今回からは、カンボジア事業を行うにあたり必要となる鉄、ステンレス、樹脂といった原料のサプライヤーを求めて旅をしたタイ王国のご紹介をします。第1弾は、タイの玄関、「スワンナプーム国際空港」(Suvarnabhumi International Airport)又は「新バンコク国際空港」(New Bangkok International Airport)のご紹介です。と言っても、今のところ第2弾までしか予定していませんが。。。

今回の調査は、経済産業省中小企業基盤整備機構(Organization for Small & Medium Enterprises and Regional Innovation)という組織が行なっている中小企業支援業務に応募をして、運良く支援対象に選出されたので、彼らとともにバンコクへ行きました。

タイでは、昔はドンムアン空港という空港があったのですが(今もありますが)、東南アジア圏やタイ自身の発展に伴い、もっと大型の空港が必要となり、このスワンナプーム国際空港を作りました。開港したのは2006年で、シンガポールのチャンギー空港と並ぶ東南アジア屈指の空港となっています。

そう、その通りです。その通りで、ここの空港は非常に良い。特に日本からカンボジアに行く際に、ここを経由していけると非常に良い。良いのです。何故ここまで言うかというと、私が行く際は、いつもそれが叶わず、上海浦東空港経由となるからです。日本からカンボジアに行く時に、最も費用的に安い方法が、中国東方航空を利用した上海経由の行き方なのです。これであれば、安い時で4万円台で日本とカンボジアを往復出来ます。これが、ホーチミン経由バンコク経由のプノンペン入りになると、突然航空券代が2倍ほどになったりします。韓国仁川国際空港経由だと、安くて5万円台でいけます。だからそういう訳でいつも上海経由を選択するのです。んで、その上海経由が何故嫌かと言うと、理由は2つ。一つは、「飛行機のなか」。飛行機のなか、娯楽何もありません。モニターありません。映画見れません。音楽聞けません。そして料理が異常に不味い。席がボロい、狭い。結構酷いですね。。。。そして二つ目が「上海の空港のなか」。別に中国や上海に尖閣諸島とPM2.5問題以外に恨みがあるわけではありませんが、上海浦東空港は空港として最悪で最高に退屈な所なのです。まず、あれはたぶん設計が悪い。というかデザイン上の問題。おそらく空港を作ろうとした当時、中国政府は素敵な空港を夢見て、フランスの建築家であるポール・アンドリューに設計を依頼しました。その結果出来上がった素敵な構造の一つが、天井から何百本も下に向かって突き出る白い柱でした。こんなヤツです。



英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

そう、これ。これがあるので、この空港には重大な制約が生まれてしまいました。

何に対する制約か、というと、「中のお店」です。この柱があるせいで、背の高い建造物を中に建てられなくなってしまったのです。だから、上海浦東空港の中のお店は、その全てが非常に背が低く店内も狭い。2階建てにすることも出来ないので、ショップ数も非常に少ない。そして追い打ちをかけるように、これはデザイン上の問題ではなく中国特有の問題かもしれませんが、中国内にある他の観光地と同じで、「同じようなものを売る同じような店ばかりが並んでいる」のです。そしてそして、これは中国の問題ではなく、この空港の問題だと思いますが、この空港内の食べるものはマジで、「不味い」。誤解が無いように言いますと、私は中華料理大好きです。中国の中で食べる料理も大好きです。でも、この空港の飯はホント不味い。ラーメン、全く味無し。不味い!もう一杯!さらにさらには、この空港には何故か私の大好きなマッサージ屋さんがありません。マッサージ大国なのに何故・・・。

この、飛行機のなかが最悪な環境で、さらにデザイン上の制約でお店の数が非常に少なく、一つ一つのお店が非常に狭く小さく、そしてその上同じような店ばかりが並ぶ、食べるもの全てが異様に不味い、マッサージ屋さん無い、という
六重苦により、上海経由カンボジアの旅は非常に辛いものとなります。しかし、それでも往路はまだマシなのです。問題は復路です。帰りは大体、プノンペン空港を夜中の12時前後(大体殆どの場合、遅延で深夜一時になりますが・・・)に出発し、上海に朝の4時過ぎにに到着します。そして、そんな早朝から次の日本行きの便、9時頃まで、場合によっては夕方まで、ずっと待たなくてはならないのです。何もすることのない、ご飯の不味い空港内でずっと待たなくてはならないのです。これは凄いですよ、想像してみて下さい。



だから!!



だから、その他の仁川国際空港経由、ホーチミン経由、バンコク経由は
天国なんだー!!お店がたくさんあって、ご飯も美味しくて、マッサージ屋さんもあって、飛行機の中で映画を見ることも出来て・・・良い事づくしじゃないですか!



