8月になると台風シーズン到来ですね。今も大きな二つの台風が日本を狙ってます。
またまた、昔、昔の話をしましょう。話は長くなりますが、昔は台風に女性の名前が付けられていました。時代は戦後。1952年のサンフランシスコ平和条約で形だけ戦後が終了するまでのお話です。所謂、占領下の時代ですね。
当時の気象観測は日本と米軍によって行われていました。日本側は番号で呼びましたが、アメリカではハリケーンに女性の名前を付ける習慣があり、台風にも女性の名前を付けました。10年前のハリケーン・カトリーナは記憶に新しいしいですね。
それらはキャサリン台風、キティ台風、ジェーン台風などです。勿論知らない方が殆どでしょう。日本側では現在のように番号で呼んでました。
しかし、皆さん番号と名称では、どちらが記憶に残ると思いますか?そりゃ名称ですよね。室戸台風とか狩野川台風とか伊勢湾台風とか洞爺丸台風など記憶に残ってますが、号数で言われてもチンプンカンプンですよね。国際的には日本の台風にも女性の名前が付けられているそうです。
今ではハリケーンには女性だけでなく、男性の名前も付けられています。女性差別反対ってことかな。年毎にA,B,C・・・順で名前を付けられます。日本でなら差し詰め「あゆみ台風」「いくよ台風」なんてなるかも。
ジェーン台風ですが、1950年8月30日に四国に上陸し、日本海に抜け、その後北海道へ再上陸してオホーツク海に抜けて行きました。当時、札幌で中学生でしたが、昼から休校になり、強風で飛ばされそうになりながら帰宅したのを覚えています。北海道では余り大きな被害はなかったのですが、ジェーン台風という名前でよく記憶に残っているのでしょう。
それから台風の記憶とし残っているのは1958年9月21日に来た狩野川台風です。当時、大学の3年生でした。大学のオーケストラ仲間と中国・九州など西の地方へ演奏旅行に行きました。終わってから仲間と別れて長崎、熊本、阿蘇山、別府など一人で旅をしました。九州を汽車で発つ時、台風で急行は動かず、仕方なく鈍行で乗換・乗換で凄く長い時間を掛けて東京に戻って来ました。狩野川台風が襲った直後で、鈍行でも汽車が動いていてくれたのは運がよかったです。
当時、旅行でお金を使い果たして、ポケットには数百円しかありません。お腹をすかして、東京駅からは中央線で終電に乗りました。おまけに荻窪までしか行きません。西荻窪で降りて、当時住んでいた井の頭線の久我山まで、真っ暗な夜道をヴァイオリンと旅行カバンを持って30分くらい歩きました。家に付いたのは2時半を過ぎていたと思います。疲労困憊して玄関のベルを押して、やや暫くして出てきた家人が「あら、どうしたの今頃、ゆうれいみたいだよ」って笑われたのを覚えています。
台風の思い出で話ですが、この狩野川台風は伊豆半島に大きな被害を及ぼしました。この台風にも女性の名前のIdaという国際名が付いているそうです。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