ばらばら  大熊桂子

 

老の身のあはれびしょ濡れ雨のなか両手にゆふべの食の荷持ちて

 

咳込みのはげしき深夜冷蔵庫のあかりに飲めり支笏湖の水

 

人沈めば二度と上がらぬ支笏湖の死者たち青の水にとけゆく

 

いちりんの水仙の花開きたり脳に春の水流れきて

 

バラが咲き散るはバラバラ世界さへばらばら崩れるガザイスラエル

 

 

 

平和を祈る  大倉純子

 

溢れだすラムネの泡が滴ると海馬のファイル夏をめぐりぬ

 

千の風七十九年吹く八月の憲法九条永遠に尊し

 

不条理も不安も餡につつむやう彼岸参りの御萩を作る

 

つつましく菊の花咲く夕庭に母の面影しづかにたちて

 

ききなれし「暑さ寒さも彼岸まで」人が変えゆく地球のくらし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日 々  大浦明弘

 

街にまたイルミネーション灯りだす輝くものを標と信じ

 

せめてもの抗ひとして温かきコーヒー淹れり吹雪の午後に

 

季は巡り郭公の声聞こえきて空は秩序に満たされてゆく

 

遺されたものを濡らして雨は降る終戦の月 雲の鈍色

 

作業機のタイヤはぐいと地を捉へ初夏の中へと分け入りてゆく

 

 

 

祝 膳  大浦松子

 

変哲もなき日常の尊さを知る朝となる年の始めに

 

忘るまい生く道選べぬ時代あり若き命の奪ひし世のこと

 

変わりなく朝のあるを疑はず米研ぎをりし摩周の水で

 

じゃが薯の花盛る清里に小麦も実り黄金波うつ

 

咲くさくらことしも友を連れて来ぬ花影に笑む忘れじの人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラピスラズリ  大朝暁子(故)

 

龍はなべて幻なればエロティシズムと説くなり名著『龍とドラゴン』

 

ラピスラズリに膠(にかは)を混ぜて日本画家夜のはじめの空を描き出す

 

ふくよかなヌードモデルを前にして碧き骨格を見てゐる画家は

 

一本の白く乾ける樹が立てばそこのみ影の落ちてゐる道

 

半身の付随と知らずメールして亡きのちに見る返信既読

 

遺歌集にしたくないと言ひしが友編む歌集通夜に戴く

 

 

 

 

暖 日  大家 勤

 

満開の桜林に分け入りて虚の豊けきにしまし痴れをる

 

気を抜かず生き来し時の煩労に焼かれ確たる老いの薄焼き

 

桜いろに艶めく小唄拾ひたる幼き頃の海のぬくもり

 

魂の転移といふを諾へば死すら断滅などにはあらず

 

赤色灯を回す車が暖日に吸わるるごとく見えずなりたり