スワンナプーム国際空港(新バンコク国際空港)、万歳!!


マンセーマンセー!!



そんなスワンナプーム国際空港、全然スワンナプーム国際空港の説明じゃなくて、ほとんど上海浦東空港への不満みたいになってしまいましたが、見てみましょう。




それでは、




ジャーン!




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終わり。
随分前になりますが、去年ミャンマー視察に行ったので、今回はミャンマーの記事です。

ミャンマーは、記録では11世紀にビルマ人がパガン朝という王朝を作ったのですが、ご存知の通りミャンマーは、北東に中華人民共和国、東にラオス、南東にタイ、西にバングラデシュ、北西にインドと国境を接する上に、その地域内にも物凄い多くの民族が混在する多民族国家(現在分かっているだけでも、カレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ヤカイン族、シャン族等々の少数民族がいる)であったため、その後様々な民族との間で内戦が起き続けます。

その後時は流れ、長い内戦や清との戦いが繰り広げられましたが、19世紀に起こったイギリス領インドとの三度に渡る英緬戦争を経て、敗れたミャンマーはイギリス領植民地となってしまいます。

その後ビルマ人達は一生懸命独立運動を行い、それは既に第一次世界大戦の時から始まっていましたが、なかなかうまく行きませんでした。そこで現れたのが泣く子も黙る大日本帝国軍でした。第二次世界大戦で東南アジアを制圧して回っていた恐い日本軍達でしたが、ミャンマーにとっては救世主でした。日本軍は、敵国イギリスを攻撃するためにミャンマーの味方となり、その独立を支援したのでした。そんなことでビルマ人達は、日本人達と協力し独立戦争を起こし、1943年にバー・モウさんを元首とするビルマ国という国を立て、独立に成功しちゃいました。わーい。

と、ここまでは良かったのですが、このあと物語はまた荒れます。根性論大好きな日本軍達は、補給路が無かろうが、レーダーが無かろうが、「いや、汗水垂らして、お腹減っても我慢して頑張れば勝てるっしょ。病気とか、気のせいでしょ。気の緩みでしょ。根性足りんでしょ。気合いが足りんでしょ。そんな奴は死ね。武士道とは死ぬことと何百年前に見つけたんじゃこら。天皇陛下のために死ね。」というノリで進軍し続け、あらゆる作戦に失敗し、戦争敗北必至状態になってしまいます。やっぱ戦争するには、レーダーとポパイのほうれん草は要るよね。

今まで植民地となっていて、やっと日本軍の協力で独立したのに、その日本軍が負けたら、また植民地になっちゃう可能性大なので、そんなの嫌なミャンマーは日本から離れます。ここで登場するのがかの有名な「アウンサンさん」。このアウンサンさん率いるビルマ国民軍は、日本率いるビルマ国政府にクーデターを起こし、「いや、日本となんか仲良くないし。もともとイギリスと仲良しだし」と言い、イギリスに寝返ってしまいました。これにより、日本の敗戦による植民地逆戻りを防いだかに見えたミャンマーでしたが、第二次世界大戦後、その独立維持の夢は叶わず、イギリスに、「いや、お前また植民地だよ。許さんよ」と言われ、やっぱり植民地に逆戻りしちゃいます。

その後、ショックを隠し切れないミャンマーでは、その一連の流れを率いたアウンサンさんが暗殺されちゃいます。そして、アウンサンさんとともに国内三大勢力の一つであったThe People's Revolutionary Partyを率いていたウー・ヌさんが代わりに独立活動を展開し、1948年に遂にイギリス連邦を脱出し、ビルマ連邦を設立しました。

その後、ウー・ヌさんは初代首相となり、今から頑張るよー、って感じだったのですが、1960年に起きたベトナム戦争の影響で、社会主義を標榜していた将軍の一人、ネ・ウィンさんの心に火が付いてしまい、志の炎で燃え盛るネ・ウィンさんは、軍事クーデターを起こして、ビルマ社会主義計画党という怖そうな名前の政党を作って、さらにはビルマ式社会主義を掲げて自分が大統領となっちゃいました。その後のミャンマーは、皆さんもご存知の通り、正恩ちゃん率いる北朝鮮に類似した恐い恐い軍事政権街道をひた走ります。建国の父と呼ばれたアウンサンさんの娘であるアウンサン・スー・チーさんは、民主化を唱え、国民民主連盟(NLD)という民主政党を結成し、英国オックスフォード大学で学んだ博識を活かし活動するのですが、この軍事政権には全く歯が立たず、「うるさいよ」と言われ、1989年から自宅軟禁されちゃいました。

1989年には、中国で天安門事件が起き、さらにはマルタ会談により、米ソを中心とした東西冷戦が遂に集結し、さらにさらには、1990年のミャンマー国内の総選挙では、アウンサン・スー・チー率いるNLDが圧勝をおさめましたが、それでもそれでもミャンマーの軍事政権は全く意に介さず、総選挙結果を無視し、さらには民主化勢力を弾圧しまくりました。これは1992年にソ連邦が崩壊してもとどまることを知らず、ネ・ウィンさんが死去し、次のキン・ニュンさん政権になっても、その次のソー・ウィンさん政権になっても、軍事政権として民主化勢力を弾圧し、スー・チーさんを軟禁し、国際社会での孤立を深めていきました。



ところが!!



