ひょんなことから高校受験のことを思いだすことになった。

高校受験のときの思い出が走馬灯のように走っている。

私は中学で酷いいじめを受けたので高校受験はどうなるかと思っていた。家にいれば嫌な奴が昼夜を問わずに来る。学校ではいじめられる。塾だけは安全で安心な環境だった。

高校受験を決めるときに塾のS先生と話した。いくつかの学校を挙げられた。S先生は曹洞宗の世田谷学園を推していた。世田谷学園は当時はスポーツから進学校への変遷をはじめた時期だった。私が世田谷学園は家から近いので中学の同級生がいるといろいろ面倒になると考えていた。誰も中学時代の私を知らない友人ができる学校がよかったのだ。そこでミッションスクールがあった。名前は聖学院という。母親が先生を受けただけのクリスチャンで私も幼児洗礼を受けている話をきいていたので興味が出てきた。S先生の「曹洞宗よりミッションスクールはいい」を話をした。結局、渋谷区からの進学者が少ない東京の北部の学校を受けることになった。2月18日は聖学院、19日は城北、20日は巣鴨となった。

自分としては聖学院に行きたいという気持ちが強かった。山手線で同じ電車に乗る近隣の女子校の生徒と恋愛をして青春がしたかった。聖学院のある駒込の周りには女子高だらけだった。しかし、あるときに母にピアノを習いに来ていた小学校教員のはとこが聖学院を受験することを知って散々なことをいわれた。「女子聖はまあまあだけど男子聖はダメだよ」と。はとこは女子聖学院卒だった。女子聖学院は聖学院の裏にある女子校。高校からは募集しない。女子聖からは相手にされないのかと思うと青春の妄想が少しだけ崩れたが聖学院への思いは崩れなかった。

東京を受ける前に千葉の渋谷教育学園幕張と埼玉の獨協埼玉を受験するが不合格になった。安心して都内受験に臨む予定が崩れた。後はない。

そして2月18日を迎えた。そう、聖学院の入試の日だった。前日に同じ塾だったNも受験に加わった。Nも県外の受験に失敗していた。

試験会場でNともう一人受験をしたKと合流した。帰りは一緒に帰ろうとなった。

学科試験は上々だった。国語は読んだことがある文章が出た。英語も数学も傾向どおり。面接も完璧で合格を確信した。

帰りに2人と帰った。学校に続く坂を下った。雪が降り出した。この雪が大雪になる翌日の受験も1時間遅れになった、

19日の夕方に発表があった。126と私の受験番号があった。嬉しくて飛び上がってしまった。Nは合格、Kはまさかの残念だった。

これでいい。絶対に聖学院。巣鴨や城北が決まっても。

巣鴨と城北が不合格。

出願だけしていた都立の受験当日だった。

「朝だよ!」

母の声だった。前日に「明日は受験だから弁当を作って」といってあった。「受験はしない」というと「せっかく弁当をつくったのに!」といわれたため家を出た。自転車でゆっくりゆっくり新宿駅まで走った。そこから受験する高校へ向かった。時間には間に合った。

受験に身が入らない感じだった。これがあとで史上稀なドンデン返しになる。

都立発表前に聖学院に入学一時金を納めた。制服も採寸した。これで受験はおしまい。都立は知らない。

都立発表の日に発表に行った。当時の都立高校はいくつかの学校がグループになって選抜する方式だった。その高校に受からなくてもグループの合格ラインを超えていればグループ内の定員に満たされなかった高校に振り分けられる。私は「繰り上げ候補」となった。これは受験した高校の補欠にあり、グループ内の高校で定員に満たされない高校があったときに入学候補になるというものだった。よくわからないままだった。

土曜の午後だった。学校の担任から電話がきた。

「おおおおおかあさん。息子さんが繰上げで上の都立に合格しますよ!これはボーナスです!史上稀です!」

と興奮していた。黒電話の受話器からきこえてくる。

担任のいうとおり「繰上げ合格」となった。

そこで聖学院と都立のどちらに進むかとなった。すでにNとは一緒に入学する約束をしていた。家庭教師も東大理1の学生をNの母親が捕まえたようで2人で一緒に勉強する話も進んでいた。

