八木重吉詩集『秋の瞳』大正14年(1925年)その13・高橋新吉詩集『戯言集』との比較(後) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

高橋新吉・明治34年(1901年)1月28日生~
昭和62年(1987年)6月5日没(享年86歳)
第一詩集『ダダイスト新吉の詩』大正12年
(1923年)刊行の頃 、22歳
八木重吉・明治31年(1898年)2月9日生~
昭和2年(1927年)10月26日没(享年29歳)
第一詩集『秋の瞳』大正14年
(1925年)刊行の頃、27歳
 ふだん読者が詩と思って読んでいるものは「詩」と名銘って発表されているから作者によって「詩」という意識で書かれた詩として読むので、もしそういう体裁ではなく読者の目に触れるのであれば詩とは取れないような「詩」も現代詩には多く存在します。アメリカ詩人エズラ・パウンド(1885-1972)の名高い、

Spring...
Too long...
Gongra...

春……
ながすぎて……
ゴングラ……
 (「パピルス(Papyrus)」全行・詩集『大祓 (Lustra)』1916より)
 
 は、20世紀初頭さかんに発掘された古代ギリシャ詩を模したもので、それらの多くはこのパウンドの模作のようにパピルス用紙に書かれた断片しか残っていませんでした。またパウンドは日本の俳句の三節構造に興味を持っていた詩人でした。そうした作者の意図を知らないとこの極端な断片的短詩は読者に理解できませんが、それを理解すればこのたった3行の断片的短詩が、古代ギリシャの抒情を現代に伝える、はかなく、また雄大な詩想を表現した、記憶に残る作品にもなります。八木重吉の場合も現代の読者の大半は熱心なキリスト教信仰に生きた夭逝詩人という解説を知ってから入っていくので、

わたしの まちがひだつた
わたしのまちがひだつた
こうして 草にすわれば それがわかる
 (「草に すわる」全行)

ぐさり! と
やつて みたし

人を ころさば
こころよからん
 (「人を 殺さば」全行)

かへるべきである ともおもわれる
 (「おもひ」全行)

 といった、およそ一篇の詩としての独立性の稀薄な断篇が詩的感興を呼び起こします。まったく同時代の詩人たちとの交友や同人誌活動なしに第一詩集『秋の瞳』を公刊した八木がこうした断片詩に確信を持てたのは、やはりキリスト教詩人であった山村暮鳥(1884-1924)の極端な実験的詩集『聖三綾玻璃』(大正4年=1915年12月刊)、『雲』(大正13年作・大正14年1月刊)の感化を感じずにはいられません。また『秋の瞳』の2年前に刊行された『ダダイスト新吉の詩』(大正12年=1923年1月刊)は大半が無題で通し番号だけが振られた断片詩で構成されています。『秋の瞳』の八木は山村暮鳥にも近いのですが、高橋新吉(1901-1987)の第一詩集『ダダイスト新吉の詩』にも近いのです。

