3月になれば、気持ち的には春を待ち焦がれて、暖かな日差しを
切望してしまうものである。
特に今年は、柔らかい初春の日差しが、裸になった木々の枝が、
冷たく硬質な冬の日差しに晒されている冬の光景を、目を伏せ
ながら何度その印象を取り込んだことであろうか。
しかし、3月になって、木蓮やコブシの花が咲き始めると、決まっ
て想う事は、その柔らかな日差しに落とす影が死を連想すること
である。
そんな季節が終われば、ソメイヨシノが満開になり、まさに世界は
発狂と死に支配されるのではと思い、魂を吸い取る満開の夜桜
と月が、なんとも不気味な印象を与えて止まないのです。
父が入院している病室の窓から、外を見下ろせば、冷たい雨の中、
合羽を着ながら、病院の施設の管理をしている人たちが見える。
昨日は、父が入院して以来、かかさず見舞いに来ていた母が体調
を崩して、初めて休みとなったので、今日は一人で父の見舞いに
やってきた。
体調を崩したといっても、100%精神的なダメージからくる心労で
あるのはあきらかであったので、今日は看護師さんに、カウンセラ
への相談ができないか、打診してみた。
この病院は、縦も横も、とても上手につながりがシステム化されて
おり、入院している父本人だけでなく、その家族のケアについても
配慮が滞りなくなされており、今日相談を受けたカウンセリングに
ついては、早速カルテに記入しておくということだった。
至れり尽くせりの病院である。