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池袋フィールドのブログ

ライブハウス 池袋フィールドです。
アーティストとしても活動中の店長・山石敬之が
日々の出会いやエピソードを語っていきます。

アーティスト活動の中で、デザイン、アートワークは結構付いて回る。
アルバムのジャケットだけでは無く、
フライヤーや物販のポップ、グッズにブログやサイトのデザイン。
どんな写真を撮り、選ぶか。ロゴやフォント選びも細かくある。
そしてデザインには必ず主張がある。メッセージがある。
受け取る側の人は、無意識にそれを感じ取るものだ。
つまり表面に手を抜けば、その中身やアーティスト自身さえも、
「手抜き」の印象を植え付ける危険性もある。

優秀なアーティストは、イチイチこの細かい部分が凝っているし、
「だいたい」では済まさない。手は抜かない。
そしてその人「らしさ」が窺えるものだ。
「ビール」と「CD」はジャケットが命だと思っている。
飲む前に、聞く前に人はどうしても「それ」を見る。
自ずとイメージが残り、味にも聞いた印象にも大きく影響して来ると思う。
言い方を変えれば、「外見」が「中身」をフォローしてくれる。
スムースに内容へと人をいざなってくれるだろう。
つまり聞く前から「世界観」は始まっている訳で、
そのデザインを舞台にした世界で「音」が踊り出すのだ。

ファッション業界では常識だろうが、
人は今日着る服を選ぶ時に、その時の心の有り様に大きく左右される。
元気な時と弱気の時、選ぶ服装は自ずと変わるはずだ。
少しでも自分を主張したい服と、
誰かの中に埋没し、隠れるように地味な服。
また、特に女性は自然と自分の強みと弱点を服装で強調したり、隠したりする。
スカートが短めだったり、胸元が開いていたり、
ビビッドな色味を選んだり、クッキリしたデザインを選んだり。
逆に長めのスカートだったり、「ゆったり」アウターにパンツスタイルで、
色も茶系だったり、黒しか着なかったり。
つまり誰でもが日常デザインで強さも弱さも「主張」しているのだ。
特別な専門家だけの能力では決して無い。

では、自分というアーティストをどのようにデザインするか?
ここを怠ってはいけない。
このアルバムの世界観にオーディエンスを連れて行く為には
どんなジャケットが適しているのか?
そこをしっかり考え、トライすべきだ。
自分の音楽性にぴったりなロゴタイプはどれだ?イメージカラーは?
「そんなの分からないよ!」って人もいるだろう。
「そーゆーの得意じゃない」って。
しかしデザインはそんなに難しいモノじゃない。
誰でも何か物を買う時には必ず形やデザインを「選んで」いる。
色違いがあれば、やはり自然と「選んで」いる。
自分にピッタリ来る物に、気が付けば手を伸ばしている。
それが当たり前。
今度は自分が作る側に回った時、
自分の今回の音楽にピッタリ来る色やデザインに
出会いさえすれば「あ、コレだ!」って必ず分かる。
もっと言えば、それが分かるのは作った君だけなんだ。
問題はそれにどう出会うか、だ。
誰か手伝ってくれる人がいれば頼るのも良いが、
いずれにせよ何らかの「キーワード」無しには進まない。
「こんな感じ」をどんどん言葉に変えて行くウチに、
キーワードは増え、目指すべきデザインも見え始める。
そしてそれを具現化するトライを繰り返す中で、
必ず「コレ」って分かるモノに出会える。
もちろん簡単には出会えない。
「違う」を繰り返し、煮詰まるのは前提だ。
しかしその先に答えはある。事デザインに関しては、必ずある。
物を作る、とは結局そういう「のたうち回り」の繰り返しだ。

時間が掛かるし、メンドくさい。
しかし散々のたうち回った末に見つけた答えは、大きな喜びだ。
それがクリエイターの誇りだ。
音楽系アーティストにとって、デザインを専門外と思ってはいけない。
必ず付いて回るのだから、それは避けられない作業の一つだ。
ならば取り組もう。
音で表現した「自分」を、アートワークでも表現出来て初めて完成なのだから。
そうして完成した自分の作品は、この上なく愛おしい。
多くの人に手に取ってもらい、聞いて欲しくなる。
だから頑張れる。
それがクリエイターだ。アーティストなのだ。
さあ、頑張ろう!
ほとんどのアーティストが
「唄の上手さ」について勘違いしている。
高い音程をしっかり「張れる」事を
「上手い」と思ってはいないかな?
そしてその勘違いが曲作りにも大きく反映しているように思う。

