息子が中学に入り、学校になかったサッカー部を作ろうと躍起になっている。

高校時代を思い出した。

 

ずっと再開したかった剣道をやろうと防具を新調して剣道部に体験入部をした。

 

先輩後輩の関係が厳しさ

 

強烈な防具のニオイにする部室

 

「オッス!」といった感じの雰囲気が嫌で入部をやめた。

 

教会通いをはじめて高校に聖書研究部をつくろうかと思っていた。


以前、私の出た高校は都立でありながら聖書研究部が存在していた。

 

さらにクリスチャンも多かった。

また、都立とミッションスクールに合格をして都立に進学したことでミッションスクールへのあこがれがあった。

 

あるときに同級生の教会に呼ばれた。

 

そこで「地学部の先輩」といわれる2年生と同席した。

 

この「先輩」と意気投合して仲良くなった。

 

この「先輩」が地学部と「文学同好会」を兼部していた。

 

「部」ではなく「同好会」である。

 

「部」に昇格しないと生徒会の予算がもらえなかった。

おまけに2年生の部員しかいない同好会だった。

 

2年になってこの「先輩」から昼休みに図書館で「文学同好会に入らないか?そこで聖書をすればいいじゃないか!このままじゃ文学同好会はなくなってしまうんだよね」

 

といわれた。

 

入部したら私は「文学同好会」の2年生は私だけ。

 

なら、聖書研究会にするのも時間の問題だ」

 

と考えて入会した。

 

しかし、「活動」に参加して私の目論見は崩れてしまった。

 

3年生の「有名人」がたくさんいた。

 

毎日、ゲームセンターで閉店まで「放課後」を過ごす「先輩」。

 

妙に儀礼的で説教深い「先輩」。

 

筋肉質で190センチ以上ある巨漢の「先輩」。

 

毎日、学校帰りに専門店のカレーを食べて帰る「先輩」。


妙にガンダムに詳しい「先輩」。


その中には剣道部と「兼部」している「先輩」もいて気まずかった。

みんな金持ちの子だった。

 

面と向かって「上層ブルジョワジー」といっても怒る先輩は誰1人いなかった。

 

この個性的すぎる、いや、濃すぎる「先輩」をみたときに「聖書研究会」どころではないと思った。

 

結局、「文化祭の出展で部誌を作るから」となって駄作の詩を書いた。

 

これが本当に駄作だったのでどうにかしようと思った。

 

朝日ジャーナルを愛読していた私は、「すごいルポルタージュを書きたい」とか「森鴎外みたいな文学を書こう」と考えはじめた。

 

あと、この「『先輩方』をみていると負けないくらいに濃い同好会にしよう」と思うようになった。

 

私1人からのはじまりで、まずは来年度の存続である1,2年部員5名の確保を目指した。

 

私は生徒会もやっていたので生徒会にいる人に声をかけはじめた。

 

仲良しが多かった「地学部」にも「兼部してくれ」といった声をかけた。

 

すぐにSが加わった。

 

Sは数学の試験後の追試や補講でいつも一緒になり、生徒会も「特別委員長」という常設の委員会の委員長でなかったこともあり、いろいろと一緒に過ごす時間があった。

Sは詩作がうまかった。

 

字も達筆だった。

 

Sと一緒に昼休みの図書館に出向いて本棚の奥に隠れている下級生に子をかけた。

 

併せて「兼部OK」「自宅活動OK」といって声をかけまくった。

 

2年生に他県から転校してきて図書館でいつも本を読んでいる女子がいた。

 

当時に「宮沢りえ」にそっくりだったが、その美しさと清楚さから声がかけにくかったのだろう。

 

Sと一緒に声を掛けたら入会してくれた。

 

同じクラスで5部を兼部していた女子も入会してくれた。

 

「宮沢りえ」似の女子と近づきたくて入部してくる人も出てきた。

 

生徒会で私とSの勢いに押されて入会した人もいた。

 

3年生が引退したあとで20人近いメンバーが集まった。

何よりも「自宅活動」と先輩後輩の関係に緩さもよかったのだろう。

 

「文学同好会」存続が決まり、次は「部活への昇格」を考え始めた。

 

4月になって1年生が10人以上入ってきた。

 

その中に教会で一緒だった子もいた。
 

彼女は東大志望で

 

「この高校で東大に入るにはどうすればいいですか?」ときかれた。

 

私は

 

「この高校のペースにまかれないこと」

 

と話して「自宅活動がメインで文化祭前しか活動しないよ」

 

といって文学同好会に誘った。

 

彼女も加わってくれた。

 

さらに体育祭で「部活対抗駅伝大会をする」となって2年生の運動部と兼部しているメンバーを選手にしたら、イケメン揃いで「一緒の部に入りたい」といって入ってきた女子もいた。

 

「文化祭」前後ではみんなが一丸となってまとまっていた。

 

40人近いメンバーが揃って年度半ばで「文学同好会」は「文芸創作部」になった。

 

息子の姿を見て高校時代を思い出した。