前回終了した国道161号線のJR東海道本線の線路を越えたあたりから再開!

今日の天候は予報ではあまり良くなく、夕刻からは雨とのこと。念のため折り畳み傘を準備して出発する。

今回の行程では、気の置けない友人が一緒に行ってくれることになった。彼は私と違いしっかりしているので、心強く頼もしい。旅は道連れ世は情けとは本当にそのとおりだと思う(^^)。今後もスケジュールが合う限り一緒に行ってほしいものだ。

たびをスタートしてすぐに道路の右側に大津宿本陣跡があった。



石碑の横に案内文があったが、現在は本陣の遺構のようなものはなく、この石碑も明治天皇の休息地であったことを示すものらしい。

大津宿本陣跡(?)を後にし、国道161号線を北上してから、グーグルマップの案内とおりに京町一丁目という交差点を右折し東海道を歩く。

少し歩くと大津事件の石碑があった。

大津事件は社会か日本史かで学んだことはあったが、場所が具体的にここだったのかと思いながら、東海道を東へ歩く。

このあたりは、車の通行量もかなり多く、邪魔にならないように気を付けながら歩く。

しばらく歩いていると京阪電車の踏切に出た。

踏切で待っている時にふと振り返ると、看板を設置して頂いて東海道を分かりやすく指し示して頂いている。



この茶色の看板は道中さまざまなところで設置して頂いており、現在の道標としてたいへん有難い。「日本橋」から来られた方にはこの写真の看板で東海道を確認され歩を進められた方も多いのではないだろうかと思いながら看板を見る。

踏切を越えてしばらく歩いていると義仲寺があった。



読み方は「ぎちゅうじ」と読むらしく、源義仲のお墓と松尾芭蕉のお墓があるらしい。源義仲は「みなもとのよしなか」と呼ぶはずだが、「ぎちゅうじ」と呼ぶのは時の権力者となった源頼朝への遠慮があったのだろうか。

義仲寺を過ぎてただただ歩く。

随所随所に前述のこの茶色の看板を設置して頂いており本当に有難い。



この看板を頼りにグーグルマップと併用しながら、ただただひたすら歩く(^^)。

JR石山駅付近でJR東海道線をくぐり、再び京阪電車の踏切を越えてただただひたすら看板とグーグルマップを頼りに歩いていると偶然にも幼少期に購入した記憶のあるパン屋さんがまだあるのを見つけた。

食パンがおいしいと聞かされた覚えがあるが、私が幼少期からあるのだからもう数十年営んでおられることになる。数十年続くパン屋さんとはやはり評判のお店なのだろう。歩くたびなので食パンの購入は泣く泣くあきらめ、またの機会に購入することとし、ただただひたすら歩く。

ずっと南下していたが、鳥居川という交差点でグーグルマップのとおり左折し東へ向かう。

少し歩くと唐橋があり、渡る。



橋を渡って振り返ると、この構図は歌川広重の画にもあったと思う趣のある風景をみることが出来た。

唐橋を過ぎて少し歩くと三叉路の交差点に出た。


グーグルマップによればこの交差点では東海道は少し東の細い道を通るらしく(写真右のバス停付近)その細い抜け道のような道を北に通り抜け、北東へ進む。

北東へ伸びる大きな道を歩き、檜山神社という神社を越えて川を渡って少し歩いてから右折し、東海道をどんどん歩く。

この辺りでもたいへん有難いのは茶色の看板。



本当に有り難い。看板とともに石碑のような看板を設置して頂いているところも多く、茶色看板同様に石碑風看板でも東海道を確認させて頂きながら歩く。

茶色看板・石碑風看板・グーグルマップを頼りにひたすら歩いていると一里塚跡があった。



このあたりには一里塚とともに大きな松が植えられていたらしい。

今回同行してくれている友人はこのあたりは土地勘があるらしく、茶色看板・石碑風看板・グーグルマップ・友人案内の多測位ナビで歩く(^^)。

多測位ナビのおかげで順調に東海道を歩き、途中にあった名勝:弁天池のベンチをお借りして小休止。



ベンチに座りながらガイドブックを読み行程を確認するが、ガイドブックが「日本橋」スタートであるため、文を1文ずつ逆に読む(^^;。また同行してくれている友人からチョコレートを頂く。

