息子が進学先でひとり暮らしをはじめる際に

高校の時から乗っていた自転車を

持って行った。


でも大学までは徒歩か交通機関利用が多く

土地柄もあり(坂道が多い) 

ほとんど自転車に乗ることはなかった。


保管場所はマンション敷地内だったけど

屋根はなく

数年間、野ざらしの放ったらかしだった。

私は年に数回、息子のところに行くたびに

どんどん劣化してボロくなっていく姿に

心がキュッとなっていた。


それでも数ヶ月に1回でも

息子が乗るかも知れないと

必要な時があるかも知れないと

もう少し、もう少しと、

ないよりはある方がいいだろうと思っていた。


2年が過ぎた頃

息子はもうほとんど乗らないから

(自宅に)持って帰ってほしいと言った。


さすがに私ももういいだろうと

すぐにでも持って帰りたかったけど

私の軽自動車には乗らず

去年の秋だったか、夫氏の車で行った時に

我が家へ持って帰ることができた。



持って帰ってきたけれど

車生活主体のこの地域で自転車の出番はほとんどなく

裏のガレージに置いたたままになっていた。

それでも雨ざらし野ざらしよりはいいと私の心は軽くなった。




先日、夫氏がその自転車に乗って出かけ、

帰宅した時、裏のガレージではなく

息子がいつも置いていたように玄関脇に置いていた。


今日、それを横目に私は車で出かけた。

そして、帰って来た時に真っ先にその自転車が

目に入った。


夫氏が乗ったのを知っているし

出かける際も目の端に入っている。



でも、出かけた帰りの自宅手前のカーブを曲がった際、

真っ先にその自転車が目に入り

一瞬、1秒よりも少ない、0コンマ数秒の間

私は息子が家にいる錯覚に囚われてしまった。

あまりに違和感のないその光景は

数年前、息子が通学に使っていたその姿と

寸分の違いもなく

昨日も一昨日もその前もずっとそこにあって

明日も明後日もその次の日も

息子とともにそこにあるような錯覚を

おこしてしまった。


 



終活中の大学4年生の息子は1ヶ月前に

念願の内定をもらい心を決めたようである。

就業場所はどこになるかはわからないけれど

大学の地でもなく、そこよりも遠く

もちろん我が家から通えるところでもない。


息子がこの家を拠点に通勤することはなく

当然ながら自転車に乗ることはない。



秒で我に返った私は心が締めつけられ

すぐにでもガレージに戻したい気持ちと

もう少しそのままにしておきたい、

幻影でも息子が家にいると思っていたい気持ちが

交錯し、

車からおりることができずに

ただあるじのいない自転車を見つめていた。