水谷公生 - 宇宙の空間 (ポリドール, 1971) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

水谷公生 - 宇宙の空間 (ポリドール, 1971)
Recorded by Nippon Grammophon No.I Studio, June 7, 1971
Released by 日本ポリドール株式会社 Polydor - MR 5009, November 1971
(Side A)
A1. Path Through The Haze (Masahiko Satoh) - 5:57
A2. Sail In The Sky (Hiromasa Suzuki) - 7:18
A3. Turning Point (Kawachi Kuni) - 3:46
A4. Tell Me What You Saw (Kimio Mizutani) - 4:54
(Side B)
B1. One For Janis (Masahiko Satoh) - 6:25
B2. Sabbath Day's Sable (Kawachi Kuni) - 4:00
B3. A Bottle Of Codeine (Hiromasa Suzuki) - 7:16
B4. Way Out (Kimio Mizutani) - 3:58
[ Artist (Collective Personnel) ]
水谷公生 - ギター/フォークギター
佐藤允彦 - オルガン/ピアノ/シンセサイザー
鈴木宏昌 - エレクトリック・ピアノ
寺川正興 - ベース
武部秀明 - ベース
猪俣猛 - ドラムス
伊集加代子 - スキャット・ヴォーカル
外山ストリングス・カルテット
江藤ウッド・カルテット
柳田ヒロ - オルガン (ノークレジット)
(Original Polydor "A Path Through Haze" LP Liner Cover & Side A Label)
 本作は1971年のオリジナル盤発売以来、1998年にPヴァイン・レコーズからCD化されるまで30年近く幻のアルバムでした。水谷公生(1947-)は日本のロック畑から出てポップス界全般で万能セッションマンになった、ギタリストとしては最初の人で、それまではクラシックやジャズ畑のミュージシャンがポップス界のセッションを引き受けていたのは、ジャズマンの佐藤允彦や猪俣猛を始めとしたこの水谷公生唯一のソロ・アルバム(本人名義作品)の参加メンバーからもわかります。水谷は寺内タケシ門下生出身で、ジャッキー吉川とブルー・コメッツや田辺昭知とザ・スパイダースのデビューから起こった和製ビート・グループ(グループ・サウンズ)に対応して芸能事務所渡辺プロダクションが若手ミュージシャンから選抜結成させたアウト・キャストのメンバーでした。アウト・キャストは1967年1月にシングル「友達になろう」でデビューし、同年11月には唯一のアルバム『君も僕も友達になろう』をリリースしますが、1968年1月の5枚目のシングル「愛なき夜明け」で解散し、別メンバーで発表された68年6月のラスト・シングル「空に書いたラブレター」には水谷は参加していません。アウト・キャストは1980年代になって日本のGSマニアのみならず世界的な60年代ビート・グループ(ガレージ・パンク)のマニアから熱烈な支持を集め、まだCD再発が活発ではない頃だったので100ドル単位の中古相場に上がりました。アルバム『君も僕も友達になろう』は世界的なガレージ・ロック・クラシックとして800ドル(当時のレートで80万円!)もの価格で取引されたという逸話を残します。アウト・キャストはメンバー自身が作曲もヴォーカル・コーラスをこなせ、サウンドも斬新でしたが、1か月遅れ(1967年2月)にシングル「僕のマリー」でデビューした渡辺プロの後輩ザ・タイガースの爆発的人気にはまったく及びませんでした。タイガースは作曲能力もあったのに渡辺プロの方針で歌謡界の専属作曲家の曲しかレコードを出せないバンドで、しかもヴォーカル録音の時間しかスケジュールが取れなかった超多忙バンドだったので、タイガースのスタジオ録音曲のほとんどはアウト・キャストが影武者録音していたと言われます。タイガースのアルバム全7作中ライヴ・アルバムが3作なのは、本人たちの演奏はライヴでしか収録する余裕がないスケジュール的な事情によるものでもありました。

 アウト・キャスト解散後にキーボードの穂口雄右はポップスの作曲家とアレンジャーになり(後のキャンディーズを手がけます)、渡辺プロはギターの水谷、ヴォーカルの轟健二を中心に松下電器産業が新設したCBSソニーから新バンド、アダムスをデビューさせます。デビュー・シングル「旧約聖書」1968.9から4枚目で最終シングル「明日なき世界」1969.9まで、アダムスはタイガース同様に歌謡界の作曲家の書き下ろし曲のみをレパートリーにさせられたバンドでした。アダムスの活動期間は1年間で急激にGSブームが衰退した時期にあたり、4枚のシングル8曲はオーケストラをバックにした大げさなウォーカー・ブラザース、またはムーディー・ブルース的なプレ・プログレッシヴ・ロック・バラードとしては力作ぞろいでしたが、アダムスはアウト・キャスト以来の少数の熱心なファンの関心しか呼びませんでした。アルバムが出なかったのでアダムス音源は1998年にCD『カルトGSコレクション・CBSソニー編 旧約聖書』としてCBSソニーの数少ないGSシングルとともにまとめられるまでやはり幻の存在で、ただしアダムスはアウト・キャストの後身という以外は珍品扱いされていたにすぎません。ライヴもやっていたようで解散後にファンクラブ会員向けのライヴ・シングル(未発表曲「アダムとイヴ」)が出たと確認されており、全シングル曲10曲をまとめればアルバム1枚分の録音を残したことになりますが、プロ意識の高い水谷公生にとってアダムスが後のキャリアに結びつくことになったのは、バンドだけで録音していたアウト・キャスト(ガレージ・バンドとして評価が高いのはそこですが)と違って、アダムスでは外部の、ポップス畑でも活動するクラシックやジャズのミュージシャンとの共演が渡辺プロからの企画だったことでした。すでにタイガースの影武者録音で数々のNo.1ヒットの立役者だった水谷には、手練れの先輩ミュージシャンと互角に渡り合う自信がアダムス時代に生まれたに違いありません。そしてアダムス解散後には、当時黎明期といえた日本のニュー・ロック・シーンでクラシックやジャズのミュージシャンが先導したセッション・アルバムの数々にファースト・コール・ギタリストとして引っ張りだこになることになります。キーボード奏者では元エイプリル・フールのキーボード奏者、柳田ヒロが水谷公生と並ぶ存在でした。

