公共機関を乗り継いで、東赤坂駅までやってきた。

 

前回たびを終えたここからスタート(^^)。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、東へ伸びる中山道を道なりにどんどん歩く。

 

少し歩いたところで、茶色看板を設置頂いていた。

 

またすぐ近くに白色看板も設置頂いていた。

 

このあたりでは、茶色看板とともに白色看板も設置頂いており、間違いなく中山道を歩いていることが確認出来、有難い(^^)。

 

道なりに右へ左へと10分ほど歩いていると脇にそれる道があった。

 

グーグルマップやガイドブックによると、中山道は交差点となっている大通りではなく、その手前のこの右に逸れる道のようだ。

 

大通りと並行に通る脇道を歩く。

 

少し歩いたところで、丁字路に出た。

 

いつもの茶色看板に従い、左折する。

 

この茶色看板は「中山道」案内を頂いており、またこのあたりでは同じく白色の「この道は旧中山道」という案内も頂いているのだが、どちらも江戸時代の中山道を案内頂いているのだろうと思う。

 

左折してすぐに並行する大通りに出た。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、大通りを渡り、また歩く(^^;。

 

2~3分程度歩いたところで分岐があった。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、道なりに右へ曲がる道を進む。

 

10分程度歩いたところで三津谷町3という交差点に出た。

 

グーグルマップやガイドブックによると、旧中山道はまだまっすぐに進むようだ。

 

交差点を過ぎてから道なりに10分程度歩いていると堤防に出た。

 

ガイドブックによると、この堤は輪中といって河川の氾濫から街を守るため作られたそうだ。そういえば小学生のころだったか、学校で習ったのを思い出した(^^)。

 

なんとなく興味深く思いながら、右に曲がり、歩く。

 

5分ほど歩いたところで、また分岐があった。

 

茶色看板に従い、左折する。

 

少し歩いたところで、丁字路に出た。

 

同じく茶色看板に従い、左折する。

 

左折してすぐにまた分岐があった。

 

茶色看板に従い、一番左の道に進む。

 

坂を上がるとまた分岐となっていた。

 

茶色看板では、中山道はこの道路を横断するように思えるが、ガイドブックではこのあたりの道筋は分かりにくく、またグーグルマップともそれぞれ異なる道筋を示しているようにも読み取れ、一人困惑する(^^;。

 

交差点付近で白色看板も設置頂いていた。

 

この設置頂いている白色看板の白色看板の左に降りる道を進むのか右の道を進むのか迷ったためいろいろと周囲を歩いてみたが、結局どの道が正しいのか分からなかった。ただ、2つの道は100メートルほど先で合流していた。

 

合流地点からすぐのところでまた堤防を降りる道があった。

 

ここはグーグルマップやガイドブックも堤防を降りる道を示していて、安心しつつ左に進む(^^)。

 

5分ほど歩いたところで、小橋が見えてきた。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、橋を渡る。

 

橋を渡り5分ほど歩いたところで、小簾紅園入口に呂久渡船場跡という看板を設置頂いているのを見つけた。

 

小簾紅園は、江戸時代末期に皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐ折、呂久川(揖斐川)を船で渡った際に「落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ」の和歌を詠み、そのことを記念し、1929年(昭和4年)4月26日に開園されたそうだ。

 

その公園入口前に設置頂いている看板には往時の道のりの地図も記載頂いており、拝読するとこのあたりは旧揖斐川の中州のようになっており、現在とは川筋も異なっていたようだ。そのため、先ほどまよった分岐点でも、往時の道筋とは異なっているのかもしれない、と勝手に思う(^^;。

 

設置看板をあとにして、2~3分歩いたところで左に入る道があった。

 

あやうく通り過ぎそうになったが、旧中山道はこの丁字路を右に曲がるようだ。

 

右に曲がりすぐまた分岐があった。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、左折する。

 

左折してすぐにまた交差点に出た。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、右折する。ここで先ほど右折した丁字路をまっすぐに進んだ道と合流したようだ。

 

2~3分歩いたところで堤防沿いの道に出た。

 

おそらくこのあたりからまた「渡し」が行われていたのでは、と勝手に思う(^^;。現在では少し北側にある鷺田橋で揖斐川を渡るようだ。

 

左に逸れる道を行ったところにある歩道橋を上がり、揖斐川を渡る。

 

橋を渡り切ったところに堤防を降りる道があった。

 

ガイドブックに従い、道を降りる。

 

道を降りたところで茶色看板を設置頂いていた。

 

ガイドブックの説明とは道が少し違うが、この茶色看板のほうが正しいのではと思い、高架下をくぐる。

 

ガイドブックと茶色看板が異なっているのは、もしかするとこのあたりは「渡し」が行われていた影響で、往時では道というものがなく、だた中山道に復帰するだけのたかもしれない。

 

高架下をくぐり、揖斐川のほうへ左折したところでまた分岐となった。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、右折する。

 

2~3分歩くと道が分かれていた。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、右折する。もしかすると揖斐川を渡り、このあたりから旧中山道の道筋なのかもしれない、と一人想像する(^^)。

 

歩き始めてすぐに分岐があった。

 

間違えて左に曲がりそうになった(^^;が、この道はまだまっすぐに進むようだ。

 

また交差点に出た。

 

設置頂いている茶色看板に従い、まっすぐに進む。

 

また2~3分歩いたところで丁字路に出た。

 

道を渡ったところに旧中山道の石碑を設置頂いていた。

 

またこのあたりに公園があり、お手洗いも設置頂いていた。

 

石碑を見ながら丁字路を右折するとすぐに左に入る道があった。

 

この道が旧中山道だったようだ。道なりに歩いた先に小さな広場があり、旧中山道の案内を頂いていた。

 

県道156号線に出て、北へ歩く。

 

少し歩いたところで、右に入る道があった。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、右折し、S字カーブを道なりに歩く。

 

集落の間をとおり10分程度歩いていると歌川広重の「木曽海道六拾九次之内 みゑじ」に描かれている風景とほぼ同じ風景を見ることが出来た(^^)。

 

どうやらこのあたりからが美江寺宿だったようだ。

 

いつになく往時の旅人の気分を存分に味わいながら、宿内を歩く(^^)。

 

少し歩いたところで、丁字路に出た。

 

グーグルマップやガイドブックに従い、左折する。

 

左折して2~3分歩いたところで本陣跡の碑が設置されているのを見つけた。

 

碑の設置を頂いているところは大きなお屋敷のおうちだったが、本陣だったころと変わらぬ敷地なのだろうか。

 

また2~3分歩いたところで交差点に出た。

 

旧中山道はこの道を右折するようだ。

 

右折してすぐに高札場跡があった。

 

往時はここに高札場があったそうで、美江神社内に復元してあるとのことだったが、敷地内に入るのがためらわれ、やむなくそのまま中山道を歩く(^^;。

 

高札場跡を過ぎて、2~3分歩いたところで一里塚跡の碑を設置頂いているのを見つけた。

 

ここに一里塚跡があるということは宿内に一里塚があったのだろうか。

 

いろいろと興味深く思いながら少し歩いたところで、美江寺宿東口というバス停があった。

 

どうやらこのあたりまでが美江寺宿だったようだ。「美江寺宿はガラが悪かった」と記載のあったガイドブックがあり、どのような宿場なのだろうかと少し不安に思っていたが静かな宿場町だった(^^)。

 

歩き始めて2時間程度でここまで辿り着き、概ね予定通り(^^)。

 

今日は加納宿まで歩く予定であり、美江寺宿を後にして、河渡宿へ向かう。