多くの人の意見をきいた。結局、都立進学は母親のおしも強かった。都立は同じ中学から18人も進学する。過去の事を良く知っているのもいる。しかし、進学実績、偏差値がかなり違うのでとなり最後まで悩んだ末に都立になった。

高校は私服。自由すぎた。聖学院への想いが日に日に増した。Nから時々連絡があった。夏前に会った。「聖学院は先生もいい先生ばかるだ。テニス部に入ってカノジョもいるんだ」とうらやましい話ばかりだった。自分はというと数学の女先生がすぐにキレルし、機嫌が悪くなるとテストを課すので数学がきらいになった。威圧的な体育教師がいておびえていた。同級生も私が下の高校から上がってきたことを知っていて前ではいわずに陰で「あいつ◎◎◎から上がってきたんだって」といっていた。また、いろいろな高校を落ちてきた生徒が半数以上だったこともあり「俺はこんな高校に来るんじゃなかったんだ本当は◎◎高校にいくはずだった」とか「俺はできるのにこんな高校に来ちゃった」とずっといっている生徒も多かった。偏差値はそこそこ(64)なのだが、第2志望受入れ校の定めといえる。

11月3日の聖学院の記念祭(文化祭)があるからとNから誘われた。「俺、その日だけは聖学院生になるぞ」としまってあった聖学院の制服を出して初めて手を通した。一緒においていた校章をポケットに入れて紺色のネクタイを締めて山手線に乗った。

校門でNが待っていた。「似合っているよ完璧だ」。近くにいる先生に気さくに話しかけて「この人友人で聖学院蹴ったんですけど校章つけてもいいですか?」といった。先生は「大丈夫今日はいいよ!」と許可をもらった。校章をつけて「聖学院生」となった私は文化祭に同化していった。

文化祭は終わって

「何で都立にいったんだろう」

と後悔の念がすさまじかった。しかし、選んだ高校にいるしかなかった。

嫌なことがあるたびに後悔をした。

聖学院にいったら人生が違ったかもとか考えることもあった。

私が生徒さんに「行きたい高校」を勧めることや「二次募集校は避けなさい」というのはこういった自分の経験があるからだ。私は進学実績と偏差値で高校を選んで後悔をしている。だから私は高い偏差値で高い内申点であっても「行きたい高校」を勧める。

先日、廉価の床屋でカットをしてグランドキャニオンみたいな髪型にされた。どんなにいっても修正できないので塾の近所の美容院に飛び込んだ。

オーナー美容師さんが

「塾長でしょ」

という。5期生の父親だった。私は生徒さんの親の職業は一切きかないでいるのでびっくりした。

この生徒さんもオール5で模試で県1位をはじめ常に上位だった。そこで開邦ではなく首里に進んだ。私は「いきたい学校ならいいと思う」といって開邦を強いなかった。

他にも内申40代後半で那覇商業に進んだり、内申満点、偏差値65で首里に進んだ生徒さんなど多くの生徒さんが「いきたい高校」へ進んだ。

こんなこともある。

開邦の推薦がダメで三者面談を申し出る。

そこで親御さんは間一髪

「うちの「娘(息子)が開邦を受けるというんです!那覇国際のほうが安全なので変更したいです!」

と。そこで私は生徒さんに「あなたはどこにいきたい?」というと「開邦」という。そこで親御さんにも「本人がいきたいのでダメでも後悔はないと思います。でも、ダメはあってはいけないです。だから私達も一生懸命やりますからお子さんを信じていきましょう」という。こういったパターンは全員合格している。危機感の中で人間はさらに燃える。そして、火事場のクソ力を出すからだ。

いきたい学校に進んで後悔のない高校生活と人生を送って欲しい。

入試前に自分の入試を思い出せた。

わったーは悔いのない受験のために協力は惜しまない。

生徒さんのために粉骨砕身がんばっていこう!