宿泊地から関東バスに乗り、体育館前というバス停までやってきた。このすぐ近くに栃木県立体育館があるようだ。
ここから日光道中のたびを再開(^^)。
このあたりからしばらくの間は、日光道中は国道119号線となっているようで、北へ伸びる国道119号線をただただひたすら道なりに歩く(^^)。
30分ほど歩いたところで一里塚があった。
これは上戸祭の一里塚というそうだ。
車道の反対側を見ると同じく一里塚があった。
両塚とも残っていて国道119号線がその間を通っており、やはりこのあたりでは日光道中は国道119号線となっているのだなぁと感じることが出来る(^^)。
ここから、国道119号線をただただひたすら道なりに歩く。歩道と車道をしっかりと分けて頂いているのだが、歩道部分は雑草が茂っているところもあり、足元に注意しながらゆっくりと歩く。
1時間と少し歩いたところで、レンガ造りの建物があるのを見つけた。
これは、後から調べたところによると、送水管にかかる水圧を調節するための施設の一つとして利用され、大正4年建設当時の姿を残しているそうだ。大正4年からだと100年以上経過しているが、まだ使われているとは建設当時しっかりとつくられたのだろう。
15分ほど歩いたところで徳次郎宿仮本陣の標柱が建てられているのを見つけた。
ガイドブックに記載はなかったが、ここに仮本陣があったそうだ。ということは、もう既に徳次郎宿に入っていたようだ。
徳次郎宿内を歩く。
10分ほど歩いたところで中徳次郎宿跡の案内看板を設置頂いているのを見つけた。
ガイドブックによると、徳次郎宿は下・中・上の3宿がそれぞれ月の上旬・中旬・下旬と宿の役割を担っておられたそうだ。このあたりは中徳次郎宿だったようだ。
引き続き日光道中を道なりに歩く。
10分ほど歩いたところで大木がある神社があった。
ガイドブックによると、これは智賀都神社の「長寿の夫婦ケヤキ」で県天然記念物だそうだ。
このあたりでは、歩道部分に雑草が茂っているところも多く、足元に注意しながら歩く。
20分ほど歩いたところで一里塚があった。
これはガイドブックによると、石那田の一里塚だそうだ。一里塚があるということは、どうやらこのあたりでは、もう既に徳次郎宿を出てしまっていたようだ。
徳次郎宿を出て、大沢宿へ向かう。
一里塚をあとにして、10分ほど歩いたところで道路がきれいに整備されているところに出て、近くに関東バス榊里バス停があった。
帰路のことを考えて、今日のたびはここまで。歩いた距離は12㌔程度、時間は3時間足らずだった。日光道中は現在アスファルト舗装の道が多く、たいへん歩きやすいので予定より早く歩くことが出来る(^^)。
今回のたびは首都圏滞在する予定があったことからなんとなく行ってみようと考えたが、実際に歩いてみると、早く日光道中完歩をしたくなってきた(^^)。もし長期の休暇などがあればこちらに来て歩き、あとどれくらいで踏破出来るのか分からないが、予定より早く完歩すれば奥州道中を歩いてみるのもいいかもしれない(^^)。
その時には、追分である宇都宮宿で本陣跡も見つけようと思う(^^;。
また機会を見て出来るだけ近いうちに歩こう(^^)。