独り言 | 20年以上の倉庫現場経験者が伝える仕事術

20年以上の倉庫現場経験者が伝える仕事術

20年以上の倉庫でフォークリフトを使っての仕事経験を活かした現場で培ってきた仕事術をお伝えします。

DVD「Lie to me 嘘の瞬間」は、何回見ても面白い。


そして、見れば見るほど、色々な見方が出来るのと同時に、日本ドラマにはない、世界の広がりと深さを感じる。

それは、脚本がどうとかのレベルではなく、アメリカと言うさまざまな問題を抱えている国だからこそ広がりと深さではないかと思う。

日本ドラマとアメリカドラマの根本的な違いは、そこにあるのではないかと感じる。


そして、サスペンスと言う分類だったが、自分はそうは思えない。

むしろ、仲間・家族と言う部分が強いのではないかと思う。


全体で感じるのは、行動の先には、必ず結果が伴い、それが、自分が望むとも、望まぬとも受け入れなくてはならない。


自分が、望む結果であれば、誰しもたやすく受け入れる事が出来るだろう。

では、自分が、望まない結果だったら。

だからこそ、行動を起こす際には、リスクマネージメントをする必要があるのではないかと思う。


とはいえ、いつもいつも、そんな事を考えて行動をするわけにもいかず、場合によっては、自分の予想以外の結果が出る場合もある。

だからこそ、どんな結果を得る事になろうとも、それを受け止めるだけの心の強さ、精神の柔軟性を鍛えておかなくてはならないのではないかと思う。


では、心の強さや精神の柔軟性をどうやって鍛えるかと言えは、さまざまな経験をするしかないのではないかと思う。

どんなに本を読もうが、経験に勝るものはない。


経験をするという事は、行動を起こすと言う事であり、そこには結果が伴う。

そう、経験とはさまざまな結果を手にしていると言う事なる。

だからこそ、さまざまな結果を受け入れ、対応出来るようになる。


少し前に言われていた、教育格差や収入格差とは、経験格差にも繋がるのではないかと思う。

さまざまな経験をする事により、思考の柔軟性も高まり、視野も広がり、思考の選択幅も自然と広くなる。


就活で苦労している大学生も、もしかしたら、経験の差が採用・不採用に繋がっているのではないかと思う。


今の時代、大学内でのサークル活動なんて、やって当たり前であり、それ以上の事を社会は求めているのではないかと思う。


ネットを使えば、大学内と言う狭い世界など簡単に取り払える。

サークル活動をするのであれば、ネットを使い、大学内だけでなくさまざまな年齢層の人達との交流をするべきだろう。


同じ年齢の人達から得られる経験など、同じような経験か、たかが知れているものばかりだろう。

それよりも、さまざまな年齢層の人達と交流を持つことで、今の年齢では得られない経験を得る事も可能になってくる。


今は、インターネットの規制を厳しくして、子供にかなりの制限を与えているが、それは、貴重な経験を得る機会を失わさせているのではないだろうか。


グローバル化が進めば、嫌でもネットを有効活用しなくてはならなくなってくる。

むしろ、使いこなせないと仕事すら得る事が出来なくなる時代が必ず来る。

アメリカ SNS 大手の Facebook は、サイト上で mixi とのサービス連携 がその兆しではないかと思う。


Facebookは、本名で登録となっているので、日本には合わない部分もあるかもしれないが、mixiであればなんの問題もない。

それが、サービス連携となれば、かなりの規模になり、コミュニケーションサイトとしては、かなり有効になってくる事は明らか。


そして、インターネットをやる上では、自己責任が求められるが、それは、言い変えると行動によって得られた結果を受け入れるだけの人間力を備える事ではないかと思う。


時代は、インターネットが普及し、さらにその先に進みつつあり、日本以外の先進国は的確に対応しつつあるが、日本はいまだに党内のお家ごとにご執心。


表面上は国民の為と言っているが、そんな戯言は、誰も信じない。

明らかに日本の社会構造は破たんし、時代にそぐわない事は誰しも感じているのだから、地方に任せられるすべての事業を任せ、それに伴う財源も移譲し、国の運営に最低限必要な機関を残して、それ以外の省庁をすべて解体し、0から組織構築する必要があるのではないかと思う。

そして、その旨を海外へ発信し、さまざまな分野でサポートをお願いをする。


組織の再構築をするにしても、期間は最長で一年。

今までお家ごとにしか興味を持たず、何もやってこなかったツケを払ってもらうだけの事なので、新人議員には悪いがその間は、政治家には無休でフルで働いてもらう事になるが。


ただ、問題は、どんな批判や反発にも耐えうる精神力の強い先導役となる決断力のあるリーダーが不在と言う事。


以前、ゆとり教育が問題になって、急に教育方針を変えたが、これは、政治家の世界に言えるのではないかと思う。


戦後から今の日本の基盤を創り上げた政治家と今の政治家とは、明らかに本質的な資質が違うのではないかと思う。


戦後の政治家は、貧しい日本をいかに成長発展させて、豊かな生活をするかと言う事に奔走し、今の日本の基盤を創り上げた。

それは、企業も同じで、いかに世界に通用する物を創りだすかと言う事に心血を注ぎ、グローバル企業を創り上げた。


それが、日本がある程度、成長発展を遂げ、豊かな生活を手に入れるとともに、ほとんどの企業の経営者は守りに入り、政治家も引かれた線路に乗るがごとく、惰性で政治を行い、内輪の揉め事に奔走し、時代の変化を感じず、今になって慌てふためいている。

そんな環境で、育った政治家に強いリーダーシップを求める事自体無理ではないかと最近、つくづく感じる。


高野登氏の言葉の通り、「リーダーシップは、育つもの」であり、その土壌がゆとり教育のようにゆるゆるでは、育つものも育たないだろう。