『療法士が治療者として認められない現実』でも触れましたが、今の療法士は制度上、治療士ではなくリハビリ士として位置づけられています。これは過去、療法士たちが治療者としての実績を残してこなかった”ツケ”でもありますomg

 

 このまま報酬制度が「リハビリ業」に偏りつづければ、現場の療法士たちは完全にそちらへ誘導されるでしょう(すでにそうなってる?)。医療は保険点数による報酬制ですので、現場では点数のつく行為だけが優先的に選択されます。治しても、治さなくても、受け取る点数(報酬)は同じなのですうーん

 

 現行制度では、療法士は「ただ起こして、歩かせて、生活動作させて、家に帰すこと」だけが仕事となっています。しかし本来、動作訓練や動作介助というのは療法士業の最終段階であり、「仕上げ」となる限定的な行為です。主たる業務ではありませんパー

 

 本来は、その動作能力を高めるための機能的治療が専門なのです。それは対象の患者さんが超急性期でも在宅期でも、若年者でも高齢者でも一緒ですひらめき電球

 

 政策が現場を変え、現場が政策に反映される。その繰り返しの歴史の中で、療法士は自ら治療医学の外へと流れ出てゆきました。「リハビリや介護や予防など、療法士の活動領域が広がっていいじゃないか」という意見もありますが、専門性を欠いた業種に待っている運命は、“誰にとって代わっても構わない職”という扱いですチーン

 

 国の政策誘導や流行にノって、このまま治療の専門家の道から外れつづければ、療法士が代替可能な職種になるのは時間の問題です。現にそうなりつつあることは、療法士たちも肌で感じているでしょうアセアセ

 

 では、なぜ療法士は治療から離れてしまうのか?そして治療医学の外へとこぼれ落ちてしまったのか?

 

 身近なところでは、就いた職場や周辺に治療のできる療法士がいないことがあるでしょう。治療をしない(できない)療法士だけの環境にいれば、“治せないことが常識”となります。初めは「患者さんの機能を治し、社会復帰をしてもらう!」と情熱もって臨床に出ても、3~5年も経てば職場に染まってしまう人は多いものですぼけー

 

 また「療法士は治療職である」という学びを養成校で受けていないことがあります。治療行為とリハビリテーションとの違いや境目について専門校で教育されていないことは、私も実習指導や教員時代にかなり感じました。医行為(医業)を行わせるには、養成校の水準が低すぎることもあるでしょう学校

 

 そもそも歴史的にみれば、医学的リハビリテーションの普及を担う者として誕生した療法士に、当初から治療職という法的根拠が乏しかったこともあります。理学・作業療法は医業だという線引きが、今もスゴく曖昧なんですね(無いに等しい)きゃはっ

 

 そして実際に療法士50年の歴史の中で、治療のできる療法士の存在があまりにも過少だったのでしょう。その結果、厚労省や医師たちに、療法士の治療行為や効果を全く認められてこなかったわけですショック!

 

 他にも臨床と研究との間に大きな解離があること、療法士に何が治せて何が治せないのかの議論が不十分なこと、日本において物理医学や障害学の発展がないこと、疾患別リハビリや介護保険リハビリなどの誤った政策誘導に引っ張られたことなども、療法士たちが治療を理解できなくなる要因としてあるでしょうむっ

 

 機能障害を何一つ治せず、毎日毎日、目前の患者さんの「痛い」「立てない」「変わらない」状況を見つづけ、いつしか治療をあきらめてしまった療法士がどれほどいることでしょう。「療法士には治療はできない」と断定や一般化してしまう療法士がどれほどいることでしょう。それじゃあいったい誰が患者さんの機能を治すのでしょう?

 

 この問題の解決策は、療法士に何が治せて何が治せないのかを、医学に基づいて議論し明確にすることです。物理医療を民間療法とゴッチャにして「何でも治せる!」とうそぶくのも、治せないから「(せめて)笑顔でリハビリしましょう」と治療から逃げるのも、どちらも誤りなのですNG

 

↓またボヤき過ぎた(;´Д`)>

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