 高橋新吉は大正15年(1926年)3月に第二詩集『祇園祭り』、昭和3年(1928年)9月には佐藤春夫の斡旋により第三詩集『高橋新吉詩集』を刊行しますが、同年秋から精神疾患を発症し、郷里に帰って静養生活を送ります。昭和4年(1929)9月に病中に父を亡くしたショック(詳しい状況は伝わりませんが、高橋は父の死を自殺と受けとめました)もあり、3年間は重篤の慢性統合失調症患者として厳重な隔離室への監禁療法が行われました。昭和7年(1932年)1月にようやく退院して上京し再び文筆活動を再開、昭和9年(1934年)3月に6年ぶりの第四詩集『戯言集』と第五詩集『日食』をたてつづけに発表します。『祇園祭り』『高橋新吉詩集(佐藤春夫編)』までの三詩集が初期の高橋の詩業とすれば、病気療養を挟んで6年ぶりに刊行された『戯言集』『日食』が敗戦までの約10年間の高橋の第2期の詩作の始まりになりますが、『戯言集』の大半を占める連作長編詩「戯言集」は高橋のブランク期の断片詩を含む自伝的作品として異様な作品で、精神病を題材とした文学作品自体が高村光太郎詩集『智恵子抄』(昭和16年=1941年刊)と並んで稀有なもので、戦後にも飯島耕一(1930-2013)の詩集『ゴヤのファースト・ネームは』(昭和49年=1974年刊)、赤尾兜子(1925-1981)の句集『歳華集』(昭和50年=1975年)が鬱病を題材とした自伝的作品ですが(飯島は回復後に同詩集を書き、兜子は回復せず鉄道自殺しました)、統合失調症を患者の夫の立場から描いた『智恵子抄』ですら前例のない詩集だったように、慢性化した統合失調症から回復した患者自身による『戯言集』は日本の現代文学でも例のない作品だったのです。古典では平安時代後期、11世紀後半に成立し、明治以降ようやく注目された、『更級日記』と『浜松中納言物語』の作者の菅原孝標女の作品と推定される『夜話の寝覚』が、世界的にも鬱病の症例を示す最古の作品とされます。鬱病自体は人類史とともに古代からあったとしても、識字階級がそれを精神的な疾患と認識し、記録するようになったのは、識字率が抑圧された階級まで広がり、また医療の対象にもなった、ごく近代以降のことです。また統合失調症の観測例は病状がはっきり現れるためにルネッサンス時代にはさまざまな症例が観察・解釈されるようになりましたが、当事者自身による文学作品としては、西洋文学では統合失調症が慢性化した後(1804年以降)のフリードリヒ・ヘルダーリーン(1770-1843)の詩作、統合失調症で生涯11回の入退院をくり返して縊死自殺したジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855)の遺稿長編小説『オーレリア、夢と人生』が数少ない統合失調症患者自身による文学作品として知られます。

 高橋新吉の場合、隔離監禁療養中に書かれた(または創作して暗記していた)断篇と、回復後に病中の状態と治療生活を振り返って書かれた断篇が混在していると考えられ、初版詩集(全67篇)、昭和15年(1940年)の山雅房版『現代詩人集』への再録(未見)、昭和27年(1952)の最初の全詩集『高橋新吉詩集(創元選書版)』(47篇に改編)、昭和29年(1954年)の創元社『現代日本詩人全集』版(全67篇に復原)、昭和47年(1972年)の立風書房『定本高橋新吉全詩集』(全67篇)では改稿はありませんが、「一」から「六十七」(『高橋新吉詩集(創元選書版)』では「四十七」まで)の順序はその都度入れ替えられています。前々回ご紹介した「戯言集」は『高橋新吉詩集(創元選書版)』の47篇を「二十一」以下にくり下げ、「一」から「二十」に創元選書版でカットされた20篇を初版詩集から補い復原した『現代日本詩人全集』版を底本にしましたが、それは、

私は盲目も同然である

四方は板壁にふさがれた牢屋の中に居る
 (『現代日本詩人全集』版「一」)

 で始まる、草野心平編による『現代日本詩人全集』版の構成が各版の中でいちばん明快と考えたからで、高橋自身にも連作長編詩「戯言集」の構成は『定本高橋新吉全詩集』ですら決定的でない(初版詩集や、最初の全詩集『高橋新吉詩集(創元選書版)』とも共通していません)と思われるからです。詩集『戯言集』の初版には問題があり、高橋自身が旧知の編集者に詩集の原稿を託したところ、まったく未知の素人個人出版社から刊行されてしまい、しかも「詩文集」とされてエッセイ集風に順序や本文内容も改竄されたと回想しており、原稿も失われたため、後年の再録は改竄版初版詩集から高橋自身がなるべく原型に復した事情があります。資料的・歴史的意義から初版詩集の内容をそのまま収録したのは高橋が80歳を過ぎた青土社版『高橋新吉全集』(昭和57年=1982年)が唯一ですが、高橋の証言通り全編が散文体に組まれた、改竄の跡もはなはだしいものです。