そんな超軍事政権であったミャンマーでしたが、突然転機が訪れました。首相がソー・ウィンさんから軍人出身のティン・セインさんに変わった時、突然彼はミャンマーの民主化を開始したのです。ずっと停止していた国民投票を再開し、国旗も新しく刷新し、ずっと軟禁していたアウンサン・スー・チーさんを開放しちゃいました。政治犯として刑務所にぶち込んでいた多くの人々も、外国政治家の訪問等、何かあるたびに物凄い人数恩赦名目で釈放しまくりました。その突然の変貌ぶりをまわりで見ていた各国の人々は、



「え・・・・・は・・・・・何?いきなり・・・。は!!!??



みたいな感じでした。


が、民主化開始しました。


民主化したので、選挙がありました。


選挙があったので、NLDが圧勝しました。



代表はアウンサン・スー・チーさんだったので、彼女は早速米国等主要国への訪問を開始し、日本にもつい最近訪れ、安倍首相さん等政府要人と会談をしました。日本は、今から急速な経済発展や外資誘致を計画しているミャンマーに著しく不足している電力や道路等のインフラ増強プロジェクトや、開発を進めているヤンゴン近郊のティラワSEZ(Special Economic Zone)の開発や、以前よりミャンマーとタイ政府で開発を進める計画となっていたダウェー経済特区の開発に関しても、様々なコミットメントを確約しました。

このように、今まで超危険で鎖国状態だったミャンマーが突然信じられない速度で開国し、民主化を始めたので、その6000万人もの人口を抱えた超潜在成長国に、世界中の国々が注目しました。世界中の政府や企業が我先にと、ミャンマーへの進出を計画し、物凄い勢いで外資が入り始めました。

今までは、ミャンマーには、日本企業でも入居出来るまともな工業団地は、「ミンガラドン工業団地」という工業団地一つしかありませんでした。日本の有名企業、「味の素さん」もここに入っています。いろいろいろいろあって、操業していないようですが・・・。このミンガラドン工業団地は、ミャンマー政府と日本の三井物産によって開発されたもので、ミャンマー唯一のまともな工業団地として事業を行なっていましたが、一つしか無いので、もう団地内に入居可能スペースが無く、しかも前述の通り、ミャンマーは国全体で電力が異常に不足しているので、毎日毎日停電状態でした。なので、今までの間に既に進出をしてたくましく生き延びていたケンシロウのような猛者達は、みんな自分の工場内に自家発電機を設置して事業を行なっていました。

しかも、こんなに世界中から注目され、世界中の企業が進出を検討しているミャンマーですが、実は実際に現地を訪れて調査をすると分かるのですが、電力不足以外にも様々な障害が存在し、例えば会社登記ですが、ミャンマー人を社長に据えて会社設立をする、若しくはミャンマー政府の超要人と強いコネクションでも無い限り、独資で設立しようとすると、会社設立申請をしてから許可が下りるまでに、2~3年の期間を要する、という状況でした。

鎖国していたので、輸入に関してもちょっと前まで規制が異常に厳しく、トヨタのカローラの値段が、約2年前までなんと、

「2200万円!!」

普通の何の機能もないスマホでも無い携帯電話の値段がなんと、

「15万円!!」

と、ホント目ン玉飛び出るほどの異常な値段でした。というか、結局それら全部輸入ほぼ100%禁止なので、事実上手に入れるの不可能でした。・・・人々の月給が20ドルの社会でカローラ2200万円って・・・・・。携帯電話15万円って・・・・(-。-;)。。



