運転 | 20年以上の倉庫現場経験者が伝える仕事術

20年以上の倉庫現場経験者が伝える仕事術

20年以上の倉庫でフォークリフトを使っての仕事経験を活かした現場で培ってきた仕事術をお伝えします。

最近の車は、オートマ車がほとんどなのは、誰でも知っている。

オートマ車は、運転するのは簡単で楽だが、臨機応変に対応し、状況に合わせて自分で考えながら運転すると言う行為を奪ったのではないかと思う。


それは、自分でハンドルを握り、さまざまな状況に合わせて、ギヤ比を考え、エンジンの回転数を合わせるなど、臨機応変に対応する能力を訓練する一つの場を失くしたのではないかと思う。


ミッション車は、両手・両足を使うが、オートマ車は片手(両手?)・右足(左足ブレーキを使う人は別だが)ぐらいしか使わない。


これを強引に行動の選択肢の数に変えると、ミッション車は4個なのに対して、オートマ車は2(または3)個しかない。

これだけでも、行動範囲と思考の範囲が大きく変わってしまう。


車の運転の楽しさは、その選択肢の幅の広さにあったのではないかと思う。

それを安全性や操作性の名のもとにどんどん奪い、車をただの移動手段にしてしまい、車離れの原因を作り出してしまったのではないかと思う。


ちょっとした勘違いや不注意で起こるのかもしれないが、いまだに起きるブレーキとアクセルの踏み間違いでの事故。

ミッション車には、前進であれ、後進であれ、クラッチを踏むと言う1ステップが、必ず入る。

この1ステップこそが大事なのではないかと思う。

行動に一呼吸を入れることで、全体の状況を再度、考えることが出来るのではないかと思う。

オートマ車にも、その一呼吸があれば、踏み間違いの事故の確率は減るのではないかと思う。


決断をし、行動をする前に一呼吸を入れることは、どんな状況にも当てはまるのではないかと思う。




オートマ車とミッション車の一番の決定的な違いは、自らで運転している感覚を得られるかどうかだと思う。

自分の乗っている車は、ミッション車だが、たまにオートマ車に乗ると物足りなさを感じる。

オートマ車の運転は楽だが、運転してるのではなく、ただ、乗っているだけにすぎない感じを受ける。

ちなみに、ミッション車の運転は、慣れればオートマ車を同じ感覚で運転できるが、自らで運転していると言う実感はある。


自分で運転しているのを実感する。

言ってみれば、自分の人生をどの様に生きるか、意思で考え、決断し、自発的に行動し、自分の力で照らし、切り開いていくことに似ているのではないかと思う。


今の世の中、親が勝ち組か負け組かと言う事が、子供の人生にも影響を与える時代。

この時点で、親の世話になるしかない子供時代のレールは引かれているのではないかと思う。


問題は、そんな引かれてしまったレールの上を走りながらも、自分の大切なもの、守りたいものを見つけられるかどうかではないかと思う。


親が勝ち組だとしても、その子供が、自分の縦軸を見つけ出す事が出来ず、子供の頃からのレールを延長し、それなりの大学に入り、それなりの会社に就職し、それなりに昇進し、定年で退職すると言う人生に充実感が湧くかと問われたら疑問が浮かぶのではないかと思う。


それに対し、親が負け組だとしても、その子供が、自分の縦軸を見つけ出し、親の引いたレールから外れ、自分自身でレールを創り出し、自分の力で照らし、進んでいく人生の方が、はるかに充実感が得られる人生ではないかと思う。


親が勝ち組であろうと負け組であろうと、自分の人生の縦軸となるモノは、自分自身で見つけるしかない。

そのためにも、自分自身に対し、常にどうするべきか?問いかけ、自分の大切なもの、守りたいモノである縦軸を見つけ出し、その縦軸を基として、自分だけの人生のレールを創り出す事で、自分らしい充実感を得られる人生を歩めるのではないかと思う。