頂いたチョコレートと小休止で元気を取り戻し、再出発。

野路町という交差点に差し掛かる。
ここでは、いったんグーグルマップのとおりにすぐに一号線に出て進んだが、友人が正確にはすぐに出るのは間違いであることに気付き、少し戻って歩き直す。

正確にはこの看板のとおりに歩かなければならないようだ。



正確な道では一里塚跡もあった。



多測位システムに感謝しつつ、東海道を歩く(^^)。

まっすぐな道をしばらく歩くと道標があった。



ここはうばがもちの店があったところでもあるらしい。

またしばらく歩き立木神社を過ぎて川を渡る。
ここからが旧宿場内のようだ。草津宿は、現在でも見学したりできる史跡などが数多くある様子。

まず目に飛び込んできたのは太田酒造の建物。



太田道灌は江戸城を築城した人とは学んだ記憶があるが、その末裔の方々が酒造を行っていたとは初めて知った。このように今回のたびでいろいろな知識が増えるのもまたたのしい。

次いで草津宿街道交流館に入る。
ここでは、浮世絵摺りの体験が出来る。館員の方がたいへん親切に教えてくださったおかげで不器用な私にしては満足のいくものが出来た(^^)。

さらに草津本陣跡に到着。



館内にはお手洗いもあった。またさまざまな資料を拝見することが出来た。

本陣跡を出てさらに東海道を進むと追分道標があった。



左が中山道、右が東海道。やはり追分というのは分岐点で馬を追ったのが地名の由来なのだと納得。
右:東海道を進む(^^)。いずれ中山道も歩こうと思う日が来るかもしれない。

しばらく歩いていたが、国道一号線に近づいたあたりでちょっとしたハプニングが。
東海道を歩いて国道一号線を橋を渡って越える予定が、橋がない!!
どうやら工事のためいったん撤去されているようだ。

国道一号線より




また架橋されれば来てみたいと思いながら仕方なく県道にそれて本来の東海道より一つ北側の道を歩く。

東海道の一本北側の道を進んでいるとおそらくここで東海道に再合流出来たと思われるところがあった。



少し安心し歩いていると栗東市に入り、道路沿いに老牛馬養生所跡の石碑があった。



私も年老いても大事にして頂きたいものだ(^^;。

今回のたびはここで終了。雨が降らなくて良かった!
大津宿~草津宿間はおおよそ3時間45分と掲載してあるガイドブックがあったが、概ねそのとおりだった。ただ、疲労感は三条大橋~大津よりかなり感じた。私のペースに合わせて歩いてもらった友人の疲労は私以上だったと思う。改めて友人に感謝。

次回のたびをいつ行くかはまた考えるところだが、「二次」ほど歩いてみるのもいいかもとも思う。
出来るだけ早い時期にまた歩こう!

(2020年2月11日追記)
約1年10ヶ月振りに以前工事中だった国道1号線に架かる橋に、さすがにもう完成していて渡れるだろうと思い、やってきた。今般中山道を歩こうとも思っており、「追分」が草津宿なのでそのついででもある(^^)。

前回旧東海道のたびが中断した国道1号線の手前のところまでやってきた。この常夜灯には見覚えがある(^^)。



周囲を見渡すと、どうやらまだ完全に工事を終えられたのではないようだ。

少し歩くと、歩道が設置されていた。



歩道を歩き、進む。この歩道が設置されているところは往時は天井川だったのだろうか。

堤を上がると国道1号線を越える橋が完成していた(^^)。



どうやらこの橋は草津宿橋と名付けられたようだ。

わくわくしながら((^^;)橋を渡り、堤を降りる。このあたりは往時はどのような道筋だったのだろう。常夜灯があったあたりで先ほど歩いた歩道のとおり天井川を渡り、北側の堤を歩く、という道筋だったのだろうか。その堤を横切る国道1号線を拡張させる(以前は天井川の堤を潜るトンネルだったこともあったのかもしれない)こととなったため堤の一部を削り架橋されたのだろうか。

堤を降りたところで、以前歩いたところに合流した(^^)。



旧東海道は、ガイドブックやインターネットなどで調べた情報によると、本来は、ここから見える「止まれ」の看板の支柱の右側にある草叢のようなところを歩くようだが、現在は歩けないようだ。

もしかしたら、まだこのあたりは工事をしておられるため、整備をして頂ける予定なのかもしれない(^^)。

もしそうであれば、ぜひまた来て歩こう(^^)。