そして、




それら全ての条件がここ1~2年から今後2~5年にかけて、物凄い勢いで変わろうとしているのです。これはまさに、ペリーさんに「オクニヒラカナイト、ウチコロシマスヨ。タイホウブッパナシマスヨ」と言われて突然鎖国を解除して富国強兵に邁進し始めた明治維新期の日本と同じような状況です。実際、今のミャンマーはまさしく同じ状況にあります。ミャンマーは今まで軍事政権で、いま開国して先進国に学びながら民主化と経済成長を始めようとしています。当時の日本は、それまで誇り高き戦闘民族「サムラァイ」率いる江戸幕府、要するに軍事政権、に治められていて、明治維新を皮切りに欧米列強に追いつけ追い越せで、民主化と経済成長を始めました。日本人からすれば、武士が率いる政権は、古えの日本の神聖な雰囲気漂う感じを受けるかもしれませんが、まわりから見れば単なる「軍事政権」です。これは実はミャンマーと全く同じなのです。我々まわりの国際社会から見れば、「おいおい、メッチャ危険な軍事政権が民衆を抑えつけて圧政を敷いてて、多数の民族同士が戦いまくってるよ、あそこ」って見えますが、当の本人達から見れば、違うように見えてるかもしれませんからね。「戦国時代から江戸幕府⇒明治維新⇒文明開化の音がする」までを全部ふっ飛ばして早送りしてると考えれば、ミャンマーに起こっている事の意味に違和感は全く覚えませんよね。


ということで、「今」ミャンマーは変わります。「”今”でしょ!?」って感じで変わります。



電力や道路や橋などの重要インフラは、今後日本や中国などがガンガン開発し拡充していきます。経済特区も、今までのミンガラドン工業団地だけじゃなくて、新生ミャンマー政府と日本政府、それに日本の経済界から総合商社の三菱商事・住友商事・丸紅が加わって、ティラワSEZを開発し、かねてよりミャンマー政府とタイ政府で進めていたダウェー工業団地も開発を進めます。工業団地に関しては、この有名な2件だけでなく、他にも多数の開発が予定されています。既存の怪しい工業団地のグレードアップもどんどん行われるでしょう(上手く行けば・・・・・)。それらが上手く達成されれば、これから進出が予定されるおびただしい数の企業が工場等を建設する受け皿が拡充され、外資誘致はさらに加速されることでしょう。それに、今まで事実上の、とりわけ中小企業にとっては決定的な参入障壁となっていた進出に関わる規制(会社設立にかかる期間等)についてもどんどん改善されていくことでしょう。それら様々な改善の一環で、既に1~2年前に、車と携帯電話の値段が大幅改正されました。今まで2200万円だったカローラはなんと、


「300万円」


に、15万円だった携帯電話はなんと、


「3万円」


に大幅値下げされました。今後も、今まで政府のおかしな規制でねじ曲がっていて健全な市場競争や需給曲線上で決まっていなかった不自然な「モノの値段」が改正されていくことでしょう。


それら全ての今まで不足していた条件が揃ってくると、ミャンマーは恐ろしく成長する余地を秘めています。まず、この国には前述したように6000万人以上の人口という武器があります。人口は国力増大に対して決定的な力を持ちます。今までは、この6000万人は、おかしな政府のおかしな規制のもと、怯えながら、全く働き口もなく生活してきました。でもこれからは違います。まっとうな政府が運営するまっとうな規制を持つまっとうな社会の中で、怯えることもなく、たくさんの誘致してきた外資企業がもたらす多くの就労機会を利用しながら、自由に働く事が出来るのです。これが達成されれば、物凄い経済成長の機会が生まれることでしょう。さらに進出しようとする企業の立場から言いますと、このミャンマーという国は、江戸幕府率いる日本と同じで鎖国していたので、既に裾野産業が自前である程度発展しています。これは、現地でいろいろな部材や原料を調達して、製造及び輸出や販売を行なっていこうと考える企業にとって、非常に有利な条件です。他の新興国はちょっと違いました。彼らは、もともと発展途上国で、自分たちで何も作ることが出来ないため、全てのあらゆる商品や食料やテクノロジーに関して、外国からの輸入に頼って生きて来ました。なので、「さぁ、今から経済発展するぞ」ってなっても、なかなか自分たちの国の中で、部材や原料や資材を調達することが出来ないのです。それはカンボジアも同じです。ちょっと前までベトナムもそうでした。だから、人件費や物価の安い、いわゆるコストの安い国だから、そこでモノを作って売ればコスト競争力が出るでしょう、って考えて進出しても、思いのほか「なにもかも全てが輸入品である」ため、輸入関税や輸送費がプラスされて、結局結構高い、みたいな状況が生まれる上に、輸送が必要でリードタイムが長くなり、結局総合で競争力が出ない、みたいなやっかいな問題を抱えていました。その点、ミャンマーは、日本と同じで鎖国していたので、その鎖国状態で自分たちの社会を成り立たせるためには、「何もかも自分たちで作り出す必要性」がありました。だから、自分たちで品質は悪いものの、一応ほとんど作れるし、調達出来る状態になっているのです。日本も江戸時代の工芸品等の超絶クオリティとか凄いですもんね。ということで、ミャンマーに進出すると、他の新新興国には無い、そんなメリットも享受できる・・・ようです。