フィールドの出演者を見ていると、
平唄(Aメロ)の音域が低く、ボソボソしていて
何を唄ってるかよく聞き取れない、って人が多い。
特に女性アーティスト中には、低過ぎてほぼ唄えてない人も。
しかしサビになるといきなり高く張って、
何やら気持ち良さそう。
つまり曲作りが「サビ有りき」になっている。
サビの音域に合わせて、平唄を犠牲にしている。
しかしここで考えて欲しい。
知らないアーティストが出て来て人を「オッ!」って思わせるのは、
その唄い出しだ。始めの部分だ。
つまり「平唄」だ。
しかも曲の設定や状況を語るのは主に平唄の役割だ。
そこがよく聞き取れず、サビの「感情」ばかりを高らかに唄われても、
ストーリーやメッセージの本質は伝わらない。
どんなに素晴らしい歌詞を書いていても、
聞き取れないんじゃ、意味が無い。

繰り返すが、
歌声で人を惹きつけるのは、平唄部分であり、
曲の良さを伝える肝心な部分も、やはり平唄だ。
サビで感動させるためには、その前段階が絶対に必要なのだ。
お膳立てがあって初めてサビが輝く。
いきさつや状況説明があって、初めて感情の爆発が説得力を持つ。
そしてサビの「張った声」では実際は個性を発揮しづらい。
実は「大きな声」「張った声」は似通ってしまい、区別がつきづらいのだ。
囁いたり、甘かったり、癖のある声は、
低めから中音域ではっきりと表現出来る。
つまり個性や「らしさ」を明確に見せるのは、平唄なのだ。
歌詞の細かい部分をいかに豊かに表現出来るか。
言葉一つ一つの感情や情景を伝えられるか。
これは「張って」ちゃ難しい。
強い表現は説得力はあるが、単調になる。
上手い人は、さりげなく、だが濃い表現が出来る。
もっと言えば、ハイトーンを張って唄える奴はいくらでもいる。
それが出来たからシンガーを目指したのかもしれない。
しかしそれは単に「声が出てる」だけだ。
つまりは出発点に過ぎない。

「心をこめて」とよく言うが、「こめたつもり」で終わってないだろうか?
「心をこめる」とは聞き手にしっかり、そして確実に、
「曲」を手渡す事だ。その意志だ。
曲のストーリーを情景を心情を、丁寧に伝えて欲しい。
そしてサビにしっかり繋げて、「作品」が完成する。
これが出来る人が「唄の上手い人」だ。
「楽しい」は楽しく、「悲しい」は悲しく、
「光」を「影」を「憂い」を「妖艶」を、
「寒さ」を「熱さ」を「挫折」を「希望」を
自分なりの解釈で細かく、そして豊かに表現して欲しい。
歌を唄うとは、この表現を追い求める作業だ。
この果てしない「トライ&エラー」無くして、
「唄の上手さ」にはたどり着かない。
そして気付くはずだ。
「上手い」唄では無く「良い」歌を唄えるシンガーになりたい、と。
ピッチの良さや、音域の広さを誇るのでは無く、
表現力の豊かさや、人の心に届ける能力の高さをこそ求めて欲しい。

人の声に勝る楽器は無い。
その武器を最大限に活かすには、
持っている個性を伸ばし、「伝える」能力を高めるんだ。
そして素晴らしい、人の心を震わせるシンガーに
成長して行って欲しい。



人は皆、何らかの問題を抱えて生きているものだ。
音楽的な弱点についてはよくここでも書いているが、
それ以外にも様々な事情やトラブルを引きずりながら、
皆、どうにか歩いている。
いわゆる「家庭の事情」という、どうにもならない事もあるだろう。
悪循環から抜け出せず、暗闇に彷徨う人も。
しかし、アーティストならそんな時こそ考えて欲しい。
「自分の音楽の力」を。
他の誰かを救う前に、まず自分自身を救えるのか?
音楽があるおかげで、どうにか笑えているのか?を。

暗闇からの脱出方法が明確にあれば苦労しないが、
少なくとも人は「気分」で生きる動物なのは確か。
どん底の状況なのに、笑い飛ばしながら歩ける人もいる。
「ま、どうにかなるさ」と脳天気にポジティブな人も。
つまり逆に言えば、大抵の場合自分を追い込んでいるのは、
自分自身だ。
置かれている状況を正確に把握するのは実は難しい。
軽く見過ぎて失敗したり、重く捉え過ぎて不必要な諦めを決断したり。
まずはどうにか状況を正確に掴み、選択肢を探す事だ。
選択肢がゼロや一つしかないって事はまず無い。
そしてこう思おう。
選択肢があるという事は、まだチャンスもあるのだ、と。
そしてこれは一般論だが、大抵の場合、
難しい方の選択肢が正解だ。
メンドくさい遠回りが、結局君を救う。
「逃げ」を選んでもトラブルはいつまでも追いかけて来る。
その場しのぎは、問題を先送りするだけだ。
結局正面から取り組む以外に手は無い、ってのが答えだと思う。

