この子たちの為に | フィフィ オフィシャルブログ「All about FIFI」by Ameba

この子たちの為に

今頃になって政府が公表したメルトダウンや、メルトスルー。放射性物質の数値の修正。今さらそんなこと知らせれて私たちどうすればいい?
繰り返される『直ちに健康に影響を及ぼす値では無い』コレ、ほんとに信じていい?
原発事故直後の恐怖心は日に日に薄らいで、アイドルの総選挙に浮かれてる様子を伝えるメディア報道。政治もその主権を争って、でも国民が本当に知りたいのは明日の日本。この国どうなっちゃうの?今年も自殺者は三万人を越えた。チャンネル回せば女性アイドル達がお尻を振って妖艶なダンス。イケメン男性を追っかける中年の女性たち。ガレキの撤去が進まない被災地。グラウンドで遊べない子供たち。静岡のお茶は飲めなくなるの?政権争いに必死でヤジ飛ばす議員さん。原発事故現場に働く作業員。
何が良いとか悪いとかもうそんなのじゃなくて、、これも現状。将来、自分達の身に何かがふりかかったて誰かが責任とってくれると思う?もうさ、自分で決めるしかないんだと思うのね。正確かどうかもさだかじゃない情報を自分なりに判断して。
そう言えば、先日タレントの岡本夏生さんが芸能活動の休止を発表したよね。ボランティア活動に専念したいとかで、他にも原発反対活動を続けるってことで事務所を辞めた俳優さんもいたり。その是非を問うわけでもなく、彼らは自分の将来と、日本の未来と現状を真剣に考えて生き方を選択したんだよね。
 私たちに出来ること、今までは被災地のこと第一に考えてきた。もちろんこれからも被災地を考えなければならない、被災地の復興は日本の復興なんだから。またそれと同時に日本の未来をも考えて自分の生き方を考える時期に来てると思うの。日本人は今まで政府をとても信用してきた。この先進国において、何かあっても、ここまで制度の整った国は無い、、政府は必ず国民を救ってくれる。そう信じてきた。その為に国民は身を削って働いてきたのだから。しかし今その期待が崩れようとしている。どう見ても政府は自分たちのことを第一に考えて発言しているし、むそろ発表を控えてきた。守りたいのは国民なのだろうか?それとも自分たちの足元なのだろうか?
 この時期に有難いことに友人がデザインに携わったということでガイガーカウンターを送ってきた。使ってみてとのこと。正直、これで放射能レベルを知って安心したいどころかかえって不安になったらどうしようと思った。被災地の人だってほとんどの人がこれを手にしてないよね?たぶん手渡されても、その数値を測ったところでどうせ逃げられないのだから、どうしろと?そんな想いの方が強いんじゃないかな。
 でも、公表される数値に誤魔化されて安心して生きていて、後々取り返しがつかなくなったらそれに後悔して、あの時の国の姿勢に納得できるかな。国は表立って言うとは思わないけど結局、国民の自己判断に委ねてるところがあると思うんだよね。最後は自己責任なんだろうなって。だってあまりに被害が広範囲すぎる。国がそれを全て補償できるとは思えない。
 小学一年になる息子が言った。
『なんかね、爆発してね、風が吹くと危ない粉がたくさん空からふってくるんだよ!』学校のお友達と話してるのかな、そんなこと。
こんな小さな子供でもどこかに不安を抱いてるのかな。もちろん世の中に危険な事は放射能だけじゃない、農薬だって、添加物だって全てが安心とは言えない。でも20年後、放射能汚染の影響でこの子が辛い気持ちになったら私は後悔するのかな。自分の選択に自信が持てない。
 子供に測定器を持たせることは子供にさらなる不安を煽ることになるのかな?でも、この子はすでに日本で震災を経験していて、少なからず被爆している。そしてこれからも日本と共に生きていく子供なの。日本の未来を担っていくとき、せめて彼が原発や放射能についての関心を持って生きて欲しいと私は思うわけ。そしてそれを議論することの重要性を認識して欲しいの。またそのことを世界に発信して人類のこれからと環境問題を率先して世界に訴える役割を果たして欲しいと願うの。だから私はあえて子供に測定器を持たせてみた。さぁ、測ってみようか、ママが説明してあげる。
 思えば、日本は二度被爆してることになるんだよね?
今までだって原爆による被爆国として、平和を世界に訴える役割を務めてきたじゃない?世界の核廃止を訴える傍ら原発を推進して、そして自らがもう一度被爆してしまったんだよね、今回の震災の原発事故によって。どこか矛盾していたんだよね。かといってこの原発のおかげで日本は莫大なエネルギーを得て飛躍的に急成長し、先進国にまでのぼりつめた。
 幸福ってなんだろう?経済発展してきた裏側で人々は生活にゆとりを無くし、少子化が進み、そして気が付けば国力が衰退していく。多くの問題を抱え、震災に見舞われ、それでも無理にその輝かしい時代の電力を取り戻そうとしているけど。今まで幸福だったかな?私たちはお金を生むことが幸せなんだと、どこかで過信してはいなかっただろうか?
 幸福論の次元から考えないと原発への答えは見えてこないような気がするんだけど。どうだろ?
日本人はまだすぐに慣れないと思うけど今だって必死にひとりひとりが節電を意識して、電力消費に頼らない生活の術を模索している。
 たとえばかつてのニューヨーク大停電はベビーブームを引き起こした。たとえば家族で囲むろうそくの火は貴重な時間を作るかもしれない。電気、それは人類の文明と経済発展に大きな役割を果たしてきた、これからももちろんそれは我々に必要で、でも過剰な電力消費で人々は幸せになれるだろうか?電気を灯すことの必要性と、電気を消してみることの重要性を話し合ってみてはどうだろう?


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協力:ガイガーカウンターレンタルサービス シエスタ