そんなことで、このミャンマーという国は、恐ろしいまでの成長可能性と魅力を秘めていて、本人達(ミャンマー人)にとっても、今から進出する企業たちにとっても、楽しいこと満載な感じなのですが、この大きな変化に伴って起きている弊害やワリを食っている人々も少々いるようです。

まず、人件費の異様な高騰

2年ほど前まで、ミャンマーのワーカー人件費は、前述したように20ドル程度でした。それが、物凄い勢いで外資企業が進出しまくった、だけでなく、当時(今もですが)、進出できる地域が限られていて、また道路や移動手段といった社会インフラが整っていないことから、国内での人材流動性の異様な低さから、人件費が異常な高騰を見せました。そりゃそうですよね。国全体では、6000万人以上いるんだから、本当に国全体で進出企業の雇用を受け止めれば、莫大な人口でダイリュート(薄められて)されて、人件費の高騰は起こりません。そして、それが直接国の競争力になります。30年前に中国で起こった事もこれと同じです。12億人いたから、それこそ死ぬほど多くの企業が中国進出しても、中国ではなかなか人件費が高騰しませんでした。最近でこそ、物凄い高いですが。そして、それこそが世界中の企業を何十年も中国に惹きつけて止まなかった一因です。ミャンマーも12億、とまでは全然行きませんが、例えばまわりのカンボジア(1400万人)やラオス(600万人)といった新新興国と比べると別格の人口の多さで、人件費の面からも、将来的な国内消費マーケットの大きさの面からも、多くの意味で魅力となっています。しかし、現在この国では、外資企業が進出できる場所自体がほとんどなく、限られた地域にのみ散在しています。ので、外資企業達は、それら限られた地域に進出して事業活動を行うのですが、じゃあワーカーを雇用しよう、となった時にまた問題がおきます。この国は、東京やニューヨークみたいに地下鉄網が発達しまくっていたり、国中をバスが深夜までまわっているなんて充実したインフラもなく、ましてや道路すら無かったりして、人材の流動性が非常に低いです。だから、その限られた地域に進出する企業の受け皿となるワーカーが、国の中には居るのに、移動できないから就労できないのです。だから、物凄い短期間に人件費が高騰しました。1年ちょっとで、20ドルが100ドル弱になりました。5倍です。日本で言うならば、給料が一年ちょっとで、20万円から100万円になったようなものです。ショックですね。



そして、次に住居費の異様な高騰

これは、今まであまり急激に多数の人が新しく住み始めるような事のなかった所に、ミャンマーに眠る美味しい果実をその手にしようと突然物凄い数の人が住み始めまくって起こりました。要するに、外国人が住める住居の数がスンゴイ少なかったのです。そこに、物凄い数の人が物凄い短期間にやってきて住み始めました。当然、建築が追いつくはずもありません。それどころか、受ける側は新規住居の建設をあまり行わず、住居費をどんどんどんどんどんどんどんどん釣り上げていきました。私が視察に行った時、向こうでアテンドしてくれたコンサルタントが、こう言っていました。



「河口さぁん、先月まで2000ドルだったんですよ。今月から2800ドルですよ。もう大変ですよ」



・・・・・・・いや




いや・・・。ホントに大変だろ!



ミャンマーですよ。タイじゃないですよ。上海じゃないですよ。恵比寿じゃないですよ。


一人用のマンションが、2800ドルって・・・。しかもその上がり幅何!?


つか、そもそも2000ドルだったの?


その後も、どんどんどんどん上がっていったそうです。大変です。


そんな弊害が起こっています。そして、弊害だけじゃなく、この変化によって、ワリを食った人達も居ます。既存企業たちです。さきほどもチラっと書きましたが、今までは非常に進出も運営もしづらかったミャンマーですが、それでも進出し、物凄い生命力と精神力と逞しさで、なおかつバレないようにひっそりと生き続けてきた企業たちが結構たくさんいました。その中にはもちろん日本企業もいて、今回の視察でも、名前は言えませんが、そんなたくましい日系企業さんの工場に1件お邪魔しました。シュエピタ工業団地という所です。そんなひっそり生きてきた既存企業さん達ですが、実は彼らにとっては、この現在のミャンマーの大変化はあまり好ましくありません。彼らにとっては、今までどおり安い人件費で、あまり多くの企業が居ない中で、規制も整っていなくてある意味やりたい放題の環境の中で、バレないように生きて行きたかったのです。それが、突然世界中から注目され、物凄い数の企業が乗り込んできて、人件費も住居費も激増し、規制等も整ってしまうなんて、もともとたくましく生きていくことができていた彼らにとっては、面白くないのです。そんな事で、見学させてもらった企業の方々は、このミャンマーの変化は嬉しくない、と言っていました。


