宿泊地からJRに乗り、軽井沢駅から近くの赤バス乗車場まで歩いて赤バスに乗車、昨日たびを終えたところまでやってきた。

 

昨日碓氷峠の頂上までたどり着いており、今日の行程では下り坂がメインだと思われるが、ヒルが出るそうで、くつや靴下に飽和食塩水を噴霧し、吸われないように十分に注意しながら歩こうと思う。

 

このあたりは既に群馬県のようであり、一人またなんとなく達成感を覚えながら歩き始める。

 

山道に入り、5分ほど歩いたところで、道が分かれていた。

 

今日の行程はガイドブックに従って歩こうとは思うものの、詳細まで分からないところもあり、現地の情報がたより。ここは坂を下る道筋は水源池に向かうようであり、道の形状からも考えてまっすぐに進む。

 

道なりに少し歩いたところでまた道が分かれていた。

 

設置頂いている案内看板に従い、右へ入る道を進む。

 

2~3分歩いたところでまた道が分岐していた。

 

ここも設置頂いている案内看板に従い、左折し歩く。

 

このあたりはかなりの坂道だ。

 

坂道を15分ほど歩いたところで、沢に出た。

 

ガイドブックに「沢を渡る」表示があり、安心しつつ、ただ沢を渡るのにすべらないように十分注意して、歩く。

 

沢を渡り少し歩いたところで人馬施行所跡の看板を設置頂いていた。

 

往時はここで旅人の方々にお粥などが施されていたそうだ。

このあたりは坂道であり、多くの人が一息つかれたのだろうと一人思う。

 

引き続き坂道を歩く。ただ、ほとんどが下り坂なので歩きやすい(^^)。

 

人馬施行所跡を過ぎて2~3分歩いたところで化粧水跡の案内看板を設置頂いているのを見つけた。

 

ここには往時は水場があり、旅人の方々はここで服装などを直されたそうだ。

今は水場はないものの、往時はここにあったのだろう。

 

引き続き坂道を歩く。

 

5分ほど歩いたところで、少し大きな道と合流した。

 

ここは陣馬が原追分というそうで、和宮降嫁の際に開削された道との分岐点のようだ。

 

また、このあたりは子持山というそうで、分岐点に子持山を題材として詠んだとされる万葉集の歌が掲示されていた。設置頂いていた。

 

分岐点を道なりにまっすぐに進む方向へ歩く。

 

5分ほど歩いたところで、一つ家跡という案内看板を設置頂いているのを見つけた。

 

ここに老婆が住んでいて、旅人を苦しめたそうだ。

 

悪人であれば捕まったりしたのだと思うが、このような伝承があるとはどのような状況だったのだろうかとひとり思う。

 

一つ家跡の看板を後にして、歩く。

 

坂道を5分ほど歩いたところで、山中坂の看板が設置されていた。

 

今歩いて来た坂が山中坂だったようだ。

 

引き続き坂道を降りる。

 

2~3分歩いたところで山中学校跡の看板が設置されていた。

 

また山中茶屋跡の看板も設置頂いていた。

 

一帯は少し開けており、このあたりに茶屋があり、江戸から京へ向かう往時の旅人の方々は休憩されてから、山中坂を登られたようだ。

 

今日から江戸に向かう私は幸い(?)下り坂であり、そのまままた歩く(^^)。

 

5分ほど歩いたところで、入道くぼという案内看板が設置されていた。

 

このあたりが山中茶屋の入口だったそうだ。

 

相当広い茶屋だったのだと思いつつ、歩く。

 

15分ほど歩いたところで、栗が原という案内看板が設置されていた。

 

ここは明治になってから「見回り方屯所」が設けられ、交番の発祥の地とされているそうだ。

 

また少し歩いたところで道が分岐していた。

 

設置頂いている案内看板に従い左手の道を進む。

 

10分ほど歩いたところで座頭ころがしの案内看板を設置頂いているのを見つけた。

 

座頭とは江戸時代の目の不自由な方の組合の階級だったと思うが、それだけ危険な場所だったということなのだろう。

 

5分ほど歩いたところで、一里塚跡の看板が設置されていた。

 

このあたりに、東山道時代の一里塚があったそうだ。

 

一里塚跡を過ぎて、道なりに歩く。

 

2~3分歩いたところで北向馬頭観世音の案内看板を設置頂いているのを見つけた。

 

馬頭観世音像は見つけることが出来なかったが、馬頭観世音像があるところは危険な場所であったそうだ。確かに碓氷峠は危険な場所だ(^^;。また、いままで気付かなかったが、観世音像と観音像は異なるそうだ。

 