 断片的短詩67篇からなる連作長編詩「戯言集」はおおまかに見て、三つの系統に分けられると思います。
 
●(a)生活報告や心境告白に留まる断篇
●(b)警句や意見表明の次元で成立している断篇
●(c)自律性の高い、独立した短詩と見なせる断篇
 
 しかし、この分類が作品の詩的訴求力とは別なのは、先に引いた「私は盲目も同然である//四方は板壁にふさがれた牢屋の中に居る」という衝撃的な断片が、内容的には(a)生活や心境報告に留まる断篇、となってしまうことでも明らかです。連作長編詩「戯言集」は詩的自律性を意図的に放棄した断篇を多量に含むことで連作長編詩全体の詩的真実性を実現しようとしており、先の三つの分類が行いやすい内容を当初から備えていると言えます。そうした分類は八木重吉の詩集『秋の瞳』にも行えるもので、ただし『秋の瞳』の場合は『戯言集』のような実生活の危機という明確なドラマ性が背景ではないためにもっと区分しにくくなっています。先の分類でも、意見表明と心境告白ではどう違うのかは微妙なニュアンスになり、能動的か受動的かの違いでしかないとも言えます。今回筆者の行う分類も異論があってしかるべきでしょう。しかしこの作業に意味があるのは、八木重吉の『秋の瞳』もまた40冊におよぶ自作小詩集のうち27冊からその10分の1以下の97篇を選び、新作20篇を加えて全117篇の『秋の瞳』を編集した意図は作品の優劣を基準とした自選詩集に限定されず、詩集全編を通して一つの作品になるような構想だったと思われるからです。ダダイズムから出発して仏教に傾倒し禅に行きついた高橋と、短い生涯を熱心な無教会派クリスチャンとしてまっとうした八木重吉ではまったく違って見えるかもしれませんが、実際には無教会派クリスチャンとはユダヤ教、ギリシャ正教、カトリック、プロテスタントを問わずキリスト教では極めて異端で破戒的な信仰の形式です。高橋と八木では八木の方が3歳の年長ですが、両者がともに従来のような内容と形式の統一を目指した、完結性の高い「詩」の概念への疑いを持っていたことで共通し、高橋の場合は破壊性、八木の場合は禁欲性によって詩的技巧を排除したものになり、その結果が高橋と八木の両者に見られる詩の断片性であるように思われます。今回は前記の分類に従って長編連作詩「戯言集」を3種に分けてみました。なお漢数字(一、二…)だった原詩の通し番号は今回の分類に当たって、見やすい算用数字(1、2…)に表記を改めました。何と分類結果は全67篇が(a)22篇、(b)23篇、(c)22篇という見事な均衡になりました。これは明らかに作為的な計算ではなく、高橋の詩人としての直感力の良さを表すと思えるのです。

高橋新吉詩集(創元選書版)
創元社・昭和27年(1952年)2月15日刊
高橋新吉詩集『戯言集』
読書新聞社・昭和9年(1934年)3月15日刊

 戯 言 集

●(a)生活報告や心境告白に留まる断篇……22篇

 1

私は盲目も同然である

四方は板壁にふさがれた牢屋の中に居る

 2

手足を動かさないで 凝乎してゐるから くだらぬ事を考えるのだ
それで手足を動かして まめまめしく働け

働くものには 罪悪と恩怨が与へられる

 3

いくらあせつても もがいても
此の二畳敷の牢の中より 一歩も外へ足を踏み出す事も 手を出す事も出来ない
此の苦しみを三年の間 一日も例外なしに 憤怒と汚辱で精神を磨滅し 骨をケズル思いで過した事は 私の将来に何を持ち来すと云ふのか
早死にと悔恨以外にはあるまい

 5

かくの如くにして 日は流れ 日が去る
私は精神病者には違ひない 精神を病んでゐる

 6

又同じやうな明日を迎える事の馬鹿らしさ
此の窮屈な牢屋の中で 首をくくる事も又大儀で 馬鹿らしくて不可能なのだ

 7

此の我々の愛情 考へ
之等のものが 凡て空に消え去るものであらうか
此の悲しみの試練に堪え 此の肉体の苦難に堪えて 私は更正するか しないかの瀬戸際にある

 10

頭をつかひ過ぎて気が狂つた男
しかし彼は今 頭をつかい過ぎる程 つかはなくては生きて居られないやうになつてゐる

 14

たった三十ぺんしか 私はまだ夏を経験してゐない
此れからあと 何べん夏が経験される事か
それも不安だ

 15

米をといだり お菜を煮たりする事は 私には凡ゆる最新のスポーツよりも楽しく光栄に充ちた労働のやうに思う
口を磨く事すら許されてゐない私には、此れらの事も言ふに及ばず 特定の人の手に委ねられてゐて 古新聞に包んで持つて来るめしとさいを 盲目か感情を持たない白痴かの如くに食ふより外に術もないのだ