そんな悪い面もある現在のミャンマーの変化ですが、全てが上手く行けば、良い事づくしになることでしょう。工業団地がたくさん出来れば、さらに多くの企業が入って来れるし、電力や道路のインフラが整えば、企業が安心して操業を続けられるようになり、自家発電機も不要になり、さらに物流網や輸送手段の向上がなされれば、極端に高騰した見合わない人件費も抑制される(下がることはないかもしれないですが)だろうし、外国人用の住居や街もどんどんいまから作られていけば、値段が落ち着いてくることでしょう。要するに、普通の国になる、ということですね。しかし、この国は、前述したように人口が非常に多い上に、裾野産業も鎖国効果である程度既に存在していて、自分たちで何もかも作っていたから人々は皆非常に手先が器用で、さらにはカンボジアのように教育がポルポト政権により崩壊させられ、知識人が全殺しになった所と違って、識字率(92%)や基本的学力も高いので、将来的には類を見ないほどの可能性を秘めているかもしれません。まるで本当に明治維新直後の日本を見ているかのようですね。

日本企業も、この世界中の企業達と同じ勢いで進出できることを祈っています。ちなみにウチは結局進出地域決定時期に存在した、

① 会社設立の困難さ
② 一時的にかも知れないが超高騰した人件費
③ 電力の無さ(縫製業ではなく機械産業な故)
④ 日本までの船足の長さ


を理由として進出はしませんでしたが。というかカンボジアに決めて、既に会社も設立して、土地も買って、工場も建て始めて、人も雇って、機械設備の準備も始めてますが。

でも、ホントに日本企業が勇気を出して行くことを祈っています。なぜかというと、いまミャンマーでは、日本人と日本企業のことを

「NATO」

と呼んでいます。皆さん、何のことか分かりますか?

これは、

「Non Action Tour Only」(TがTalkの時もある)

の略です。

そう、何事も石橋を叩き壊してから、メイドインジャパンの新しい橋を作り直してからじゃないと始められない慎重な日本人達は、このミャンマーに潜在チャンスが物凄いあると分かりながらも、視察旅行ばかり行くだけで、いろいろと調査のためにミャンマー政府や現地人に聞き込みをするばかりで、本当に進出はしないのです。このあまりの慎重さに業を煮やした現地人はかなりご立腹で、「日本人は視察旅行ばかりで、進出してこないじゃないか!お前らなんて北大西洋条約機構だ!」とキレてしまったのです。

この「不確実性を嫌う」という日本人の性質は、「ホフステードの4次元」でも指摘されていますが、だからもう民族の本能的性質として完全に回避することは出来ないのかもしれませんが、スピードが速くそもそも不確実性が高まっている現在の国際ビジネスの舞台では、日に日に不利な条件となっていっています。なんとか乗り越えて、進出していけると良いですね。重要なことは、「いまどんなリスクがあるか」ではなく、「このようなリスクがあるけども、いまあるこれこれの要素が将来的にこうなるはずだから、こういう戦略で行けば、リスク回避して良いROIを出せる」という分析的戦略的思考なんでしょうね。たくさんの日本企業に進出してほしいものです。ただ、日本にモノを頻繁に運ぶ企業からすると、ちょっと船足が長いのが欠点かもしれませんが(たぶん日本までシンガポール経由で1ヶ月程度かかる。上手くいって)。


そんないろいろホットなミャンマー、見てみましょう。



それでは、




ジャーン!




「ヤンゴン空港」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「ヤンゴン空港」
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「ホテル」
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「ホテル」
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「ホテル」
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「ホテル」
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「ホテル」
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「ホテル」
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「ミャンマーのビール」
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「ヤンゴンの朝」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「ヤンゴンの朝」
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「ヤンゴンの朝」
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「ヤンゴンの朝」
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「ヤンゴンの朝」
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「ヤンゴンの朝」
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「ヤンゴンの朝」
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「ヤンゴンの朝」
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「ヤンゴンの朝」
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「ヤンゴンの朝」
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「あの有名な寺」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「ヤンゴンの朝」
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「あの有名な寺」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「あの有名な寺」
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「あの有名な寺」
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「あの有名な寺」
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「あのさ、ひとこと言って良い?狛犬デカっ!!」
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「仏教僧」
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「カワイイ」
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「ヤンゴンの街」
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「仏陀の涅槃像」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「仏陀の涅槃像」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「仏陀の涅槃像」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「仏陀の涅槃像」
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「小っちゃい女の子仏教僧達。たぶんゼンマイ式で動いてます。」
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「ミンガラドン工業団地」
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「ミンガラドン工業団地」
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「ミンガラドン工業団地の事務所」
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「日系縫製企業 @ミンガラドン工業団地」
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「巨大な台湾企業 @ミンガラドン工業団地」
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「シュエピタ工業団地」
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「隠れてひっそり逞しく生きる日系企業 @シュエピタ工業団地」
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「通勤する人たち @シュエピタ工業団地」
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「シュエピタ工業団地」

