2010年4月から、およそ3年半、利多さんという一人のモデルさん
にお世話になっておりました。
利多さんの名前を知っている方は、前身の「zummar」のブログの
時代からお付き合いのある、ふぐぺそさんと、球体間節人形作家
のALICEさんだけですが、訳があって、利多さんの写真をこちらの
Fidealのブログに掲載することにしました。
利多さんは、いわゆる表面的な女性としての美しさを表現する
タイプのモデルさんでなく、自身の内面的なものをもがきながら
探求し、それを昇華して表現するタイプの奥深いモデルさんで
ありました。
残念ながら、諸事情により彼女の撮影をすることは出来なくな
ってしまいましたが、本日は利多さんでなく、遥さんというモデル
さんの写真を、利多さん写真掲載の前に添える形でご紹介した
いと思います。
なぜ利多さんでなく、遥さんなのか・・・
実はその問いは、私が利多さんを撮影していた間、ずっと
私自身がその答えを求めていたのですが、皮肉にも、もう利多
さんの写真を撮れなくなってしまった今になって、ようやく分かり
かけてきたのです。
遥さんを最初に撮影したのは、利多さんとほぼ同時期でしたが
その当時は特に遥さんというモデルさんについては、私の記憶
から消えかけていたモデルさんでした。
ところが、ある日、利多さんと伊東で撮影をしていた折に、たま
たま遥さんの話になって、利多さんとしては、遥さんについて、
とても気になるモデルさんだとおっしゃっていました。
それを聞いて、私にはさっぱり意味が分かりませんでした。
利多さんと遥さんは、全くタイプの違うモデルさんで、表情に
しても存在感にしても、利多さんの方が優れていると感じていた
からです。
それにしても、利多さんが何故、そこまで遥さんのことを気に
されるのか、ずっと私の心の隅にあって、ひっかかっておりま
した。
実は利多さんと遥さんは、モデルさんとして、具現化する、その
存在イメージは異なっても、自身の内面的なところで苦しみ、
もがいている点は共通していたと思うようになりました。
お二人は、全くイメージは違うのですが、深いところで孤独感や
苦しみを内在し、それが寂しい瞳の中に現れているのです。
遥さんの場合は、それがストレートに出てしまい、ある意味
表情を重視されるモデルさんとしては、マイナスとなってしまう
こともあり、利多さんの場合は、それを昇華して、私から見れば
プラスのエネルギーを表出しているように見えるのです。
しかしながら、今私が感じていることは、利多さんが持っている
負のエネルギーの客観的な原型のようなものが、遥さんが
表出している、それ、すなわち普遍的な悲しみなのではという
ことなのです。
人物を撮影するということは、自分とは孤立したもう一つの
小宇宙を撮影するということ。
そう思っていても、やはり主観が前面にでてしまうもので、本当に
難しいものです。
(遥さん:東京タワーにて)
遥さんと、東京タワーで撮影をしていたとき、彼女はこんなことを
おっしゃっていました。
薬(精神安定剤)を飲んでいても、自殺する人は自殺するんです。
だから、私は(どんなに辛くても)薬は飲まないんです。
明日からの利多さんの写真は、当時の撮影エピソードも加えて
掲載予定です。