 16

私が嘗めた苦しい様々の出来事 それを他人に知つて貰つたからと言つて 今になつて何にならう
私の今の苦しみが 減るわけのものでもない

 17

私はあまりに甚だしい無理な生活をしつづけて来てゐる 目はかすみ 手足は痺れてゐるのだ
私は時に斯う思ふ事がある 二つの目をくり抜いて そこへ投げて鼠に食はせてやりたいものだ すると盲目になった私を恐れるものは無くなるであらう それで以て私は湯に入つたり 杖をついてでも道を歩いたりする事も出来る 日光に浴する事も 人と話をする事も許されるであらうと 又両手を切断してでもかまはない 今の此の二畳敷内の牢生活よりは恵まれた 報ひられた生活を営むことか出来るであらうと

 18

私よりも困難な忍苦に充ちた生活を 生きた人間があるであろうかと 誰しも思うであらう
本当にそれは嘘ではないのだ 事実だ
だが楽な生活 朗らかな生活 快ろよい生活も 困難な忍苦に充ちた生活と別に違つてはゐないのだ

 27

私は淋しくて 生きてよう居らん

此の寂蓼に 私は堪える事が出来ない

 28

精も根も尽き果て 私はもう死を待つばかりである
如何に死がつまらないものであり 退屈なものであるかを 私は知り抜いてゐる
だのに 生きている事は 死以上に退屈であり つまらない事のやうにも思ふ

 29

此れほどの悲哀が私を襲ひ 私を打ちのめし 日毎夜毎に私をくさらかしてゐる
此れほどの悲哀が 夢にもあらうとは思い及ばなかつた事だのに

 31

此れから後の私の生活 それもやはり今までのやうな苦の連続であろうか
他人を食ひ物にして生きようとする心 此れが私にもあなたにもある そして私は今あなたの食ひものになつてゐる

 37

埋められた棺桶の中で目を覚ました男
其の男は私の経験した心を嘗めたであらう
そして死んで行つたであらう
私も此の牢の中で朽ち果つるであらうか
此の牢の中で 今夜にでも死ぬかも知れない
しかし死なぬかもしれぬ それで私は此の牢の中で死にたくないが故に 鉛筆の屑をなめながら之を書く
トウシビの灯をかき抱くやうにして 私は自分の生命をかき抱いてゐる だが此んな事を書く事は 私を此の牢から出す障害と却つてなるかもしれない
自分の頭が信ぜられぬ程悲惨な事があらうか 自分で自分を疑はなければならない

 42

私は死を考へると まだたまらない気になる
死ぬのが何うしても厭なのである
しかし之は 私の狂つた頭丈の考へる事であって
私の肉体は 日々死を迎へるに忙しく
日々腐りつつあり 死に達せんとする準備を営みつつある

 45

私は今何と言う苦しい気持で生きてゐるかを誰も知らない 誰にもわかつて貰へない事だ
私は今何を考え 何を夢みているかを誰にも知つて貰う事の出来ない事だ
私は事実何も考えてもゐなければ 何事も夢見ていない

 50

私は死ぬまで此の牢屋の中から出る事が出来ないか
死ぬまで此んな辛い生活をしなければならないか
此の不安は二六時中私の頭脳から消え去らない

 51

ミイラ取りがミイラになつたやうな工合に 八幡の薮知らずに這入つたやうな工合に 私はどうもがかうが叫ばうが  誰も取り合わないやうな目にあつてゐる
此れで私は感謝して満足して生を終るべきであるか