英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-







終わり。
私の母校、ランカスター大学が、Times Higher Education による「創立50年未満の大学世界ランキング」で、世界9位に選出されました。以下のリンクでご確認願います。


リンク:THE 100 Under 50 university rankings


無差別級では、THES World University Ranking で131位、QS World University Ranking で153位と振るわないし、MBAについてもかつては世界22位まで上り詰め、私の時も世界24位であった Financial Times Global MBA Ranking で、あれよあれよと言う間に24位→45位→71位まで落ちてしまって、最悪な感じだっただけに、ちょっとだけ良いニュースでした。

もともとランカスター大学マネジメントスクールは、新興国(主にインド)から大量に給与の低い人材を入学させ、卒業後に出来るだけ欧州で就職してもらうことで、卒業後給与上昇率を跳ね上げ、それによりMBA Rankを急上昇させ、それをテコに良い人材を入れたり授業料を上げたりして、スクールの質を高めようとしていたのですが、今のような欧州大不況のようなものが訪れると、皆の給与も上昇しなければ、失業率が高まって就職だってできません。スクールの成長にとって最も重要であったドライバーが、コケまくったことによって、ランカスターは、ランクを維持出来るわけなかったのです。

これはもうリーマン・ショックによる世界金融危機が始まった段階で容易に予想できる結末でした。だから、実はよく見れば分かったのですが、ランカスターは、ランキングに提出するデータを2008年のデータでずぅーっと固定していました。それ以後のデータを出してしまうと、一気にランクが暴落するからです。しかし、同じデータを提出し続けるのは、Financial Times の規定で、3年間まで、と決まっていたので、私が在学していた2011年に、遂に提出するデータを更新し、次の年に24位→45位という大暴落が起こったのです。完全に自明ですし、ランカスターMBAのランクって、ビックリするくらい世界経済とリンクしていますね。世界経済の状態を知りたかったら、ランカスターMBAのランクを見れば良い、くらいの勢いですね。


私も分かっていました。分かっていたのですが、当時のダイレクターを批判しました。だって、結局もともとランカスターMBAを世界レベルに浮上させたマルコムさんは、2002年~2005年くらいの世界の状況(外部環境)にあわせたランカスターMBA成長戦略を編み出して実行し、しかも成功したんだし、そんなのいつの時代だって、難しくて複雑な外部環境や限られた内部の資源にあわせて、次代への成長戦略を打ち出していかなければならないのが、経営者ってもんですよね。それは、リーマンショックの後という環境の中のランカスターMBAにとっても同じだったはずです。


企業体というのは、「政治・経済・社会・科学・法律等の外部環境の変化」や、「顧客・競合・新規参入・代替品・供給者といった産業内のアクターとの力関係」を見ながら、「自社の強みや弱みといった保有する資源と能力」から引き出されるものを駆使して、環境への適応や競争戦略の打ち出しを行なって、成長していかねばならないのです。


ランカスターも、「あれ、このまま行ったらマジやべーよ。外部環境こんなになっちゃったよ。」って段階で、自分達が持ち合わせている資源を活用しながら、いかに環境へ適応し成長へつなげるか、という戦略を考え出さなければならなかったのです。それにやはり、外部環境が如何に変わろうが、それのせいで自社がどんなに傾こうが、それを「いや、だってこんな事が起こったんだもん。僕のせいじゃないよ。環境の変化のせいだよ」って、経営者は言えませんよね。やっぱそれ、社長のせいですよね。ということで批判しました。


と、まぁそんな事はどうでも良いのですが、そんなランカスター大学ズタズタな今、この「創立50年未満の大学の中の世界大学ランキング」で9位になったのは、慰め程度に嬉しいことでしたね。以上。







終わり。
今回は、前回に引き続きミトー市にある工業団地、「タンホン工業団地(Tan Huong IP)」のご紹介をします。今までのミトー市にある工業団地やミトー市のご紹介については以下のリンクをクリック願います。


リンク:ベトナム(Vietnam):ロンザン工業団地(Long Giang IP)

リンク:ベトナム(Vietnam):ロンハウ工業団地(Long Hau IP)

