公共交通機関を乗り継いで、JR高崎駅で降り、滞在ホテルに荷物を預け、前回たびを終えた南町という交差点までやってきた。
9月の3連休と有給休暇を利用してのたび。今回は高崎駅でJR系のホテルを予約することが出来、いつもより快適に宿泊出来そう(^^)。また高崎駅周辺でのグルメも楽しみだ(^^)。
何はともあれ、旧中山道のたびを再開(^^)。旧中山道の道筋を南東へ進み、倉賀野宿へ向かう。
10分ほど歩いたところで、上信電鉄の踏切に出た。
ガイドブックによると、このあたりまでが高崎宿だったようだ。
残念ながら、高崎宿では往時を想い起こすことの出来る史跡などをあまり見つけることが出来なかったが、高崎での食事の際に多くの良い飲食店を見つけることが出来、そういう意味ではたいへん思い出に残るところだった(^^)。
踏切を渡り、倉賀野宿へ向かう。
30分ほど歩き、倉賀野町西という交差点が見えてきたところで、左手に入る道があった。
ガイドブックに従い、左折して歩く。
歩いてすぐに丁字路に出た。
往時はまだまっすぐに進む道筋となっていたようだが、現在は通れないようであり、右折してまた先ほど歩いて来た大通りに出て、南東へ進む。
少し歩いたところで左手に未舗装の道があった。
この道が旧中山道の道筋だったようで、先ほどの右折した丁字路とつながっていたのだろうか。
引き続き南東へ進む。
10分ほど歩いたところで、並木道に出た。
設置いただいている案内看板によると、この並木は、往時のものだそうだ。
並木道の歩道部分を歩く。
10分足らず歩いたところで、左手に安楽寺というお寺が見えてきた。
ガイドブックによると、このあたりからが倉賀野宿だそうだ。
倉賀野宿内をゆっくりと歩く。
少し歩いたところで高札場跡があった。
この掲示いただいている看板は往時のものを復元されたものなのだろうか。往時、欧米は植民地支配の先駆としてキリスト教の布教をしていたと世界史の授業で習ったことがあったが、「きりしたん」にはやはり厳罰が下されていたようだ。
一人興味深く思いながら、東へ進む。
15分ほど歩いたところで、道が分岐しており、右手の南東へ伸びる道を進む。分岐点あたりに常夜燈が設置されていた。
ここで、往時は日光例幣使道と旧中山道は分かれていたそうだ。
ということは、倉賀野宿はこのあたりまでだったのだろうか。
倉賀野宿を後にして、新町宿へ向かう。










