 60

私は絶望の真ん中に居る
そして絶望の右と左には鍋とはがまが居る 犬か豚の食うやうな食物にあまんじて
私は生きてゐなければならない 決して私は安楽にめしを食つて生きてゐるのぢやない

●(b)警句や意見表明の次元で成立している断篇……23篇

 4

誰がいつどういふ悪い事をするか それはわからない
だから悪い事を人にせられられないやうな立場に身を置きたいものである

 8

希望を持つて生きたい
心の希望を失ふ程人間にとつて落莫たるはない
例えば死んでから後に 極楽に往生する事を信じないで生きてゐる事 或は死ぬ事などは私には出来ない

 9

君に将来の希望を与へる
其のかはり現実の虐遇に甘んじて居れ
若し君の現実が楽しいと言ふなら
君の将来に希望がないからだ

 11

人間がどれほどの悲哀に堪え得られるものかは 人各々意見を異にするであろう
だが人間が経験する以上の悲哀がそれなれば此の世に存在するか 誰しも人間はそれがある事を否定するに違いない
自分の悲哀憂鬱寂蓼が一番大きく甚く痛感される事を 人々は知らないのだろうか
そして自己の悲哀を他人の悲哀と比べたりなんかするには及ばないのだ

 12

他人の考へを私は何う変革しようにも
私には不可能な事だ
只他人の行為の暴慢に対して防御し こちらも又行為で以て考えを現はす事の出来る丈である

 13

君は感謝して好い事と 感謝して悪い事を区別しなければならない
君が神に感謝するなら 此の世の何人にも感謝するにあたらないのだ

 19

人間は苦労をしなければならない 墾難に堪えなければならない
さうでないと ぼやぼやと死んでしまう事になるのだ

 20

私は花を見ても美しいとは思はない
私は只人間が美しい 美しい心を持つた人 美しい肉体を持つた人を私は痛切に恋したうてゐる
私が思ふのに 美しい肉体の人でないと 美しい心を持つてゐる筈はない しかし 美しいとか きたないとか 人各々の主観だ それで私は 根も葉も花も美しいと思つた事はない

 21

生が唯一のものである

生とは 死から発生した黴に過ぎないのである

 33

子供を養い育てる事
此れは誠に面白い道楽だ
此れ以上に面白い道楽が
此の世にあらうとは思へない

 34

涙を流して喜びあう事
此れ以外に世の中に何がある
或は涙を流して悲しみあふ事でも好い
私は涙の壺の中に居る そして一人で麦藁が焼けるやうに 身を燃やして泣いてゐるのだ

 35

生れたばかりに私は 生きてゆかなければならない
生れなかつた方が どれ丈よかつたか知れない
生きてゐる事は叩かれる事であり 圧し潰される事であり 馬鹿にされる事である

 36

生きてゐる事は 死んでゐる事よりも不幸な事だ
それで君は今生きてゐる
それで此れより以上の不幸が 君に起りつこない
生きてゐる事は最大不幸だ

 43

たとえ何んなに穢いまづいめしでも
三度々々欠かさずに食べられる事は 重大な原因だ 此れは人間同志が限りなく感謝しあつて好い事だ

 44

人間は自分の死を 惜しまれ なげかれ
とてもたまらない事のやうに思はれるやうな人間にならなければならない

 46

あなたの考へは凡て 死の恐怖から出発している
だから正しいとは言へない
私は何も外に考えて居らない
此の牢の中から出て行きたいのだ

 48

生きてゐて下さい 命を粗末にとりあつかわないで とは誰しも思つてゐる事だ
だが他人の命を粗末にないがしろにしないで 生きてゐる人は一人も居ない 又生きられるものでもない
我々の知恵も力も凡ての本能も 只自己擁護と永続とに役立ち 分別される丈のものであるやうだ

 49

死に向かつて行く態度 之は好くない
死とよそよそしくするにも及ばないが 死と富にあまり近接し過ぎる事も好くない
死に圧倒されて 阿呆になつた男の言つた事だ
死とは私のものぢやない 貴君のものだ

