10日ほど前だっただろうか、タイの娘の誕生日に合わせてママが向こうへ行ってくると言い出したのは。急ぎチケットを取り成田までの空港便(ジャンボタクシー)に問い合わせると「羽田へは従来通り、乗り合いでの空港便は復活したんですが、成田便は貸し切り便しかないんですがよろしいでしょうか」
そうだね、コロナはこんな交通網にも影響を及ぼしていたんね~くらいに受け止めて、そのお値段を聞いてみるとびっくり!「六万円です」。そりゃもうカッチン普通に固まります。
幸い現場は入って居なかったし、東京に居る娘や孫の顔でも見てくるかと昨日、明け始めた4時半にハンドルを握った。ご存じの通り、あいにくの天気で暖房をガンガン効かせてのドライブは汗をかくことを嫌って半袖のシャツにしていた事をすぐに後悔させた。だって、小諸から軽井沢あたりなんて外気温8°でっせ~。横川を過ぎた辺りから、冷えたせいかお腹は痛くなってくるし、悲惨な道中でした。
成田に着いても土砂降りの様相はそのままで用心のために用意していったトレーナーに薄手のジャンパーといった井出達は3月を思わせるに充分だった。それでも空港内は今までの成田が嘘みたいに活気があってそれぞれのカウンターに長蛇の列が出来ている。平日でもこの賑わいなら本当に旅行客は戻ってきてるみたい。ただ、ここまでに向かう中のラジオから「中国ではまた第何派目かの流行の兆しが顕著で来月の中旬ごろピークを迎えるようだ」なんて流れていたので用心の為、二人ともマスクは手放せなかった。
ママを見送って一人で東京に向かう時も条件が悪かったせいか、ひどく疲れてるような感じがして二度も休憩をとって次女のマンションに向かった。途中、勤め先に寄って鍵を借り簡単な食事の調達にスーパーに回ると、もうその辺からトンボ帰りをする気も失せて結局泊まり込んでしまった。せっかくだから近所にある焼き肉屋さんを予約して 長女と乳児は残して四人で出かけ久しぶりのお肉を楽しんできた。
翌朝は次女の孫(小学三年生)をお見送りしてから長野に戻る。やっぱり天候が違えば気分も疲れ方も違ってくる。関越に入る前の水戸街道~首都高、外環は出勤ラッシュか結構な混みようで、それでも急ぐ事も無かろうとのんびり走ってると富士山が最高によく見えて、ついつい渋滞から止まった時にパシャリと
なんだか得した気分になれるのはお気楽、単純思考の賜物で、その後も安全運転(普通にガソリンがヤバかったんで省エネ走行)を続けた。パネルを見ればあと100キロは走れる表示だったんで上里まで行っちゃおうと真ん中を選んで90キロにセットし景色を楽しんでいると高坂の辺から愛車と色違いの車がずっと前を走ってる(おんなじ90キロをキープ)。こちらも自動モードなんだろうななんて考えてた頃に給油ランプが点灯し始めるもんだからこりゃいかんと、風の抵抗を考え左車線を行くトラックの後ろに就いた。有難い事にこちらは80キロ走行で安心して付いていくと まちに待った上里まであと3キロの表示。よっしゃ~よく頑張ったね~と愛車を褒めるようにハンドルをなでなでしてたら・・・
な~んと高坂から並走してた色違いのスバルは覆面だったようで めっちゃくちゃ高そうな車を後ろに従え路肩に停めて切符を切っていた。やべ~、ガス欠が怖くて省エネ走行してたけど、普段ならマックスの114キロ設定だから僕が切られていたんじゃないかと勘繰る。いや~、何が幸いするかわからんもんだね。
ママが帰国するのが8日の朝の便で八時半には成田に着いていたい。もちろん迎えに行かなきゃならないんだけど、今回次女のところに停めてもらってつくづく行と帰りは分けなきゃ持たないのがわかったので前日に東京に泊まって成田へ行くつもり。自分の体も楽だし、何と言っても娘や孫たちに会えるが良い。財布は大変だけど、今の内にごますっとこ~ッと