そしてよく「みんな日々大変だとは思うけど」ってMCで言うけど、
これって正解だ。事実なのだ。
しかもかなりビックリするくらいの様々なジャンルのトラブルを
人は皆抱えながら、客席で笑っている。
自分に翻ってみれば分かる事だが、
「他人は皆一見幸せそうに見える。だが、実際は違うんだ」を
改めて心に刻んで欲しい。
そして音楽にはささやかな役割がある。
人は感動する事で救われる。
一瞬別世界に連れて行かれる事で、重荷を軽く出来る。
もちろんただの「気分」だ。
だが前述したように、人は気分で生きる動物だ。
暗闇のほとんどは自分自身で作っている。
そこから少しでも抜け出す手助けくらいは、音楽でも出来る可能性がある。
だからこそ力のあるアーティストに多くの人々が集まる。
欲しがる理由はこの「気分」を得る為、だ。
自分の音楽に人の、もしくは自分自身の
気分を動かす力があるかどうか、見つめてみよう。
感動や気持ちを揺さぶるとは、結局人の心に届こうとする作業だ。
この意識がベーシックにあれば、それはもう気絶するほど難しい事だが、
進むべき方法論も見えて来るだろう。

「またか」と思うかもしれないが、
そこには「確かな技術」と「他に無い 魅力」が必要だ。
つまり自分の音楽の価値観を上げる為には、
途方も無い難しいチャレンジが待っている事を自覚しよう。
それだけの事があるから人は集まるんだ。
傷を負った動物が水辺に集まるように、
君の音楽から「癒し」や「栄養」や「救い」や「希望」を得ようとする。
それに応えるだけの力のあるステージを作らなければ、
そこは砂漠だ。
「演りたいから演っている」から
「誰かの為に演っている」にたどり着こう。
価値ある音楽をステージを、そして自分自身を作り上げよう。
そしてそれがきっと、君自身をも救うのだ。








いつもこの「独りよがり」のブログを
読んで頂いて、ありがとうございます。
内容次第でアクセス数が大きく変わる事に、
皆さんの興味や目的意識を感じています。
しかしあくまで「伝えたい事」に固執した、
独りよがりのブログなので、今後もよろしくお付き合い下さい。

皆さんが私のブログに求めるものは、
何らかのヒントや助言など、プラスを持って帰りたい、という事だろう。
私自身もそのつもりで書いてはいるが、
私は基本的には「苦言」を呈している。
「こうあるべき」を書いている。
もし内容に共感できたり、「なるほど」と思ってもらえたのなら、
「じゃ、そのウチやってみるか」では無く、
今すぐ実践して欲しい。
何かを変えるきっかけになって欲しい。
私は「正論」を吐くつもりは全く無い。
現実的で避けて通れない事柄を論じているつもりだ。
「やったら良いんだろうな」では無く、
「やるしか無い事」「やらずに未来は無いぞ」って事を書いている。
中途半端に人生のチャレンジを諦めたりして欲しく無い。
やれる事はやり尽くして欲しい。
だから書いている。
自分はこれには当てはまらない、と高を括る事の無いよう気をつけて欲しい。
努力や改善の余地の無いアーティストなどいない。
逆にそれがあるから進める。
弱点の認識こそが、さらに良くなるチャンスだ。
演奏や唄や曲に対して「まあ、良いんじゃない?」ってのが最悪だ。
もし誰かにそう評価されたら、最大の危機感を覚えるべきだ。
それは「そこで終わり」「これ以上どうしようもない」って評価だからだ。
とにかく上り続ける事。
達成感など感じてる暇は無い。
音楽を含め、全てのクリエーターは、常にガツガツと「次」を求め、
自分に厳しくストイックに生きるしか無いのだ。
楽をしたければ、ただの無目的なフリーターで終わりだ。

考え方が「ヌルい」とスピード感が上がらない。
すぐに「しばらく休ん」だり、「解散」したり、
誘われるままいくつもユニットに参加したり、
で、そのウチ上手く行かず、1人に戻る、を繰り返す。
本道から外れる。
イチイチ今の状況の悪さを環境や誰かのせいに押し付ける。
とにかく何でも良いから「変える」事に解決を求めたがる。
違う。
問題は欠点を修正しない事。それに尽きる。
本来のスタイルのままでも戦えるのだ。
では、どうすれば?
そのヒントを私はこのブログで様々な角度から書いている。
君に合った方法論もあるはずだ。
読み、実践して欲しい。
まず「甘い自分」「ヌルい自分」を自覚しよう。
まず目の前の一つを。そして次。さらに次をクリアして、
遠回りに見えても、本来選んだやり方、道筋で戦おう。
その先にユニットやバンド化が待っているかも知れないが、
それは「逃げ」の変化では無く、必然性の先にあるべきだ。