 52

物の成長を見る事 それは我々には楽しみだと言へる
しかしながら草が繁茂し 樹木の実が熟するのも それは我々の屍体が腐敗するのと同じ行程であつて 時の流れに抗する事が出来ない事を思はす丈ではないか

 57

凡てを新しくする事 此れは必要だ 凡てを固定せしむなかれ と云ふよりも 凡て固定しているものは一つもない
ところが此れは大変ないつはりだと私は思ふ
凡てが固定してゐるのだ 一切が宿命だとも思へる

 62

我々はきつと生れかはる事があるのであります
それはキリストが再臨するばかりでなく
我々は既に誰かの生れかはりなのであります

 65

そんな世迷ひ言や 厭世家めいた事を言ふのは 君の心に余裕があると言ふものだ
煙が廂を匍つてゐる

 67

海を丁寧に覚えてゐる人間があらうか
夢なんか丁寧に覚えてゐたところで 何にもならないのだ
ところが 人生も又夢の如きだとすれば
何うしたら好いか

●(c)自律性の高い、独立した短詩と見なせる断篇……22篇

 22

君のやうに あまりに生きる事に熱くなるな

風が吹いてゐるように生きられないか

 23

私は掘出された刹那の

芋の如き存在でありたい

 24

悲しみを忘れる為の労働

どんな仕事でも好い

 25

私は青い星を見た

その星は青かつた

其の光を

私は竹薮の竹の根の 青い石にも見た

 26

私はあなたと話しがしたいのです

話をする事

此の世の中に 此れ以上の快楽はないと私は思つてゐる
 
 30

雨が今日は降つてゐる
私は死んで行った多くの人達の事を思つてゐる
雨の水滴の一つ一つに それ等の人の顔が輝いては土に吸い込まれてゐると想像する

 32

棄てられし 白い紙面の悲哀を

子供は知らない

 38

私は父の悲痛な さびしさうな顔を
未だに忘れる事が出来ない
お父さん
許して下さい
私が生れ出た事
此れはお父さんにとつては 死を予定した出来事だったのです

 39

殺しあう事も 憎みあう事も
みんなさびしいからなんだ
誰もかも みんな じつとして居られないのだ
みんなは一つの塊りなんだ
それが 割れたり壊れたりするんだ

 40

山鳩よ ひよろひよろと鳴け
川魚よ 涙を溜めてピチピチと泣け

 41

それで
私は実につらい口惜しい
それで
私は実に恐い情けない
それで
私は実に生きて居りたいのだ

 47

あまりに何事も大事に取扱い 思い過ごすな
何事も
自分の死も 子供の死も 兄弟の死も 親の死も
それらの事を 蝿のヒツタ糞のやうに
又は曇つた日の音楽のやうに考へろ

 53

あなたが先に死なうが
私が先に死なうが 心おきなく死ねるやうにしておきませう

 54

死は私ばかりを狙つて居るのぢやない
ところで青年諸君 死は今私の腹の中に逃げ込んでかくれてゐるんだ 石でもつて 叩きしやいでくれたまへ

 55

死の準備はしとかなくちやならんし
バケツは修繕しなければならん

 56

下駄を履いた足だけを 世の中に出して見せるのだ
太陽のそばへもそれで以て歩いて行くのだ

 58

私の考へは 言葉に現す事が出来ない
適当な言葉が見つからないのだ
お互いに死ぬまで生きて居りませう
あなたは其のかはり めしを炊いて毎日食べさせて下さい 私はじつと遊んで居りますから

 59

生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共

生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共

生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共

生きてゐる事は 滑稽な事だ

 61

短夜を
 つまり私は 一枚の着物に過ぎなかつた

 63

牛や馬や豚よ
おう牛や馬や豚よ
鳥が鳴いてゐるのを君達は何んな風に聞いてゐるのか

 64

世の中は斯うしたものか それで先に急いで死んだ人が利口なと言う事になる
私はでも死ねない
死の幸福を先に先にと延ばして 苦しみもがき あへいで生きてゐる

 66

人間はあまりに今まで魚を食べ過ぎた
それで私は魚の食べものにならう
海に死んで

(連作長編詩「戯言集」完)
 
(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。)
(以下次回)