前回終了した関宿からたびを再開!
前回より中1週空けてのたびの再開。毎週だと疲労が回復しないようにも思うし、また逆に日が空きすぎてもなかなか進まないので、これぐらいがちょうどいい(^^)。
今回のたびでは、いつぞやか1日の歩行距離・時間は20キロ・5時間以内にしようと決めたのはどこへやら、亀山宿、庄野宿を越え、石薬師宿を過ぎたあたりまで行きたいと思う(^^;。
行程の長さに若干の不安を覚えつつ、前回終了した関宿からたびを再開する。
この案内看板のある前回終了したところは、概ね関宿の真ん中あたりのようだ。関宿の(私にとっては)後半部分を整備された街並みを拝見しつつ、ゆっくりと東海道を東へ進む。
少し歩くと右側に東の追分が見えてきた。
道路のカラー舗装もここで終わっており、どうやらこの辺りまでが関宿だったようだ。
関宿を後にし、グーグルマップを参考にしながら亀山宿へ向かう。
グーグルマップに従い、しばらく道なりにあるいていると大きな松が見えてきた。
この松は関の小万のもたれ松といい、父の仇を打つため亀山に修行に行っていた関宿の小万という女性が、若者のたわむれを避けるためにこの松に姿を隠したらしい。
母親の遺言を守りかたき討ちを果たすとは小万という女性は相当意思の強い素晴らしい女性だったのだろう、と想像する。
私もそのことを知り、(かたき討ちに比べればなんと小さな目標と思わずにはいられないが(><))必ず最後まで日本橋まで行こう、と気持ちを新たにする(^^)。
もたれ松を過ぎてすぐに国道1号線に合流した。
国道1号線の左側を道に沿って旧東海道を歩く。
国道1号線を少し歩くと、陸橋が見えてきた。
旧東海道は右にそれていくようで、陸橋を渡る。
陸橋を渡り、旧東海道はこの道を進むようだ。
JR関西本線の踏切を越え、ただただひたすら歩く。
このあたりは大岡寺畷というらしい。畷(縄手)というのは細い長い道のことだったと思うが、しばらくの間ほぼまっすぐな平坦な続いている。
しばらく歩いていると、JRを越える高架が見えてきた。
設置頂いている看板に従い、高架を渡る。
高架を渡るとすぐに三叉路に突き当たった。
同様に看板に従い、突き当たりを右折する。
少し歩くとまた三叉路に差し掛かった。
グーグルマップによると、旧東海道はこの三叉路を左に進むようであり、左方向の道に入る。
ここは、道が坂道であり、登るのにかなり体力を消費した(^^;。
坂をのぼり、しばらく歩くとまた三叉路に差し掛かった。
グーグルマップを見るとどうやらこの交差点は左折するようで、またまたグーグルマップ従いこの道を左折する。今日はグーグルマップが大活躍だ(^^)。
道なりにただただひたすら歩いていると、右側に大木が見えてきた。
これは、昔ながらの原形を保っている野村一里塚らしい。大きな椋の木が植えられているということで、しかも樹齢は400年ほどとのこと。本当に立派な一里塚だ。この一里塚を守ってくださっている地域の方々に感謝するとともに、これを江戸時代の方々は遠くからでも目印にして歩かれていたのだろうと想像し、当時の旅人の気分を満喫する(^^)。
野村一里塚を後にして、またまたただただひたすらどんどん道なりに歩く。
しばらく歩くと、どうやら亀山宿の入り口に差し掛かったようだ。
直進方向が亀山宿のようであり、まっすぐに進む。橋を渡ったところに京口門跡の碑を設置して頂いていた。
このあたりでは、旧東海道はカラー舗装されていて、たいへん分かりやすい。有難く、カラー舗装に従って風景を楽しみながらゆっくりと進む。
しばらく歩くと交差点に出た。
道路を渡り引き続きカラー舗装の道を進む
道なりにゆっくりと歩いているとまた交差点に出た。
この交差点でカラー舗装が終わっていたが、旧東海道は右折するようだ。
このあたりでは、旧東海道が分かりやすいように青色の看板を設置して頂いていた。
有難く青色看板に従い、商店街の中を進む。
しばらく歩いていると三叉路に差し掛かった。
旧東海道はどうやらこの道を左折するようだ。
左折してすぐの右側に江戸口門跡の碑があった。
どうやらこの辺りで亀山宿は終わりのようだ。
関宿を出発してから亀山宿を出るのにおおよそ1時間45分程度だった。関宿から亀山宿まで1時間30分程度となっていたガイドブックがあったが、本陣と本陣の間とすればほぼそのとおりの時間で歩けただろうか。
今日は石薬師宿を越えたあたりまで行く予定なので、また歩き始める。