リンク:ベトナム(Vietnam):ドゥック・ホア3工業団地(Duc Hoa 3 IP)

リンク:ベトナム(Vietnam):ミトー市(My Tho City)


この工業団地は、家族経営の会社に運営されています。その家族はどうやらその辺の地域の地主らしく、工業団地だけでなく、そのまわりの土地も所有しているようでした。


「運営会社の事務所」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-


ここの工業団地は、運営している社長も良い人(に見える)で、土地の値段も物凄く安くしてくれました。ベトナムの工業団地はもう結構値段も上がっていて、通常 US$50~70/平米 くらいするものなのですが、ここは US$35/平米 でした。しかも消費税込みで。これは安い。

一通り工業団地の説明を聞いた後、社長が直々に車を運転して、工業団地内を案内してくれました。車の中から工業団地を眺めながら団地内を進んでいったのですが、何故か一台のバイクがウロウロ車のまわりを囲みながらついてくるので不思議に感じました。と思ったら、そのバイクは社長を護衛するためのSPでした。うわー、日本だったら無いなぁ、と思いました。


「護衛SP」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-


しかも、面白いことに、この工業団地の中には、たくさんの牛さんがウロウロ歩いていて、車で走っていると何頭もの牛に出会いました。


「牛さん」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「牛さん」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-


団地内を進んでいくと、何個も入居している企業の工場が既にあって操業していたので、ここはロンザン工業団地とは違い、バッタモンでは無いな、と感じました。しかも、その中の一つに日本の企業もありました。日本企業がいるー、と思って少し安心したのですが、よく聞いてみると、その企業はここで運営している途中に事業に失敗して撤退したそうでした。残っているのは看板だけで、中身は違う企業とのことでした。


「入居企業」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「入居企業」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「入居企業」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「入居企業」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「日系企業跡地」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「日系企業跡地」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-


最後に、社長は、「貴方達が入居するんだったら、ここの土地を売ってあげるよー」と言って、広い空き地に連れて行ってくれました。すると、空き地には何故か1人の知らないオジさんが立っていました。あれ、誰だろう?ここのスタッフかな、と思って眺めていたのですが、風貌をよく見てみるとどう見てもそうではなく、たぶん・・・うーん・・・たぶん・・・


「野生の人間」


でした。野生のヒトは初めて見たなぁ、うん。「野ヒト」かぁ。


「空き地と野ヒト」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「空き地と野ヒト」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-








終わり。
今までに引き続きベトナムの工業団地のご紹介をします。今回は、ミトー市にあるロンザン工業団地(Long Giang IP)をご紹介します。今までの工業団地紹介やミトー市の紹介記事については、以下のリンクをクリック願います。


リンク:ベトナム(Vietnam):ロンハウ工業団地(Long Hau IP)

リンク:ベトナム(Vietnam):ドゥック・ホア3工業団地(Duc Hoa 3 IP)

リンク:ベトナム(Vietnam):ミトー市(My Tho City)


ここは結論から言うとここは、

「騙しニセ工業団地」

です。

ここの工業団地に入るといくつか工場が建っているのが見えます。そして中に進むと立派な運営会社の事務所が建っています。前にも申し上げたように、責任者が女性を引き連れてくるのも忘れません。入ると歓迎してくれて、工業団地の紹介を大々的にしてくれます。ここはこんなに良いよ良いよ、という感じです。話では、通常ベトナムでは既に外国企業に対する政府の優遇政策が2009年に廃止されてしまっているのですが、ここはあまりにも田舎なので地方政府の取り決めで、この地域だけ優遇政策が残っているそうなのです。だから良いよ良いよ、と言われます。

しかし、いろいろ話を聞いてみると、怪しさが満天になってきます。ここの工業団地はもともと一般市民が住んでいた土地らしく、そこを地上げして作った工業団地なのだそうです。そこまでは良いのですが、よく事情を聞いてみると、実は地上げをした際に払うと約束した補償金をその人々に払っていないらしく、立ち退かされた人達が裁判所に訴えて、この工業団地内の全ての企業は操業停止になったそうなのです。責任者によると、



「大丈夫大丈夫!いずれ活動できるようになるから。ほら、入居してよ!」



・・・・・


・・・・


いや・・・




って言われてもねぇ。。。



入らねぇよ!!



ということで、期待しながら来たのですが、ちょっとだけ見学してさっさと帰りましたとさ。





「周りの街。物凄く貧しい」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「サンタグッズ売ってます」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA<br />-

「立派な事務所」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「立派な事務所」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-

「引き連れ」
英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-


英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-


英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-


英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-


英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-


英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-


英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-


英国MBAと時の部屋-ランカスターMBA-






終わり。