撮影後記:Mizukiさん | fidealのブログ

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昨日の記事で、Mizukiさんとの樹海の写真公開は全て

終了しました。

 

 

 

長期間に渡り、お付き合いいただきまして、ありがとうご

ざいました。

 

 

 

生と死の抱擁というテーマに臨んでくださったMizukiさん

ですが、実は今年の4月に、マコさんとホテルで撮影した

ものとテーマは同じものでした。

 

 

 

 

ところが、同じテーマで臨んだつもりが、実際に蓋を開け

てみると、マコさんとMizukiさんではかなり印象が異なる

結果となりました。

 

 

 

マコさんが骸骨と抱き合う写真は、性的な印象が殆ど

感じられることがなかったのですが、Miukiさんの場合は

それが顕著に現れていました。

 

 

 

とはいえ、もちろん性的なものを扇情するようなものでは

なく、Mizukiさんの力強い肉体が、生命の再生という

かたちで強く現れた結果となりました。

 

 

 

今年の樹海のテーマの目的は、美しい森の中で、若い

女性の裸婦像を立たせれば、小学生でも綺麗な写真が

撮れるという事実から脱却して、美しい森を維持する為

には、次世代へとつなぐ、死と腐敗、再生という樹海で

行われているプロセスを、女性の肉体を通してお伝えし

たかったということでした。

 

 

 

そして何よりも樹海は多様な世界であり、単に森の中に

モデルさんを立たせておけば、それで完結するというも

のでもないからです。

 

 

さらにそれは、ヌードモデルというカテゴリーにおいて

も、多様なテーマにより細分化する必要があり、利多

さんと一緒に撮影した、あいさんMizukiさんも同じ

ヌードモデルでありながら、全く違う印象を受けたの

ではと感じています。

 

 

 

骸骨は樹木の象徴でもあり、乳房に添えられた骸骨の

両手は樹木の枝あるいは樹木に絡む蔓の象徴であり

それは、死が生を消費するイメージでもあります。

 

 

私たちは生きるために、生きているもの、すなわち肉や

魚を殺して食べて、命をつないでいます。

 

 

 

それは人間に限らず、普段よく目にする鳥のセキレイも

虫を追いかけて、必死に生き延びようとしています。

 

 

 

樹海でも同じことが繰返され、新たな命が生まれては

消滅し、また再生されるのですが、このテーマをお伝え

するには、Mizukiさんの肉体は絶対条件でもありました。

 

 

 

彼女の持つ力強い肉体と、生命力、そしてそれを受け

いれる女性特有の器の大きさが、優しいイメージでも

あり、何か樹海の本質に触れたような気さえするのです。

 

 

 

モデルの利多さんが、樹海は優しいイメージのあるとこ

ろだと常々おっしゃっていましたが、もしかすると彼女が

言う樹海の優しさとは、そんなところを意味しているのか

とふと考えてしまいました。

 

 

 

さて、今年の樹海での現時点での評価は、100点満点

で、15点というところでしょうか。

 

 

 

今年の樹海でのテーマは、マコさんとのホテルでの撮影

から始まり、利多さん、あいさん、Mizukiさんのご協力

を得て、なんとかここまでたどり着くことができました。

 

 

 

撮影者の精神的な未熟さから、ほとんどお伝えしたかっ

たことは残されてしまった感じですが、今年の撮影を

通して、多様な樹海における、お世話になったモデル

さんの今後の役割や、方向性が見えてきました。

 

 

 

 

とはいえ、今年のテーマの表現手法は、果たして本当

にこれで良かったのか、頭の中で考えていた消化不良

のイメージを、ただ出しただけで終わったのではない

だろうか?

 

 

 

実際にやってみないと分からないので、やってみた

ということはありましたし、そんなものを写真として

公開すべきでないと言われれば、返す言葉もありま

せん。

 

 

 

そのような意味では、今年は小学生でも撮れる写真

どころか、小学生以下の写真だったと言われても、

うむ、そうかもしれません。

 

 

 

それでも一つだけ変えてはいけないといいますか、

変えようのないお約束事は、決してネガティブや

アングラに走ることはないということです。