再び三浦半島へ | fidealのブログ

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昨日天気が良かったので、先週に引き続き、再び三浦半島


へ行ってきました。







今回は、三崎港から、浜諸磯、油壺湾、荒井浜までのおよそ


5Kmのコースを歩いて来ました。







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先ずは、浜諸磯です。







暖かい春の日差しの下、久しぶりにのんびりと岩場で寝そべって


いました。







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穏やかに潮が海草を優しく撫でる波の音と、それを輝かせる


柔らかな日差しの現実の光景に、時折先月死んだ、父の死に


顔のヴィジョンが浮かんでは消えていました。







三浦半島の南端は、豊かな自然が残っていて、観光地崩れ


していない箇所が残されているのですが、この浜諸磯もまた


民家も民宿も少なくて、ひっそりと静かな時間が流れている


ところでした。







さて、次に訪れたところは、油壺湾です。









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波がなくて、水面が鏡のように美しいと言われている湾ですが、


そのためか、ヨットの係留には理想的な場所のようです。







個人的にはヨットがなければ、本当に鏡のような水面が楽しめる


と思ったのですが、仕方ないですね。






因みに油壺という一風変わった湾の名称の由来は、1513年頃


に、北条早雲がこの油壺湾を攻めて、それを迎え撃ったのが、


三浦道寸義同であったそうですが、1516年に陥落して、義同


父子は、家臣とともに自害、討ち死にして、この湾に身を投げて


血で染まった湾が、油を流し込んだような光景だったことから、


この名前がついたそうです。






さて、油壺湾から、そのまま荒井浜まで歩いて来ました。








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夏は海水浴客で賑わうそうですが、ここも海水の透明度が高く、



とてもきれいな浜でした。





この荒井浜から、ゴールである油壺バス停のすぐ手前に、


三浦道寸義同のお墓と、辞世の歌が紹介されていました。







討つものも討たるるものもかわらけよ



砕けて後はもとの土くれ








かわらけは、土器という意味だそうですが、人間なんて


死んでしまえば、ただの土くれでしかないということで


しょうか。






どんなに偉業を成し遂げた人であっても、行き着くと


ころに大差はないということですね。







さて、ゴールである油壺バス停には、油壺マリンパーク


がありました。







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マイナーな水族館のようですが、早速入っていきました。







といっても、トイレを借りただけですが・・・






これで、午前中のスケジュールは終了しました。






午後は、三崎の港町を歩きましたので、そのご報告は


また明日にでも。