私の好きな写真の一つに、ロベール・ドアノー(1912-1994)
のポートレート写真があります。
1951年に撮影された、「マドモワゼル・アニタ」です。
ドアノーはこの写真を撮影したエピソードの中で、こんな言葉
を遺しています。
まるで蛍光灯がともったようにそのひとを明るく
浮かび上がらせ、つかのま別格にする輝きをオー
ラという。
ドアノーはパリに住み、パリで活動していた写真家ですが、
愛すべきこのうす汚れたパリの色は、庶民が日々の暮らし
とともに染め上げた色だと写真集の冒頭で述べていました
が、きっとドアノー自身もその色に染まり、パリと一体と
なって撮影をしていたのでしょう。
このポートレート写真にはきらびやかに微笑む若い女性が
写っているわけでもなければ、背景も地味で何か特別目を
惹くものが写っているわけでもありません。
でもこの写真には、ドアノーがいうパリの色がただよい、
その中で女性もその空間のエネルギーを吸い込み、はきだす
かのようにオーラを放っています。
それが余りにも静寂で、まるで全ての音を遮断してしまった
ような不思議なエネルギーに満ち溢れています。
人は決してその置かれた空間に切り離されて生きているのでは
なく、何層にも積み重ねられた色の空間の中で、一体となり
オーラを発することがあるのだと思います。
残念ながら、現在はそういった古いものは瞬く間に再開発の
波に呑まれ、そういった空間そのものが消滅してしまっている
と感じます。
それはパリでも、日本でも同じことでしょう。
優れたポートレートは、その空間とそれを取り込み、オーラを発
することが出来るモデルさんが居て初めて結晶化されるものだと
感じています。