沖縄の伝説!コンディション・グリーンTV出演ライヴ! | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

コンディション・グリーンTV出演ライヴ!
コンディション・グリーンTV出演ライヴ (TV Broadcast, 1978-1979) :  

 昭和46年(1971年)に沖縄でリーダーでリード・ヴォーカリストのかっちゃん(川満勝弘、1944-)を中心にベーシストのエディー(津波秀英)、ギタリストのシンキ(州鎌義博)、ドラマーのターケ(数珠を巻いて仏黒子をつけた寄り目の人)の四人で結成されたハード・ロック・バンド、コンディション・グリーン(Condition Green)は「かっちゃんに担がれたシンキがぶんぶん振り回されながらギターソロを決める」「ステージでメンバー全員肩車で人間トーテムポールになって演奏する」「ステージ上で鶏や蛇を食いちぎって血を吐く」「客から受け取った靴にビールを注いで飲み干す」「かっちゃんが両方の鼻の穴で煙草を喫いながら煙を吐き出して歌う」など力技のパフォーマンスで、沖縄きってのライヴ・バンドとして「沖縄のディープ・パープル」と呼ばれた紫と並ぶ人気を博して注目され、シングル「コンディション トレイン b/w さまよい」(Canyon Records, See・Saw W-6, December 1977)でレコード・デビューし、ファースト・アルバム『Life Of Change』(Canyon Records, See・Saw WX-9001, March 10, 1978)発表ののち東京へ進出。精力的にテレビ出演をこなしながらアメリカのディズニーランド公演も成功させ、KISSの来日公演のサポート・アクトに決まりそうになるも「前座に喰われる」と恐れをなしたKISS側からキャンセルされる、という伝説を残したバンドでした。翌年にはオリジナル・メンバーのターケに代わり、エツ(栗国悦夫)とチビ(宮永英一、元紫)のツイン・ドラムス編成でセカンド・アルバム『Mixed-Up』(Canyon Records, See・Saw C25A0030, February 21, 1979)と、AB面とも近田春夫の提供曲によるシングル「夢盗人 b/w ヘヴィ デイズ ナイト」(Canyon Records, See・Saw W-15, August 1979)をリリースしますがその直後に解散し、シンキ以外のメンバーは沖縄に戻ります。シンキは「神鬼」と改名しキングレコードから新バンドの唯一作『Heavy Metal Army 1』(King Records, Nexus K28P-191, 1981)に参加し、日本におけるNWOBHM最初期のギタリストになりました。コンディション・グリーンが1983年に一時的再結成した際のライヴはインディー・レーベルから『'83 Live』(Disques Jean-Jean JJ1013CG, 1983)として発売されましたが、その後ベーシストのエディーは潜水中に事故死。以降もかっちゃん・シンキは沖縄ロックのドンとなり、沖縄ロック界の尊敬を集めて、バー経営のかたわらライヴ活動を続けており健在です。
 コンディション・グリーンの2作のスタジオ・アルバムは欧米諸国のマニアの間でも人気が高く、しかもメンバーが著作権に無頓着だったため近年までヨーロッパ製の海賊盤が出回って聴かれている状態でした。キャニオン・レコードすらメンバーの了承を得ずポニー・キャニオンから再発CDを出していたくらいですが、2018年にようやくメンバー公認による正規のリマスター版CDがリリースされ、東京進出中の1978年~1979年のテレビ出演のライヴ映像も発掘されつつあります。ライヴ映像のシンキ(スピード・シンキ&グルーの陳信輝とは同名異人です)のギター・プレイを観ると、ジミ・ヘンドリックス、アルヴィン・リー、ロリー・ギャラガーどころかエドワード・ヴァン・ヘイレンを連想しないではいられませんが、ヴァン・ヘイレンのファースト・アルバム『炎の導火線 (Van Halen)』は1978年1月リリース(デビュー・シングル「You Really Got Me」も同月リリース)、セカンド・アルバム『伝説の爆撃機 (Van Halen II)』は1979年3月リリースですから、1974年結成のヴァン・ヘイレンよりもコンディション・グリーンの方が早くから活動し、レコード・デビューはまったく同時期なのです。何よりライヴ映像が、強烈なパフォーマンスのインパクトではヴァン・ヘイレン以上のバンドだったのを示します。2作のスタジオ・アルバムよりもコンディション・グリーンは当時のライヴ映像から知るのがいいでしょう。コンディション・グリーンのパフォーマンスは明らかに当時も今もやり過ぎのもので、アルバムもまたそつなくポップにまとめられたヴァン・ヘイレンほど広いリスナーを獲得するものではありませんでした。しかし今回ご紹介したテレビ出演映像は一見以上の価値があり、観始めたら目が離せない驚天動地・抱腹絶倒のステージの模様を示して余りあります。当時のコンディション・グリーンは沖縄から襲来してきた最大瞬間風速の台風でした。これがスタジオ・アルバムに収まり切らなかったのも仕方なかったのではないかと思えます。