始めの1年近くはロンドンで過ごした。
当時1ポンド200円程で、奨学金のみでは全く足りなく、財布もロンドンの気候も寒く毎日研究の後、夕方以降半額に下がった惣菜を求めてTesco等のスーパーに通った。長期で住む所を探すまでは、ネットカフェで探した1週間単位の空き部屋を探しては渡り歩いた。これもロンドン市内の各地を住んでみて回る小さな旅気分であった。ロンドンのあらゆる博物館や美術館が任意の入場料になっており、私の様な苦学生は無料で何度でも入れることが嬉しかった。

日本人コミュニティーの物品売買やシェアハウスも盛んで、ネットの掲示板を通じて盛んに情報交換がなされていた。留学を終え帰国する人々から必要なものは殆ど安く買うことが出来た。そこで、ホンダのジョーカーと言うアメリカンスクーターを安く入手した。後に北部へ引越しするためにアコードもそこで入手して、一時帰国する際、ヒースロー空港で売り払った。

西ロンドン郊外のハックニーと言う少し危険な地域で、精神的に少し弱った人々を共同生活するハウスのお手伝いをしながら暮らす生活を始めた。博論の調査にはもってこいで、地域に根ざしたボランティアを比較検討するのに最適だった。その後、ロンドン南部のクロイドンで大家の犬の世話をしながら論文調査を続けた。両方とも部屋代は無料だった。

1年間のロンドン滞在中に殆どの美・博物館などを毎日見て回った。調査や図書館などの帰りに疲れると、1時間ずつ各部屋ごとに見て回る。夕方7時過ぎまで開いている曜日もあり、無料だから1回で全部見て回ろうと欲張らなくても良い。貧乏だが贅沢な暮らしであった。

ロンドンでの調査を終え、2年目は中国人民大学との姉妹校であるダーラム大学へ移った。ここもオックスブリッジに続く古い大学で、カレッジ制を取っており、大学院生用の留学生寮に住んだ。ここに在籍中のイタリア人女性と学生結婚をした。市役所のホールで式を挙げた後、留学生楼のパーティールームで披露宴を皆がやってくれたので、式の費用は殆どゼロ。苦学生にしては贅沢な式だった。子供が出来ると車も必要で、妻の弟から真っ赤なアルファロメオを譲り受けた。大きな家を借り受け、日本人のベビーシッターに一部屋を貸して、私はその後、中国とイギリスを往復しながら博論を書き上げ卒業したが、一人で子育てに入った妻は論文を書き上げられず、博士課程の学生を8年ほど続けている。
卒業後直ぐにSONYの北京本社に勤務した為、その後も妻子とは離れて暮らした。その後の中国の事は改めて書くとしよう。