日本の経済に光を | フィフィ オフィシャルブログ「All about FIFI」by Ameba

日本の経済に光を

この数日、生放送の情報番組に出てる時も、やはりどこかで迷いがあったかもしれない。テレビの向こうで苦しんでる人もいるのに、安否のわからない多くの人、未だ瓦礫の中や海辺に残されたままの遺体。こんなこと書くだけで不謹慎なのかもしれない。被災した方々の切なる言葉を聞くたびに胸打ちひしがれて、とても笑顔でなんかいられないのに、この時ほど自分の仕事が残酷に思えた時はない。
私はカメラの前で笑顔を作った。きっと私の隣の芸人さんも同じ気持ちだったに違いない。メイク室で戸惑いながら、その日の衣装について相談された。
この日のメインコーナーは出演者総出のクイズバトルだった。いつもよりどことなくぎこちなかった。そして番組の終わりにさしかかった時、華道家と書人によるパフォーマンスがスタジオで披露された。日本を元気付ける為に行われたというから、いつもの私ならあまり好まない演出だったかもしれない、そんな事で被災した方々が救われますか?といった具合に。
気がつくと私は下唇をギュッと噛み締めて泣くのを堪えていた。私だけじゃなかった。なんでだろう、自分のことで嫌な言い方になるかもしれないけど、わたしは自分が解けた気がした。この生放送の出演にあたって、衣装からメイクから、相応しくあるべきと考えたり、何より心の整理に至るまで、いく度となく葛藤や自問自答を繰り返した。大袈裟ではなく本当に。だからその時、あのダイナミックに生けられた黄色の花や力強い筆使いに緊張が解けた気がして、ずっとその日、番組内でどこか自分の気持ちと裏腹に笑顔でいなきゃいけなかったのが、自分の気持ちを解放していいんだよって、その瞬間に救われた気がして涙が溢れた。
前の記事にも書いたけど、自粛ムードが続くばかりでも、それはかえって日本経済には逆効果になってしまう、働けるチャンスがあるなら精一杯働いて日本の復興に還元すべきなのだけど。ただ私たちのようなエンタメの分野は簡単にはいかない。人を笑わせたり楽しませたりする以前に必要な事があるのを私たち自身意識している訳で、どこか常に迷いながら仕事をしている。こんな悩み被災された方々には失礼なくらいちっぽけで、正直情けないくらい。別に自分たちに稼がせてくれとゆう安易な想いからではなく、私たちは働かなければ援助に回るお金を出せない人もいるわけで。そこを理解して頂けたらなと思う。たとえば、、、
もし、私が作家なら今の気持ちのまま表現できる物語を本にするだろうし、もし、私が絵描きなら今の気持ちのまま溢れ出た想いをキャンパスに描くだろう。もし私が映画監督なら今伝えたいメッセージを映画にするだろうし、もし私が歌手ならば今のわたしの気持ちのままで、その言葉を曲にすると思うのね。もちろんとてもじゃないけどキャラにそぐわないアーティストもいると思うけど、みんな今の日本に思う気持ちは変わらないと思う。アーティストはその才能を生かしてどんどん前に出ていいと思う。働く事で義援金に変えていけたら、それはすぐにでも届く援助になるし、働く事で日本の経済を元気にするならそれも大事だから。
そしてなにより、被災された方々や亡くなられた方の中にも、彼らのファンは沢山いたはず。自腹でもいい、チャリティーでもいい、大袈裟なアピールでも、ささやかでも義援金につながればそれはファンへの恩返しになるよね。その才能を生かしてどんどん経済効果を産めばいい。
このムードが終わる時期を見計らってなんて言葉を耳にした時、このムードが終わるってなに?と思ってしまった。この先だって復興には莫大な労力と、長い年月を費やすだろうし、被災した方々の心からは一生拭いきれない傷だし、日本がずっと背負っていく悲しみなんだよ?終わるなんて言葉で片付ける事じゃない。ずっと続くの、悲しみは終わるんじゃなくて癒されていって、また立ち上がるの。そんなの、ひとりじゃ崩れてしまうから、みんなで支え合ってやってくしか無いんだよね。
一瞬にして日本は変わってしまいました。いまでも、現実を疑うくらい、あまりにもあっけなく。誰もがそのショックからなかなか抜けられずにいるけど、その惨状を前に私たちは落ち込んでいる場合ではないよね、東北で頑張っている人達は落ち込むどころか自分達の手で出来ること精一杯をしている。我慢強い。私達も働いて働いて日本を支えなきゃいけない。節電でネオンの無い街は活気を失ったけど、私達の力で日本の経済に光を灯すことが出来ればと思う。