甲州道中四十四次を完歩することが出来た(^^)。東海道五十三次同様、このたびを振り返ってみる(^^)。

 

延べ日数は15日間だった。インターネットの情報等によると、甲州道中は220㌔との記載もあり、おおよそ平均として1日15㌔歩いていた計算になる。往時の旅人は一日30㌔歩かれたそうなので、それの半分だ(^^;。東海道同様、私には往時の旅人の方が歩かれた距離の半分が相応なのかもしれない(^^;。

 

服装は相変わらず普段着だったが、持参物については、甲州道中では峠越などで手をつくところも多く、手袋は持参するようにした。また、行程中、東海道と比べるとコンビニエンスストアなどがないところも多く、飲み物は持参した。ちなみに天候がいい日がほとんどだったが、季節柄お気に入りのUVカットのパーカーは着用しなかった(^^;。

 

行程の確認方法もガイドブックとグーグルマップ(場所によってはいずれか)と、ほぼ東海道を歩いていた時と変わらなかった。

 

ただ、首都圏滞在が急に決まりそれに伴ってあまり下調べをせずにたびを始めたこともあって、やはりもう少し事前に調べておいたほうが良かったと思うこともあった。特に、鶴瀬宿と勝沼宿の間の長柿洞門は、しっかりと事前に調べていれば迂回せずに歩けたのではと思う。落ち葉が多く積もっていたところもあり、落ち葉が少ないと思う春から夏ころに歩くのがいいのかもしれない。

 

季節で思い出したが、たびの後半部分では1月でもところどころ残雪があった。そういう意味でも春~夏ころにたびの後半部分となるよう歩くのがいいのかもしれない(^^)。

 

 

ここまで、準備や計画のことばかり書いていたが、ここから(苦手な(^^;)感想文を少し(^^)。

 

今回のたびでは、新型コロナウイルスの影響もあってか、史跡などでも閉館されているところが多くあったと思う。特に最終目的地の下諏訪宿は、普段ならたいへんな賑わいを見せているのではと思うのだが、新型コロナウイルスの影響だろうか、開いているお店は少なかった。中山道のたびで立ち寄る際には多くのお店が通常営業して頂ける環境となっていてほしいと思う。

 

新型コロナウイルスの影響が長引いているが、江戸時代でも疫病が流行しないように願われてか、このたびでも多くの場所で馬頭観音などが祀られているのを拝見した。それは意味がないことではなく、疫病予防には手洗いうがいは効果的で、江戸時代から励行されていたのではと思うが、その意識づけにもなったのではと勝手に思う。医学が発達していない状況である往時の価値観を、現在の価値観ではかることはなかなか難しい。

 

遺構や史跡などでも、ご先祖さまが守ってこられた良いものは大切なものが多いはずで、それは引き継がれていってほしいと思うし、見えるものだけに限らず、手洗いうがいなどの風習など、良い日本の伝統や文化もずっと引き継がれていってほしいと思う。

 

行程についてはグーグルマップとガイドブックを参照したが、甲州道中では異なった道筋となっているところが多くあった。調査不足もあってどの道が甲州道中であったのかが分からなかったが、江戸時代でも年代によって道筋が異なっていたのかもしれない。

 

思いつくままに感想を書いてみたが、ただ書き留めただけのやはり駄文だ(><)。


駄文の感想はここまでとして、たびの途中で、親切に先が行き止まりであることなどをご教示頂いた方など、今回のたびでお世話になった方々にはここに改めて感謝申し上げる次第です。そのご恩返しとは到底言えるものではないが、少しでもこの日記(ただの記録(^^;?)がどなたかのお役に立てば本当にうれしい(^^)。

 

近いうちに日光道中のたびも始めよう(^^)!