今回のたびも旅行会社のツアーに参加(^^)。今回の行程では大井宿まで向かう予定だ。
バスに乗り、前回たびを終えたところまでやってきた。
ここから、旧中山道のたびをスタート(^^)。大井宿へ向かう。
丁字路を右折して歩く。
少し歩くと交差点に出た。
ここから交差点を直進し、坂道を登るようだ。
坂道の途中で十三峠入口の看板があった。
ツアーガイドさんによると、ここから十三と余りの坂を越えていくそうだ。
また、どうやらこのあたりまでが大湫宿だったようだ。
大湫宿を後にして、大井宿に向かう。
道の左側に石仏群があった。
ここで旅人の安全を祈ってくださっているのだろう。今回の行程も無事に終わるようにお祈りし、ツアー参加の他の方に遅れないように歩く(^^)。
10分ほど歩いたところで車道に出た。
ツアーガイドさんに従って、車道を渡り、また坂道上る。
2~3分歩いたところで、右に入る道があった。
道を入ったところにお地蔵さまが祀られていた。
このお地蔵さまは中山道を歩いていた商人の関係者が急病になった時にこの湧水を飲んで助かり、それに感謝し建立されたそうだ。また、お地蔵さまの後ろから湧水が出ており、尻冷やし地蔵と呼ばれているそうだ。
また新たな知識を得られたことに感謝しながら、歩く。
5分ほど歩いたところでまた石仏群が祀られていた。
この行程では至るところで石仏群が祀られており、やはり険しい道のりだったため安全を祈って設置されたのだろうか、と一人思う。
また、茶屋跡の石碑も設置頂いていた。
このあたりでは、少し広場のようになっており、多くの旅人の方が休憩されたのだろうか。
少し休憩し、また坂道をどんどん歩く。
途中で石畳道となっていた。
石畳道を遅れないように歩く(^^)。このあたりでは、ゴルフコースの間を縫うような道のりとなっていた。
20分ほど歩いたところで一里塚が見えてきた。
これは権現山の一里塚と呼ばれていたそうだ。
反対側にも一里塚が残されていた。
このあたりの区間は本当に一里塚が往時のままで残っているところが多く、歩いていて楽しい(^^)。
権現山の一里塚を過ぎて10分ほど歩いているとアスファルト舗装の道をとなっていた。
このあたりでは、炭焼という名前の立場があったそうだ。
アスファルト舗装の道を5分ほど歩いたところで、左手にお地蔵様が祀られていた。
これは大久後観音堂というそうだ。また、後ろの岩の上にも観音様が祀られていて、興味深く思う。
観音堂を過ぎて少し歩いたところで道が分かれていた。
先を歩く人に従い、左の道を進む。
2~3分歩いたところで、右に入る道を進む。
ここからまた土道となっていた。
土道をどんどん歩く(^^)。
2~3分歩いたところで、左手に「観音坂と馬頭様」という説明看板が設置されているところで左に入る道を進む。
このあたりでは、先を歩く人に遅れないように歩く(^^)。
また2~3分歩いたところからアスファルト舗装の道となっていた。
アスファルト舗装の道を歩く。
5分ほど歩いたところで、やや大きな道に出た。
先を歩く人に従い、左折して歩く。
また2~3分歩いたところで、右に入る土道があり、進む。
ここからまた土道となっていた。
少し歩いたところでばばが茶屋跡があった。
このあたりの行程では、山道でもあり、茶屋が多く設置されていたようだ。
5分ほど歩いたところで砂利道を横断し、坂道を降りる。
ツアー参加の方々はみなさまご健脚で、遅れないように歩く(^^;。
10分ほど歩いたところで深萱立場跡にたどり着いた。
ここに深萱茶屋があったそうだ。
我々もここから少し歩いたところで旅行会社のツアーバスに乗り込み、昼食会場へ(^^)。
ツアーに参加していると、昼食の心配をする必要がないのも有難い(^^)。
昼食を食べて元気を取り戻し、たびを再開。
ここから、「午後の部」を歩く。
歩いてすぐに車道に出た。
車道を左折してすぐに渡り、右折して橋を渡る。
橋を渡り、すぐに左折して歩く。
ここから、道なりにまっすぐに歩く。
20分ほど歩いたところで、紅坂の一里塚に到着。
反対側も現存していた。
今回はツアーに参加させて頂いているので、道に迷うことはないが、やはり一里塚を見ると往時の旅人の方も同じ景色を見ていたのだろうと思い、たのしい(^^)。
10分ほど歩いたところで、また道が分岐していた。
ガイドの方の後について左の道に進む。ここでは緑茶看板も設置頂いていた。
5分ほど歩いたところで、アスファルト舗装の道に出た。
このあたりから、花びら模様のある道となっていた。このあたりでは、旧中山道の目印となるようにこのような舗装を頂いているようだ。
花びら模様の道をガイドの方に従い、どんどん歩く。
