六ヶ所村立郷土館#3:六ヶ所村 | fidealのブログ

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六ヶ所村立郷土館には、縄文時代のジオラマがありますが、

 

これは三内丸山遺跡に展示されていたものよりも、リアルで

 

印象的でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この郷土館で特に印象深かったのは、赤ちゃんの手形を土器に

 

遺したものでした。

 

 

 

 

 

 

赤ちゃんの手を何かに遺すということは、現代でも普通にあること

 

ですが、数千年前も今も変わらないものだと感じました。

 

 

 

現代のように便利なもので溢れている世界でなく、何も無かった

 

縄文時代に、彼らは自分たちで生きるための道具を作り、狩りを

 

して、その瞬間瞬間の幸せが、やがて深い精神性を育み、あの

 

ような宇宙の進行、生と死と再生の世界を土器に投影していた

 

と思うと、私などはモノという一過性の鎮静剤を常に打ち、それは

 

写真を撮る行為ですら、自分のためにやっているわけでない、

 

そこにカメラがあるから、使いたくないモノに使われる、そんな貧

 

しい日々を送っているものだと、自嘲してしまうのです。

 

 

 

基本は、生きるということは食べるということ、煮炊きに使う土器は

 

食材を変容して、新たな命の源へ変えていく、その行為がやがて

 

受胎、出産の象徴として土器が命の器となり、更には減殺し、また

 

満ちていく月の運行にまで、その思いを縄文人達は馳せていた

 

のでしょう。

 

 

 

そんなことを思いながら、六ヶ所村郷土館を後にしました。