宿泊地から、昨日たびを終えたところまでやってきた。
昨晩は地元の居酒屋で楽しく一杯やり、また宿泊したホテルでも快適で、体調も良く、今日の旅をスタート(^^)。
歩き始めてすぐ、木戸門跡があった。
ここに木戸門があったということは、どうやらこのあたりまでが太田宿だったようだ。
太田宿を後にして、伏見宿へ向かう。
5分ほど歩いたところで、多差路に出た。
グーグルマップやガイドブックによると、中山道はこの神明堂という交差点をを右折するようだ。
右折して歩く。
右折して少し歩くとすぐに堤防が見えてきた。
旧中山道はここから堤防にあがる道となっているようだ。
堤防に上がり、5分ほど歩いたところで、堤防下に一里塚跡の碑を建てて頂いているのを見つけた。
この一里塚跡は古井一里塚の跡だそうだ。現在では塚らしきものは見つけることは出来なかったが、このように標柱を建てて頂いていると、往時の旅人の気分を味わうことが出来、うれしい(^^)。
一里塚跡を過ぎて、5分ほど歩いたところで、大きな橋が見えてきた。
この橋は太田橋といって木曾川にかかる橋で、往時ではこのあたりで渡しが行われていたそうだ。
現在では当然ながら渡しは行われておらず(^^;、太田橋を渡るべく、歩く(^^)。
橋が見えてから2~3分歩いたところで橋のたもとまで来た。
横断歩道は東側についており、近くの交差点で反対側に渡って、橋を渡る。
橋を渡り切ったところで、広場が設けられていた。
広場には石碑が建てられていた。また、往時、渡しはもう少し西側の辺りで行われていたようだ。
渡しを利用した気分で(^^;、引き続き旧中山道を歩く。
このあたりでは、車道と歩道が明確に分離されていないところもあり、通行車両の邪魔にならないように慎重に歩く。
道なりに25分ほど歩いたところで、踏切に出た。
この踏切はJR太多線の踏切のようだ。
後で知ったのだが、太多線は「たいたせん」と呼ぶそうで、美濃太田駅と多治見駅を結ぶからその名前が付けられているようなのだが、なかなか読めなかった(^^;。このように新たな知識を得ることが出来るのはたびの醍醐味だ(^^)。
太多線の踏切を越えて、5分ほど歩いたところで、国道21号線と合流した。
旧中山道はここからしばらく国道21号線となっているようだ。
国道21号線の歩道部分を歩く。
10分ほど歩いたところで、一里塚跡の石碑が建てられているのを見つけた。
石碑に刻まれている案内によると、恵土一里塚がここから東へ30メートルほどのところにあったそうだ。
残念ながら30メートルほど東には何もなかったが、このように石碑を建てて頂いているとたびの目印にもなり、有難い。
石碑から10分ほど歩いたところで、道が分かれていた。
グーグルマップやガイドブックに従い、左に入る道を進む。
5分ほど歩いたところで、道が右折していた。
グーグルマップやガイドブックによると、ここはまっすぐに進むようだ。
まっすぐに進み、2~3分歩いたところで御嵩町に入る。
いつもながら市町村境を越えて、一人達成感を覚えながら、歩く(^^)。
途中で御嵩町伏見店というセブンイレブンがあり、ここでパンなどを購入。店員さんが私を見て旅人と思われたのか、「お手拭きなどはいりませんか?」とご親切に聞いてくださった。
お心遣いにうれしくなり、感謝しつつ、元気よく歩く(^^)。
御嵩町に入ってから30分ほど歩いたところで、一本松公園という公園があった。
こちらには案内地図も設置頂いており、それによるともう既に伏見宿に入っていたようだ。
伏見宿内をゆっくりと歩く。
公園から2~3分東へ歩いたところで本陣跡の石碑が建てられていた。
現在では、往時の建物は残念ながらないが、この大きな敷地が本陣だったのだろうか。
本陣跡を過ぎて、2~3分歩いたところで左に入る道があった。
緑茶看板に従い、坂となっている左に入る道を進む。
どうやらこのあたりでは、伏見宿はもう出てしまっていたようだ。
伏見宿を過ぎて、今回のたびの最終目的地、御嵩宿へ向かう。