北向馬頭観世音像を過ぎて少し歩いたところ南向馬頭観世音像が祀られていた。

 

北向と南向一体となって旅人の方々安全を祈って祀られたのだろうか。

 

有難く思いながら、歩く。

 

少し歩いたところで掘り切り跡があった。

 

ここは豊臣秀吉の小田原城攻めの際に防戦のため道を狭く掘り切られたところだそうだ。

 

江戸幕府が開かれる以前からこの道が使われていたのだと改めて歴史を感じることが出来、ひとりうれしく思いながら歩く。

 

15分ほど歩いたところで、関所跡があった。

 

設置いただいている看板によると、899年に設置されたそうだ。

899年とは平安時代だと思うが、その時から交通の要衝だったのだとひとり思う。

関所跡から少し歩いたところで茶屋跡があった。

 

往時は関所や茶屋があり、このあたりはにぎやかだったのだろうか。
 

5分ほど歩いたところで、風穴があった。

 

湿った空気が吹き出しているそうだが、周辺だけ苔が生えており、ひとり興味深く思う。

 

少し歩いたところで観世音の石碑が建てられていた。

 

これも旅人の方々の安全を祈って建てられたものだろうか。

 

少し歩いたところで「覗」という場所に出た。

 

ここから見えるこの景色が、坂本宿のようだ。

 

往時、京側から来られた方は、碓氷峠を越えこの景色を見て、さぞかし安心されたことだろうと思う。

 

「覗」を過ぎて、坂道を降りる。

 

少し歩いたところで、上り地蔵下り地蔵の碑が立てられていた。

 

ガイドブックによると、このあたりに上り報告下り方向それぞれお地蔵様があるようだが、どれのことか分からなかった(TT)。

 

引き続き坂道を降りる。

 

5分ほど歩いたところで、石碑が建てられていた。

 

ガイドブックを見てもどのようないわれがあるのか分からなかったが、いずれにしても旅人の方々の安全を祈って建てられているのだろうとひとり興味深く思う。

 

少し歩いたところで、柱状節理がよく分かるところがあった。


柱状節理とは、火山から流れ出た溶岩が、ゆっくり冷え固まって、規則正しい柱のような割れ目になることだそうで、ひとり興味深く拝見する(^^)。

 

ここからただただひたすら道なりに坂道を降りる。

 

20分ほど歩いたところで、堂峰番所跡の看板が設置されていた。

 

このあたりに番所があったそうだ。

 

番所跡を過ぎて、坂道を降りる。

 

5分ほど歩いたところで、アスファルト舗装の道に出た。

 

どうやら、碓氷峠は無事に越えたようでひとり小躍りする(^^)。

 

このアスファルト舗装の道は国道18号線のようであり、横断し、ガードレールの切れ目からまた草道に入る。

 

この草道に入ったところで道が分かれており、ななめ左に降りる道を進む。

 

坂道を降りていくと、電気柵があり、架けてある電線を感電しないように外し、通り抜けた後元に戻して歩く。

 

少し歩いたところで、5分ほど歩いたところで、またアスファルト舗装の道に出た。

 

ここを左折し、国道18号線に合流し、南東の方角へ歩く。

 

5分ほど歩いたところで、坂本宿の標柱を設置頂いているのを見つけた。

 

どうやら、このあたりからが坂本宿のようだ。

 

坂本宿内をゆっくりと歩く。

 

5分ほど歩いたところで、歴史を感じることの出来る建物があった。

 

これは、往時は「かぎや」と呼ばれた旅籠だった建物だそうだ。

 

少し歩いたところに屋号一覧の看板も設置頂いていた。

 

このような看板があると往時の旅人の気分を味わうことが出来、有難い(^^)。

 

また、近くに本陣跡の看板も設置頂いていた。

 

坂本宿では、さまざまな往時を想い起こすことが出来る史跡が残っており、歩いていて楽しい(^^)。

 

道なりに15分ほど歩いたところで、左に逸れる道があった。

 

中山道はこの道を左に進むようだ。

また、このあたりでは既に坂本宿を過ぎてしまっていたようだ。

 

坂本宿を後にして、松井田宿へ向かう。

 

道なりに5分ほど歩いたところで、大通りに出た。

 

この大通りは国道18号線のようであり、合流し、東へ進む。

 

少し歩いたところでまた道が分岐していた。

 

国道18号線は右カーブとなっていたが、中山道はまっすぐに進むようであり、高架をくぐり抜けて歩く。

 

少し歩いたところで碓氷関所跡があった。

 

この門は往時の時のままの門だそうだ。

 

歴史を感じながら、歩く(^^)。

 