 本作は1990年代に水谷参加作の柳田ヒロ『MILK TIME』1970.11、同『HIRO YANAGIDA(七才の老人天国)』1971.3、LOVE LIVE LIFE『LOVE WILL MAKE A BETTER YOU』(LOVE LIVE LIFE+ONE)1971.4、ピープル『ブッダ・ミート・ロック』1971、佐藤允彦&サウンド・ブレイカーズ『恍惚の昭和元禄 Amalgamation』1971.3などの実験的なニュー・ロックのインストルメンタル・ロック作品(LOVE LIVE LIFE+ONEは布施明が+ONEとして参加したヴォーカル作ですが)が一通り再評価された後に、水谷自身の唯一のソロ・アルバムとして注目されました。前記アルバムは同時代の非英米的な実験的プログレッシヴ・ロック(主に西ドイツの前衛ロック=クラウトロック)と肩を並べる作品とされ、水谷はギタリストとして日本のフランク・ザッパ(ザッパ自身はアメリカ人ですが、音楽的に異端なため直接的な影響は先にヨーロッパのバンドに現れました)と位置づけられるまでになりました。日本国内では'70年代~'80年代にキャンディーズや郷ひろみから南こうせつ、太田弘美、浜田省吾まで作曲・編曲・演奏を手がけるポップス畑の大御所スタジオ・ミュージシャンとなりました。

 本作は一応A面・B面ともに4曲ずつに分かれていますが、各面冒頭曲のテーマ反復が各面最後に再現され、実際はメドレー的にAB面各1曲になっています。A面はマイルス・デイヴィスの『In A Silent Way』1969と『Bitches Brew』1970からの強い影響がうかがわれ、ジャケット・イラストと楽曲提供だけで演奏には参加していないクニ河内(渡辺プロの同僚ハプニングス・フォー。後期タイガースへの楽曲提供、ライヴのキーボード・サポートも)、アダムスのベーシストだった武部秀明以外はGS出身者はいません。マイルスの両作はジョン・マクラフリンのギター、ハービー・ハンコックとチック・コリアのフェンダー・ローズ・エレクトリック・ピアノのフィーチャー度が高く、マクラフリンとコリアの出世作でもありました。ロック・キーボード奏者として水谷と共演も多かった柳田ヒロはプログレッシヴ・ロック指向でこそあれジャズ的方向性は稀薄でしたから、このアルバムは元来ジャズ・ピアニストの佐藤允彦との共同作業の成果でしょう。フェンダー・ローズのソロもふんだんに出てきます。マイルスの両作はソフト・マシーンやヘンリー・カウなどイギリスのカンタベリー派プログレッシヴ・ジャズ・ロックのルーツでもあるので、言われなければカンタベリー派のジャズ・ロックのようにも聴こえますが、この傾向のサウンドはカンタベリー派より本作の方が早いのもポイントです。B面でテーマをとるのは伊集加代子のジャズ・スキャットで、伊集さんはルパン三世のテーマやジングル、後にはピチカートVのスキャット・コーラスまで取られた、'70年代~'80年代の日本のポップスでコーラスが聴こえれば伊集さんと知られた方です。

 もっとも本作には賛否両論あり、アウト・キャストから前述の諸作まで一貫して聴かれた爆裂ギターが本作はジャズ寄りの抑制された演奏で、ロック寄りのジャズ・ギターとしてもマクラフリンよりはラリー・コリエルに近く、ロック系ギタリストではイタリアの元サイケデリック・プログレッシヴ・バンドのフォルム・ラ・トレ~プログレッシヴ・ジャズ・ロックのバンドのイル・ヴォーロのギタリスト、アルベルト・ラディウスのプレイにそっくりですが、イル・ヴォーロ時代のラディウスより本作の方が先です。また本作はサウンドの構築性が強く、ロック的ダイナミズムはソフト・マシーンやヘンリー・カウ、イル・ヴォーロに軍配が上がる上、マイルスはもちろんそれらのバンドや、他の水谷公生関連作品にあるような一撃必殺の完全燃焼感が不足しているように思えます。水谷と並ぶ当時のヘヴィ・ロックの渡り鳥ギタリスト陳信輝が、唯一のソロ・アルバム(本人名義作)ではおそらく慎重さから抑制した演奏になってしまったのと事情は同じなのかもしれません。伊集加代子さんもいいのですが、ジョー山中さんや布施明さんほどの男性ヴォーカルがスキャットでも参加していれば必殺盤になっていたとも惜しまれます。21世紀になっても水谷公生氏は2003年、柳田ヒロとのデュオ・ユニット「MA-YA」で活動し、2004年には長年の盟友である浜田省吾と共に「Fairlife」を結成していますが、近年は関節痛のためプロ・トゥールスやスティール・ギターで作品製作をしていると伝えられます。ともあれ本作はギタリスト必聴盤としてフランク・ザッパの『Hot Rats』と並ぶ古典的名盤の地位に着いたアルバムで、黙って聴いて話はそれからという日本のロック・クラシックです。そういうアルバムを残せたギタリストが何人いるでしょうか。