第2次思春期の克服③ 立派な大人なんかいなかった | カキポンの日常ブログ

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現在10歳の子育て中のお父さん(46)。コーチングや発達理論を学び、子育に活かした話や、日々の出来事などを書いてます。

えー、上司の社会なめてるってぷりに気がついて社会勉強をはじめました。

精神状態としては第一話とあまりかわらないんですが

周りはホントに俺ぐらい熱心に立派なオトナやってるわけ?って疑問を持って

観察したんですね。

 

そしたらまあ、おおむねやってない、というはすぐわかりましたw

 

70%ぐらいの人は社会なめてるというか、ほどほどというか

むしろそっちが普通ですかねw

今まで自分が100%やることに精一杯だったので

周りのことは気にしてなかったんだなあ。

 

なんか騙されてたなと。

ようは私が頑張ってるのは社会(周り)の要求に答えるためだったんですよね。

承認欲求もあるんでしょうけど、”ちゃんとする”ってそういうことですよね?

なにの要求元はちゃんとしてないじゃないかとw

 

ネットとかいい例かもですね

ネット警察というか、綺麗事で文句がいっぱい書いてありますけど

書いてるやつらは絶対自分はやんないからねw

 

そういう前提にたつと、常識とか良いとされてることとか

ホントにそれってそうなの? 

クソどもが自分のためにそう言ってるんじゃねーの?

っていうロジックも生まれますので、

ゼロベースで物事を考えていくようになりました。 

 

洗脳が解けたというか、とけてしまったというか。

まさに社畜だったんですよ私は。

一般的には「会社の家畜」って意味ですけど

「社会の家畜」 でもあったんです。

 

ホリエモンだったかが、全ての教育は洗脳である

みたいな本出してましたが、まさしくそれねw

読んでないから中身しらんけど・・・・・。

 

とまあそんな感じで、勉強・観察・考察を続けていると

良い・悪い という概念が自分のなかで曖昧になってきて

もう究極的にはなんでもええんやん、という感じになってきました。

 

それが自分に染み込んでくると、考えることが減ってくるんですよね。

例えば空気読むとか、人の気持を考えるとか、こうあらねばらないとかね

そういうくだらないことをあまりネチネチ考えなくなった。

 

そんな感じで数年過ごして

今やっと余裕が出てきたってところです。

最近たまたま鬱の本を読んだんですが

それめっちゃ共感できて、あるある、わかるわかるって感じだったんで

ちょっと鬱的な感じだったんかもですね。

 

ただ私の場合コーチングの勉強してたのもあって

どっちかというと精神的つまづきと捉えてたんで、

第二次思春期と題したとおり、そっちのがしっくりくるかな。

 

次回はそういう読んだ本の紹介でもしようかと思います。