途中、食堂があり、お昼ご飯をいただく。相席になった方が以前テレビで中山道の特集をされた際に出演されたことがあるそうで、来られたタレントの方の話などをお聞きすることが出来、有難く思う。

 

お昼ご飯もおいしくいただき、道なりに歩いていると、踏切が見えてきた。

 

踏切を渡り、国道18号線を南東へ進む。

 

5分ほど歩いたところで、右手に入る道があった。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、右手に入る道を進む。

 

この分岐点に百合若大臣という大男の足跡というものがあったが、ユーリーというロシアの方から流れ着いた人がいたのではないか、とひとり想像する(^^)。

 

少し歩いたところでまた国道18号線に出た。

 

ここからまた国道18号線を歩く。

 

2~3分歩いたところでまた道が分岐していた。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、またここを右手に入る。

 

分岐点に道祖神が祀られていた。

 

これもこのあたりの方が旅人の方々の安全を祈って祀っていただいているのだろうと有難く思う。

 

5分ほど歩いたところで、また国道18号線に出た。

 

事前に調べた情報によると、往時はここからまっすぐに進む道筋だったようだが、現在はJR線で分断されて通れないようだ。

 

国道18号線を北東へ戻る方向に進み、一番近い踏切を渡り、碓氷神社を左に見ながら歩く。

 

少し歩いたところでまた中山道の道筋となっていたようだ。

 

道なりに5分ほど歩いたところで、交差点に出た。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、また道なりにまっすぐに進む。

 

5分ほど歩いたところで、茶釜石の看板が設置され、お地蔵様が祀られているのを見つけた。

 

ここもまた旅人の方々の安全を祈ってこのあたりの方々が祀ってくださっているのだろう。

 

少し歩いたところでまた石碑が建てられていた。

 

有難く思いながら、歩く。

 

少し歩いたところでまた踏切に出た。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、踏切を渡り、すぐに左折し、歩く。

 

5分ほど歩いたところで、左手に高札場跡があった。

 

このあたりは宿ではなかったと思うが、多くの方が住んでおられ、高札場があったのだろうか。

 

高札場跡を後にして、5分ほど歩き上信越自動車道の高架を過ぎてまっすぐに進んだあたりでまた国道18号線に出た。

 

中山道の道筋はここからまっすぐに進むようだが、国道18号線で分断されており、近くの交差点から回り込むように歩く。

 

回り込み、国道18号線の南側に出た。

 

ここからの道筋はガイドブックとグーグルマップで少し異なっており、迷ったが、設置いただいている標柱では右手の方向の道を進むとなっており、それに従い、歩く。

 

少し歩いたところでまた左手にお地蔵様が祀られていた。

 

有難く思いながら、歩く。

 

少し歩いたところでまた交差点に出た。

 

ここから往時はまだまっすぐに進む道筋となっていたようだが、旧道は消滅しているそうだ。

そのため、ガイドブックに従い、左折し、歩く。

 

少し歩いたところでまた交差点に出た。

 

ガイドブックに従い、右折し、歩く。また、このあたりからグーグルマップとガイドブックの道筋がまた同じ道筋となっていた。

 

道なりに歩く。

 

5分ほど歩いたところで、踏切に出た。

 

踏切を渡り、また道なりに歩く。

 

5分ほど歩いたところで、右手に踏切が見えてきた。

 

往時はここから踏切を渡り右手に伸びる道筋が消滅した中山道だったようだ。

 

現在の中山道を歩くべく道なりにまっすぐに進む。

 

2~3分歩いたところで一里塚跡があった。

 

ここは新堀という名の一里塚だったようだ。

実はここを通りかかった時にいったん看板に気付かずに通り過ぎてしまったのだが、こちらにお住まいの方がたまたま庭先にいらっしゃり呼び止めてくださって、おかげさまでご説明等いただくことが出来た。

 

たびについてのさまざまなお気遣いもいただき、本当に有り難く思いながら、また道なりに歩く。

 

道なりに少し歩いたところ丁字路に出た。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、丁字路を右折し、歩く。

 

2~3分歩いたところで、西松井田駅前という交差点に出た。

 

交差点を渡る。

 

今日のたびはここまで。歩いた距離はおおよそ16㌔程度、所要時間はお昼ご飯の時間を除いても5時間程度かかったようだ。やはり山道を歩いたためか予定よりだいぶ時間がかかってしまった。

 

ただ、無事にヒルに吸われることもなく碓氷峠を越えることが出来た(^^)。

 

ここから日本橋まで、峠はないはず(^^;。中山道のたびも終盤にさしかかり、今まで以上にひとつひとつの宿を大切に見て回りたいと思う。