前回のブログに書いたとおり、ここから細久手宿、大湫宿、大井宿までは公共交通機関の駅が遠く離れており、途中宿泊施設も1軒しかないことから、旅行会社のツアーに参加することにした(^^)。
このブログは、自らのたびの記録を残すために書いているが、同時に五街道を歩かれる方のお役に立てばという思いもあった。しかしながら、ツアーに参加するとほとんどお役に立たないのかもしれない(TT)、とそこは残念に思いながらツアーのバスに乗って前回たびを終えたところまでやってきた。
前回たびを終えたところを道路反対側に見ながら、たびを再開(^^)。
このようなツアーは初めて参加するが、20人以上の方が参加されており、またご年配と見受けられる方もご参加されている。私もいつまでも健康で歩き続けることが出来るようになりたいものだ。
また、ツアーコンダクターがおられ、随所でご案内頂き、いつもただただひたすら歩いてしまう私にとっては大変有難い。
たびをスタートしてから15分ほど歩いたところで、和泉式部の廟所にご案内頂いた。
ここで平安時代の歌人・作家であった和泉式部が亡くなったそうだ。
和泉式部廟所を過ぎて2~3分で左折した。
左折したところに青色看板も設置頂いていた。
今回のたびでは、ツアーコンダクターの方が案内してくださるため行程について心配はないのだが、一人で歩かれる方にとって、今回の行程ではこの青色看板が至るところに設置頂いており、大いに役立つのではないだろうか、と思う。
左折して、少し歩いてまた右折した。
2~3分歩いたところで、また左折する。
いつもなら、ガイドブック、グーグルマップとにらめっこしながら歩くのだが、今回はツアーコンダクターの方についていくだけなので非常にラクだ(^^)。
道なりに5分ほど歩いたところで、車道に出た。
車道を横断し、車道を北へ向かいすぐに右折する。
写真には写っていないが、ここにもいつもの青色看板を設置頂いていた。
道なりに10分ほど歩いたところで、右折した。
右折して、道なりに左に曲がると土道に出た。
ここからが、急坂のため牛の鼻が欠けたといわれる牛の鼻欠け坂と言われる急坂だ。
他の方のご迷惑にならないように、坂道を懸命に登る(^^;。
坂を登り、5分ほど歩いたところで、土道がコンクリート舗装となっていた。
分岐点を坂を降りる右方向に進む。
少し歩くとアスファルト舗装となっていた。
アスファルト舗装の道を歩く。
アスファルト舗装の道を2~3分ほど歩いたところで、車道に出た。
車道を左折する。
車道を左折して、10分ほど歩いたところで、今度は右折した。
右折して少し歩くと石畳の道が見えてきた。
この坂はうとう坂と言って、歩かれる方が急な坂道がつらく歌を歌って気を紛らわしながら歩かれたため、「うとう坂」と呼ばれるようになったそうだ。
また、途中で緑茶看板に「トイレ」の案内があり、少し道から離れたところにお手洗いが設置されていた。
石畳の道が終わりアスファルト舗装の道となるところで右折する。
アスファルト舗装の道を5分ほど歩いたところで、少し大きな道に出た。
ここも右折して歩く。
右折してすぐのところに十本木立場跡の碑を設置頂いていた。
どうやらこのあたりに立場があったようだ。さすがに往時の旅人の方々もこの坂道には難渋したのだろうか。
立場跡を過ぎて2~3分歩いたところで一呑の清水(ひとのみのしみずと読むらしい)という湧水が出ているところがあった。
ここは皇女和宮が降嫁される際に飲んだといわれているそうで、水飲み場が人間用、馬牛用と2つに分かれていた。
一呑の清水のすぐ横でまた道が分岐していた。
ツアーコンダクターさんに従い(^^;、右へ入る道を進む。
5分ほど歩いたところで、唄清水(うたいしみずと読むらしい)という湧水が出ているところがあった。
このあたりは地下水が豊富にあるのだろうか。ここもでもまた往時の旅人の方々は喉を潤されたのではないかと一人思う(^^)。
唄清水から2~3分歩いたところでX字型の交差点に出た。
ここでも先に歩く方を追いかけて、道なりにまっすぐに進む(^^)。
途中で、御殿場跡というところがあり、そこで休憩。御殿場というのは、皇女和宮が降嫁の際に休憩されたところだそうだ。
山道を20分ほど歩いたところで、また交差点に出た。
ここの交差点は5差路のような独特の形となっていて、周りを良く見ながら、道なりにまっすぐに進む。交差点付近では青色看板も設置頂いていた。
交差点を過ぎてから5分ほど歩いたところで、Y字路を右へ進む。
ここもまた青色看板を設置頂いていた。
ここから10分ほど歩いたところで、少し大きな道に出た。
ここに旅行会社がバスを待機して下さっていて、ここから、いったんバスに乗り昼食会場へと移動した。
近くのレストランで昼食を取り、1時間あまりでまた戻ってきた。1人で歩いている時はいつもお昼ごはんはコンビニですませたり、時には取らなかったりするのに、それと比較するととてもゆとりを持った行程だ(^^)。
戻ってから歩き始め、2~3分歩いたところで分岐点があった。
