老いて  笹 ツヤ子

 

また一つ齢加えぬ幸せと祝のケーキ、ローソクも増え「九十六歳」

 

人は言ふ「老いは足から」と得意の早足、今はなつかしい

 

散歩中意識薄らぐ気が付くと頭から血が傍に鴉めが

 

母縫ひし袷思ひ出一ぱい我老いて今雑巾作り居り

 

朝夕のカーテン係それは我、先ず空を見て天気予報もどき

 

 

 

真 理  笹川妙子

 

真理とふ命の言葉を楯として明日に踏みゆく恵みの一歩

 

生かさるる今日の一歩ぞ主のものとふ任命さるる道をひたすら

 

謎多き見えず聞こえず手に触れぬ神の存在聖書は告げむ

 

正と死の何故何故を解く唯一の鍵は聖書の中に明確

 

姑に素直な愛を捧げきり模範となりしルツ物語り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サイレント・ワールド  斎藤嶺也

 

人生は苦難のつづく道なれど幸のひとつを杖とたよりて

 

黄昏はさもあらばあれ晩秋の白樺の下(もと)ねむりに落つる

 

吾と汝と二人でひとり遠き径喜寿となりてもまだ先見へず

 

喧騒の大都会より逃げかえり雪のふるさとサイレント・ワールド

 

眼下には白く化粧す山河ありけもののにほひす生ある大地

 

 

 

晩秋の葦原  斎藤陽子

 

新雪を踏みしめて行く河川敷ほそき首延べ白鷺飛べり

 

草の間に見失ひたるわがめがね うつとり見をらむ今宵満月

 

文箱に理系の汝の癖文字がびつしり書かれし文あふれをり

 

露店湯に浸り私を過ぎゆきし人を思へり しばしたゆたふ

 

本を捨て洋服を捨て靴を捨て捨てざりし想ひ罪のごとしも

 

 

 

 

 

 

 

 

神 苑   後藤優美子

 

はじけ散る木ささげの花一面にポップコーンを散らばしたやう

 

境内にたまつた毒を吐くやうに紅天狗茸傘を広げる

 

唐突にある朝冬はやつてきたお色直しの花嫁のごと

 

麻の実は七味の中の一つとてその実食むこと罪に問はれず

 

蜜蜂が首を傾げて探しをり麻の畑は確かこの辺

 

 

 

残し帰り来  佐井恵子

 

おほかたは鳥の餌となる金柑のちさき黄金が地にまろびをり

 

ひと冬の母の留守居に咲きつぎし庭の椿のくれなゐを掃く

 

七十の娘のひとりの寝泊まりを九十四の母が気にかく

 

術後の母の意識混濁はなはだし光みなぎる春の彼岸に

 

電車も止まる雨風なれば眼裏にさくら花びら散りぼふさびしさ