10/21

ルームメートのお誕生日のプレゼントを探していた。


なかなかいいものが見つからなくて前日になってしまった。
大家さんのスアードの妹、イーマーンが一緒に探してくれた。
結局その日も気に入ったものが見つけられず、お誕生日当日になるけど、
翌日メディナの空いている時間に一緒に行ってくれることになった。

イーマーンは初対面だった。
姉のアパートの住人というだけで
こんな風になってしまうのだから不思議だ。
ここでは人と人のつながりがとても強い。
家族の友達は家族
といったところか。

翌日メディナに行った帰りに、
イーマーンは近くに住む家族や親戚に私を紹介した。
いとこやおばさん、お母さん、お兄さんの奥さんやその子供たちにまで。
「ラマダンの夕食に是非いらっしゃい!」
とみんなが誘ってくれた。
日本みたいに社交辞令な感じでないのが嬉しかった。

「友達のお誕生日で SIDI BOU SIDE に食事に行くことになっているから」、と残念ながら断った。
もし予定がなかったら遠慮なくごちそうになっていたと思う。

イーマーンのおかげで、友達へのすてきなプレゼントがみつかった。
いろんな人と出会えたことで、私もプレゼントされた気分だった。

10/21

大家さんのスアードはラマダンの夜の話とか、
そんなことまで教えてくれるの?と
私たちが反応に困ってしまうような話もしてくれた。

彼女はオープンな方だとは思うけど、
ムスリマの女性が、教えに基づく自分たちの生活について、
異教徒である私に事細かに教えてくれるのは意外だった。

いろいろなことに興味はあっても
根掘り葉掘り聞くのは失礼だと思って、
こちらから聞くことはできなかった。

だから彼女が、こういうこと知ってる?
といってはさまざまなことを教えてくれるのはありがたい。

fifi、わかった?

うん、わかったよ。

あらそう?どういうことだった?という表情のスアード。

つまり、こういうことでしょう?・・・

と言った具合に、私がアラビア語で説明できるまで彼女はのんびり待ってくれる。

わかってないと何度もその繰り返し。
たまに疲れてしまうこともあるけど。


スアードに限らず、チュニジア人は相手がちゃんと理解するまでとことん話す傾向があると思う。
今までの私は、なんとなく理解した気になったり、多分こういうことだろうと憶測で
大概のことをやり過ごしてきたかもしれない。

ちょっと衝撃だ。


10/21下の階の大家さんの家に行った。


携帯を買おうとしていたら、

「チュニジア人が一緒に行くと安くなるから」
と、大家さんスアードの長女 fifi が一緒に行ってくれることになっていた。

私の名前はチュニジア人には難しいらしく、fifi と呼ばれている。


学校でも自分の名前を5、6回言ってもわかってもらえなくて、結局 fifi になった。
(大学でこのあだなをつけてくれたNちゃん、先見の明あり!!)

大家さんの娘と同じニックネームになったので、
彼女は小さいfifi、私は大きいfifiということになっている。笑

fifiが学校から帰るのを待っている間、
のスアード(女性)がラマダンについて教えてくれた。


なぜラマダンがあるのか
彼女によるとその主な理由は
富める者も貧しい者も等しくなるためにある
のだそうだ。

裕福な人は貧しい人に分け与えるという教えのあるイスラーム。
ラマダンの間(の昼間)は裕福な人も食事をとらず、
貧しい人がどういう状況か知ることになる。

「みんな平等だという考えのもと、昼間は通りの貧しい人にもお金をあげないのよ」
と彼女は言った。


(つまり、普段は、通りに座っている貧しい人に小銭を渡したりするけど、

 ラマダンの昼間はみんなが平等であるべきあり、通常「裕福な人」も「貧しい人」に分け与えないということ)

 (事実は調べる必要がある)