ここも先を行く人についてまっすぐに進む(^^)。
歩いていると、途中で土道に変わった。
土道を5分ほど歩いたところで、山内嘉助屋敷跡の碑が設置されていた。
ここは、酒造業を営んだ山内家の屋敷跡だそうだ。立派な石垣があり、大きなお屋敷があったのだろう。
屋敷跡から20分ほど歩いたところで、一里塚があった。
これは鴨之巣一里塚といって、往時のものが残っているそうだ。
反対側にも残っていた。
このように両塚が残っているのは珍しく、一人興奮する(^^)。また、ツアーコンダクターの方によると、ここから何里か連続で両塚が残っているそうだ。
往時の旅人の気分を存分に味わいながら、両塚の間を通り抜ける(^^)。
一里塚を過ぎて10分ほど歩いたところで、また分岐点となっていた。
ここにも青色看板を設置頂いていた。
先を歩く人について、左方向へ進む。
10分ほど歩いたところで、石仏が祀られていた。
今回の行程では、このように石垣で囲われた石像がよく見られるが、何かいわれがあるのだろうか。また、このあたりから地元のガイドの方が合流して下さり、随所随所でご説明頂く。
石仏群を過ぎて2~3分歩いたところで車道に出た。
ここから車道を歩く。
2~3分歩いたところで、交差点に出た。
旧中山道はまっすぐに進む道だそうだが、ここで地元のガイドの方が近くの八幡神社を案内してくださるとのことで、左折する。
ここが八幡神社だそうだ。
階段を上がってお参りをし、土道を降りる際に大きな岩があった。
この岩と近くの大きな岩がつながっていて、このあたりの地名「平岩」の由来となっているとのこと。
土道を降りて、公民館の横に大きな岩があった。
この岩が先ほどの岩とつながっているそうだ。
興味深く思いながら、先ほどの交差点にもどり、また中山道を歩く。
2~3分ほど歩いたところで、左方向の坂道を進む。
5分ほど歩いたところで、くじ場址があった。
ここで、荷物を送る順番を決めていたそうだ。
くじ場址からまた2~3分歩いたところで車道に出た。
ここを左方向へ進む。
2~3分歩いたところで、上空に縄が張られていた。
これは、厄が入ってこないように張られているそうだ。
興味深く思いながら、くぐり抜けて歩く。
また2~3分歩いたところで石仏が見えてきた。
これは九万九千日観音といって、縁日に線香を供えてお参りすると、九万九千日分の徳を授かると言われているそうだ。
石仏を過ぎて4~5分ほど歩いたところで、山の手に神社が見えた。
また、道が少し細くなっていた。
どうやらこのあたりからが細久手宿だったようだ。
少し歩いたところの民家の壁に案内図を掲示して頂いていた。
このような案内図を設置頂いていると、往時の状況を想い起こすことが出来、たいへん楽しい。また、メモ書きとして、1年間に20万人が通行したと書かれており、私が想像していた以上に当時は往来が激しかったのだと知ることが出来た。
案内図を設置頂いていた民家から歩いて2~3分のところに本陣跡があった。
本陣跡から少し歩いたところで大黒屋があった。
この御嵩宿~大井宿の間では宿はここしかなく、またガイドブックにも掲載があったことから、一人有名人にお会いしたような気分になり、うれしい(^^)。
大黒屋から2~3分歩いたところで高札場跡があった。
また、この高札場跡から坂を上がると庚申堂があり、石碑が建てられていた。
この石碑の字体は有名な方が書いたそうで、そのお名前は覚えておいたほうがいいと言われて覚えたつもりであったが、忘れてしまった(TT)。
庚申堂を降りて、高札場跡まで戻る。
どうやらこのあたりまでが細久手宿だったようだ。
きょうのたびはここまで。
ツアー案内によると、今日歩く距離11.4㌔、歩く時間は4時間20分となっていた。実際には、朝にバスを降りてたびをスタートしてから夕方たびを終えてバスに乗り込むまでおおよそ6時間程度だった。お昼ごはんで途中1時間ほど休憩し、また途中の休憩は3~4回、それぞれ10分程度だったので、概ね旅行会社の計画どおりとなったようだ。
初めてツアーに参加したが、思った以上に楽しかった(^^)。また、このブログがこれから中山道を歩こうとされる方にあまりお役に立たないと思っていたが、本日の行程では、緑茶色看板や青色看板を至るところに設置頂いており、あまり迷うことはないのかもしれないというのが正直な感想(言い訳(^^;)だ。(そもそももともとあまり役に立たないブログなのだが(^^;。)
御嵩宿から大井宿まで、問題はやはり宿泊するところが1軒しかなく、また最寄駅が遠く離れたところにしかないことだと思う。1日で御嵩宿から大井宿まで歩ける方は問題ないのだが。
そういえば、ツアーコンダクターの方が言っておられたが、「旧中山道」を「1日中山道(いちにちじゅうやまみち)」と言ったかたがおられるそうだ(^^)。まさしく御嵩宿から大井宿まではそのとおり(^^;。
次回は、細久手宿から大湫宿まで歩くようであり、今から楽しみだ。また迷惑にならないように準備をしよう(^^)。