そして何度でも言うが、
核になるのはやはり「唄」だ。そして「楽曲」だ。
ここから全てがスタートする。
そこへの取り組みが甘いから物事が進まない。
手応えや結果が見えて来ない。
そして取り組む方法論は様々にある。
それを見つけよう。急いで見つけよう。
確かなのは、近道は無い、という事。
だからこそ早く方法論を掴み、実践を始めて欲しい。
繰り返しになるが、弱点は進化へのチャンスだ。
だが弱点の放置は、崩壊の始まりだ。
自分を実現するために、今やるべき事をやろう。

結局同じ話しの繰り返しになっている感は否めないが、
それでも私はしつこく書き続けるので、
ぜひこのブログを生かし、活用して欲しい。
そして感動的な楽曲を、演奏を、ステージを作ってくれ。
みんなが一歩でも前に、上に進んでくれれば、
全体で日本の音楽シーンが盛り上がる。
ぜひその原動力になって欲しい。
だって君はその一員なのだから。



自分の楽曲を譜面にする事が出来ない人が結構いる。
クラシックをやってた人はそれなりに出来るだろうが、
残念ながら、自力で歩いて来た人の中には、
譜面を書けない、読めない人がまあまあの割合でいる。
中には今弾いているコード・ネームが分かってない人も。
自分の曲を誰かと一緒に演奏する場合、
譜面を用意するのが原則だ。
いわゆる「玉譜」という音符を一個一個書く必要までは無い。
一般的に使用されているのは「リズム譜」だ。
コードと「キメ」と、行き方を示した簡易な物が使われる。
これがあれば、基本的に全ての楽器の人達が同時に演奏出来る。
「一人で弾き語りだから要らないよ」って人も、
CDを制作する際、アレンジを発注したり、
ここぞのワンマンでサポートを付けたくなる時が来る。
口伝えで充分、という人もいるだろうが、
元々譜面を書く能力が無いのなら、正確に伝える事は難しいだろう。
勘違いや間違いが生まれ、演奏に「濁り」が出る可能性が高い。
適当な譜面を作り、アレンジを発注した場合、
予想外のオケが出来てしまうトラブルは容易に想像出来る。
本来「曲を作る」とは、決定稿の歌詞カードと譜面が揃って出来上がりだ。

 

ミュージシャンとして胸を張りたいのなら、
最低の音楽的ボキャブラリーは持とう。
和音を示す、テンションを含むコード・ネーム。
音符の長さを示す、4分、8分、16分。3連符。付点音符など。
そしてタイや休符やリピート記号。ダカーポにダルセーニョ、コーダ・マーク。
実際には大した事は無い。
小学生でも理解出来るレベルだ。
そこを「何かメンド臭い」で避けているのは、
明らかなサボりだし、ミュージシャン同士の会話が成立しない。
何よりも、自分自身が自分の音楽を把握しきれていない事になる。
「感性」での創作がもちろん基本だが、
「知識」での工夫がいずれ必ず必要になって来る。
それ無しには幅が拡がらない。
当たり前だが、知らないコードやコード進行は作曲上なかなか登場しない。
知っている範囲の使い回しは、曲作りの幅を極端に狭める。
なかなか新曲が出来ないのも、出来ても似たような曲ばかりになるのも、
その理由はこの「知識」の欠如が原因だ。

 

このような楽典的な事柄以外にも、
楽器に関する知識や、オーディオ、レコーディングに関する事。
バンド・アレンジをする場合、多くの楽器の奏法、特徴などの知識も必要。
ライブハウスへの出演時の用語も様々にある。
メジャーに駆け登れば、契約やマネージメントとの間の用語、知識。
それらは言ってしまえば「社会人としての常識」だ。
もちろんその都度学べば良い訳だが、
知っておく事、知ろうとする意識無しには、
今いる環境からの脱出は難しい。
音楽活動の幅を拡げる第一歩は、
まずは音楽的ボキャブラリーを増やす事だ。
コミュニケーションが変わり、意識が変わる。
音楽を理解する事で、その深さも知る事になるだろう。
どんなジャンルにも必ずそこには形式やルールやメソッドがある。
それは言い換えれば、「先人の知恵」だ。
ミュージシャンだけが、それらをバイパスし、
小手先でとりあえず活動してしまう傾向にある。
言ってしまえは「当たり前」の欠如だ。
楽しい事の前には、必ず面倒な苦労が付いて回る。
しかしその努力の向こう側には、未知の楽しさや喜びが待っている。

 

君が天才で無いのならば、
学び、取り組み、努力する以外に手は無いのだ。
誰にでも何らかの「才」はある。
だが、それを花開かせるには、長く険しい道を辿る必要がある。
逆に言えば、それさえすれば、成功する可能性がある、って事だ。
君の人生の邪魔をしているのは、他の誰でも無い、常に自分自身だ。
まず自覚を持ち、取り組もう。
答えは必ずある。