10分ほど歩いたところで、また道が分岐していた。
右に入る道を進む。
ここからまた山道となっていた。
5分ほど歩いたところで、お地蔵様が祀られていた。
この首がないお地蔵様は、首なし地蔵と呼ばれ、昔旅人二人がここで休憩してたときに眠ってしまい、目が覚めたときに一人が首を切られていたが、犯人が分からず、なんで助けてくれなかったんだとお地蔵様の首を切ってしまったからだそうだ。
石をよく切れたものだと違う意味でもまた興味深く思いながら、歩く。
少し歩いたところで松ぼっくりがたくさんついた松があった。
これは子持松跡といって、往時は別の松の木があり、同じく松ぼっくりが多くついていたので、そう呼ばれたそうだ。
このあたりではさまざまな伝承が残されているのを知ることが出来、有難い(^^)。
20分ほど歩いたところで、車道に合流した。
車道に出てまたすぐに坂道を降りる。
坂を降り、すぐのアスファルト舗装の道も横断。
先を歩く人に従い、山道をどんどん歩く。
5分ほど歩いたところで、また一里塚があった。
反対側の一里塚も残されていた。
このあたりは公園になっており、お手洗いも設置頂いていた。
一里塚を過ぎて、また歩く。
15分ほど歩いたところで視界が開けてきた。
現在ではここからくの字の道になっているが、往時はまっすぐに進む道となっていたそうだ。
道なりに現在の中山道を歩く。
2~3分歩いたところで、右折し、踏切を渡る。
またすぐ丁字路になっていた。
ここを左折し、歩く。
左折してすぐに車道に出た。
ツアーガイドさんに従って左折し、歩く。
左折し、5分ほど歩いたところで、今度は坂道を上がる。
先ほど視界が開けてきたところからこのあたりまでは、往時は直線に進む道となっていたのだろうか。
坂道を登ると右手に神社が見え、前を通り過ぎる。
神社を通り過ぎたあたりでまた道が分岐していた。
ツアーガイドさんによると、往時はここをまっすぐに進んだ後で左に曲がる道筋となっていたが、現在は切り開かれて通れなくなっているそうだ。
左にまがり、歩道橋を渡る。
歩道橋を降りて振り返って見ると、確かに往時は丘のようになっていたところが今は切り開かれているようだ。
往時の道のりはどのようなものだったのかと一人思うのもたのしい(^^)。
この交差点は坂の上という交差点のようだが、ここから北東へ伸びる道を進む。
2~3分歩いたところで、また交差点に出た。
ツアーガイドの方に従い、右折して歩く。
右折してすぐにまた丁字路となっていた。
この道は左折してまっすぐに伸びる道を進むようだ。
お堂を見学してから左折して歩く(^^)
5分ほど歩いたところで、交差点に出た。
先を歩く人に従い、通行車両の邪魔にならないように交差点を渡り、歩く。
2~3分歩いたところで、右手に広場へ通じる道があった。
厳密に言うとまだ大井宿ではないようだが、きょうのたびはここまで。この近くに広場があり、そこでストレッチをしてから帰路につくようだ。
旅行会社の案内によると、今回の行程の歩行距離は13㌔となっていた。お昼ごはんの時間を除いておおよそ6時間程度は歩いており、時間がかかったように見えるが、ガイドの方が熱心に至る所で史跡のご説明を頂いた結果だと思う。
御嵩宿から大井宿までの道のりでは公共交通機関は近くに通っていないため旅行会社のツアーを利用させて頂いたのだが、実際、私のように普段全く運動をしないものにとっては1日でその間を完歩するのはきびしいのではというのが率直な感想(^^;。ツアーに参加しないのであれば、道のりの途中の大湫宿から釜戸駅までが一番近そう(それでも徒歩おおよそ1時間以上?)であり、出来るのであれば事前に予約するなどしてタクシーを利用するのがいいと思う。このブログを読んでくださっている方に有意義な情報提供が出来なくて申し訳ありません‹(_)›。
旅行会社のツアーに参加させて頂くのは今回まで。次回からは以前同様に自ら道程を確認しつつ歩きたいと思う。
旅行会社のツアーの感想を少し(^^)。御嵩宿からこの大井宿までツアーに参加させて頂いたが、ひとことで言うと、非常に良かった(^^)。ガイドの方の後についていけば自分で行程の確認をする必要はないし、またお手洗い等も考えてくださっているのでその心配もなかった。もちろん、史跡のあるところではそのご説明も頂くことが出来るし、新たな知識も存分に得ることが出来た。
唯一のデメリットを挙げるとすれば、自分で確認しつつ歩いている時と比べて、前を歩く人についていくだけなので行程が記憶に残りにくいところだろうか(^^;。
繰り返しだが、次回からはひとりでのたび。また近いうちに歩こうと思う(^^)。