考えない練習を読んだ | カキポンの日常ブログ

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小池龍之介さんの考えない練習という本を読みました。

 

 

最近、草薙龍瞬さんの「反応しない練習」を読んでまして

すごく良いなと思ってます。(まだ途中だけど)

ブッダの合理的な考え方っていうだけあって

私としてはすごく同意できる。

 

 

 

でもなんかこれ、時系列で行くと

先に述べた「考えない練習」のパクリ企画本っぽいw

なので本家のほうはどんなもんじゃろと。

いや、Amazonレビュー見たら

 

考えない練習とか言っておきながら

逆に考えることを増やしてるくだりもある

 

という鋭いツッコミがあったんで、興味持ったw

実は著者の小池龍之介さんの本はちょっと読んだことあるんですが

なんか上から目線でうざい、と思って避けてたんですよね・・・。

なのでまあ改めてちゃんと読んでみます。

 

この人瞑想好きなようで、マインドフルネス的なメソッドが主体ですかね。

なにかに集中して、思考の渦から抜け出す

というような部分はアプローチとして面白いところはあった。

対処療法っぽい一時しのぎ感はある感じしますが

まあ結構良いと思います。

 

それは良かったんですが・・・・

実践的な、具体的にどうしろ

ってところはやっぱなんか色々おかしいw

 

書く、という項目で

SNSやブログと承認欲求がどうのこうのって章があります。

これはよくありますよね、承認欲求モンスターになってしまって苦しむ

とか、よく聞きます。

 

で、私勝手にそういう話かと思って読んでしまうんですが

そもそも問題提起がちがうんでしょうか。

著者が問題にしてる?と思われる部分

ちょっと長いですが引用します、私もなにが問題なのか掴めないw

 

結局、ウェブログを始めたものの、更新ができなくなって

そのまま放置してるがたくさんいるということです。

「人に見てもらいたい」と思ってウェブログを始めても

特別な面白さや個性がないと見てもらえません。

日記に対する他社からのコメントもつきません。

せっかく書いても誰も認めてくれないし。寂しい、むなしい・・・

だから書くせいでプライドが傷つくくらいなら放っておこうとなるわけですが

そもそも、そこに煩悩を育ててしまう側面もあることを自覚しておいたほうが良いかもしれません。

自分が書いて日記を公開する、そこに「誰かに認められたい」「自分のことを知ってほしい」

という欲求が生じ、「まだそれが実現してないよ」と思う苦が生じます。

 

どうでしょう・・・

何が問題なのか、わかりますか?

 

このロジックで言えば「ウェブログを始めたものの放置する」っていうのは

苦から逃れるためにウェブログを辞めてるんで、

私としては全然正しい行動でなんの問題もないように思えますが・・・。

んで、しかしまあこの問題?の解決方法を要約しますと

 

ウェブログや記事を書くことがありましたら

その際の下原稿は手書きで書いてみることをお勧めします。

キーボードで文字を打つと早くかけてしまうので

「自分がただ書きたいもの」が書けてしまいます。

もう少し書くことに時間をかけて、情報価値があるもの、人が喜ぶ

クオリティーの高いものを書くように心がけたいものです。

 

っていうことらしいんですがいかがでしょう?

ブログを始めたものの、アクセスがアップしないと苦が生じるから

情報価値があるクオリティーが高いものを書いてアクセスアップしましょう

 

話の筋を通そうとすると、そういう理解になってしまいますが・・・。

それでいいんか?w

 

この本読む人って、そういう話を聞きたいんじゃないと思うんだが

龍之介さんこそまさかキーボードで書いたんじゃないでしょうね?

 

クソブログしか書けないお前らのために

人気者の俺がブログの書き方教えてやんよ!wwww

っていう「自分がただ書きたいもの」になってませんか?

 

もう少し書くことに時間をかけて

情報価値があるもの、人が喜ぶ、

クオリティーの高いものを書くように心がけるとよろしいかと思います。