこされる全曲新曲のオリジナル・アルバムを3枚残しました。アイラーというよりコルトレーンの晩年の活動歴の話題になってしまいましたが、コルトレーン・カルテット初期に在籍したベーシストのレジー・ワークマンによると、'60年代中期には黒人ジャズマンにとってコルトレーンの新作は「(誰もが必読の重要な)本が刊行されるようだった」といいます。その転換点が『クレッセント』から『至上の愛』への変化で、黒人ジャズマンのアイデンティティ=スピリチュアルというサン・ラやアイラーからの発想が、コルトレーンにはジャズマンとしての使命のようになりました。自分の葬儀の演奏にはオーネットとアイラーを、と指名した(この時の教会でのアイラーによるコルトレーン追悼演奏は『Holy Ghost : Rare & Unissued Recordings 1962–70』で発掘収録されました)ほどですから、心からオーネットとアイラー(もっともコルトレーンの師に当たる、ディジー・ガレスピーやセロニアス・モンク、マイルス・デイヴィスに葬儀での無償演奏は頼むべくもなかったでしょうが)の音楽を愛していたのです。コルトレーン没後のアイラーはセロニアス・モンク出演中のクラブに飛び入りしてマイルスやケニー・ドーハムと共演したり(証言だけで音源現存せず)、マイルス出演中のクラブに自分のレコードを合間に流してほしいとレコード持参で訪ねてマイルスに断られて泣いたり、またヴォーカル入りでフリー・ジャズとR&Bを融合した方向性に転換するなど迷走が目立つようになり(『Love Cry』『New Grass』『Music Is the Healing Force of the Universe』)、それまで以上に理解を得られなくなりました。

 コルトレーン没後、もともと独自のフリー・ジャズをやっていたサン・ラ、セシル・テイラー、オーネットを除いて多くの若手ジャズマンは指針を失ったかたちになりました。アイラーと同年生まれのローランド・カークはオーネットやアイラーとも資質が近いサックス奏者で、黒人意識を強めた以降のコルトレーンに傾倒していましたが、コルトレーン没後迷走していったアイラーよりもタフなジャズマンでした。顔にペインティングをして彷徨するなど私生活にも奇行が目立ち始めたアイラーは、1970年7月にはフランスのジャズ祭にかろうじて出演しましたが(『Nuits de la Fondation Maeght』『Live on the Riviera』)、即席メンバーでの演奏は抒情性には富むも、かつてのような緊張感や集中力からの後退を感じさせるか、良く言って作風のラプソディックな転換を感じさせる、過渡的なスタイルのものでした。帰国後にはすでにインパルスとのレコード契約も失い、ライヴの仕事もなく、さらに一時兄のアルバートを慕ってニューヨークに上京しバンドのメンバーになるも経済的逼迫とメンタルの悪化から帰郷してしまった弟のトランペット奏者ドナルドをめぐって実家の母親との確執がますます悪化したのがアイラーを悩ませていました。アイラーは自殺を近親者にほのめかすようになり、1970年11月5日、内縁の奥さんとテレビ視聴中に突然「俺が死ななきゃ(母も弟も)わからないのか!("My blood has got to be shed to save my mother and my brother !")」と叫んでテレビにサックスを投げつけ、そのまま狂乱して失踪し、奇しくも20日後の三島由紀夫の楯の会事件と同日、同年11月25日にニューヨークのイースト・リヴァーで死因不明の腐乱遺体となって発見されました。最後にアルバート・アイラーの、没後発表を含めた全アルバム・リストを、オリジナル盤発売順に上げておきます。
[ Albert Ayler (1936-1970) Album Discography ]
*Release Order
◎1 - 14 : Lifetime releases (生前発売)
1. The First Recordings Vol.2 [ Live ]  (Bird Notes, 1962)
2. Something Different!!!!/The First Recordings Vol.1 [ Live ] (Bird Notes, rec.1962, rel.1963)
3. My Name Is Albert Ayler (Debut Records Denmark, 1963) Radio Broadcast (in Studio)
4. Spirits (Debut Records Denmark, 1964)
5. Spiritual Unity (ESP, rec.1964, rel.1965)
6. Ghosts (Vibrations) [ Live ] (Debut Denmark, rec.1964, rel.1965)
7. Bells [ Live ] (ESP, 1965)
8. Spirits Rejoice [ Live ] (ESP, 1965)
9. Sonny Murrey : Sonny's Time Now (Jihad Records, 1965)
10. New York Eye And Ear Control (ESP, rec.1964, rel.1966)
11. In Greenwich Village [ Live ] (Impulse! Records, rec.1966/1967, rel.1967)
12. Love Cry (Impulse!, rec.1967/1968, 1968)
13. New Grass (Impulse!, rec.1968, rel.1969)
14. Music Is the Healing Force of the Universe (Impulse!, rec.1969, April 1970)
◎15 - 31 : Posthumous releases (没後発売)
15. Nuits de la Fondation Maeght Vol.1 [ Live ] (Shandar, France, rec.1970, rel.1971)
16. The Last Album (Impulse!, rec.1969, rel.1971)
16. Nuits de la Fondation Maeght Vol.2 [ Live ] (Shandar, France, rec.1970, rel.1971)
17. Swing Low Sweet Spiritual (Osmosis Records, Denmark, rec.1964, rel.1971)
18. Prophecy [ Live ] (ESP, rec.1964, rel.1975)
19. The Village Concerts [ Live ] (Impulse!, 2LP, rec.1966/1967, rel.1978)
20. The Hilversum Session (Osmosis Records, rec.1964, rel.1980
) Radio Broadcast (in Studio)
21. Lorrach / Paris 1966 [ Live ] (Hathut Records, rec.1966, rel.1982) Radio Broadcast
22. At Slug's Saloon, Vol.1 & Vol.2 [ Live ] (ESP/BASS, 2LP, rec.1966, rel.1982)
23. Albert Ayler [ Live ] (Philology Jazz Records, rec.1964, rel.1990)
24. Love Cry with Unreleased Alternate Tracks (Impulse!, rec.1967/1968, rel.1991)
25. Albert Smiles With Sunny [ Live ] (Inrespect Records, 2CD, rec.1964, rel.1996)
26. Live In Greenwich Village : The Complete Impulse Recordings [ Live ] (Impulse!, 2CDrec.1966-1967, rel.1998)
27. The Copenhagen Tapes [ Live ] (Ayler Records, rec.1964, 2002) Radio Broadcast
28. Holy Ghost : Rare & Unissued Recordings 1962–70 (Revenant Records, 10CD, rec.1962-1970, rel.2004) Studio, Live & Radio Broadcast
29. Live on the Riviera [ Live ] (ESP, rec.1970, 2005)
30. The Complete ESP-Disk Recordings (ESP, 4CD, rec.1964-1966, rel.2005)
31. ‎Prophecy Revisited (ezz-thetics, rec.1964, rel.2020)

※旧記事を全面的に加筆修正し、再掲載しました。