庄原・安芸高田の探訪  | のぼるの街歩きブログ

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    庄原・安芸高田の探訪(11月16日)
~倉田百三・火野葦平の足跡と毛利家発祥の地「安芸吉田」を訪ねて~
ふくやま文学館友の会研修旅行:ふるさと現地文学館

広島県庄原市では「倉田百三文学館」・「火野葦平文学コーナー」・「倉田百三生誕の地」・「森の沼」の文学碑・「倉田百三の墓」・安芸高田市では「神楽門前湯治村」の神楽ドームで昼食・神楽観劇・「歴史民俗博物館」・「毛利元就墓地」・「百万一心碑」・「湧永満之記念庭園」などを訪ねた。

 庄原市田園文化センター(庄原市西本町)
 文化センターは市立図書館・倉田百三文学館・歴史民俗資料館の
 多目的ホールのある複合文化施設。


     

  倉田百三文学館は文化センター1階にある。
  倉田百三(1891年~1943年)は現在の庄原市に生まれる。
  人生の大半を病気に苦しめられ、失恋、闘病、孤独の中で青春
  必読書を残した文学者。作品の戯曲「出家とその弟子」・評論集
  「愛と認識との出発」は有名。  
  

   
  
  倉田百三文学館には、倉田百三の著書、往復書簡、原稿、短歌
  書、遺品等約400点が展示してある。ロマン・ロランから倉田百
  三宛に送った手紙もある。

    

   青春は短い 宝石の如くにして それを惜しめの書もある。

      
  
   火野葦平と母マン資料室
   2階の歴史民俗資料館内にある。

     
  庄原ゆかりの小説家 火野葦平(1907年~1960年)
   母マンは庄原市峰田町出身。
  「糞尿譚」で芥川賞受賞。麦と兵隊・土と兵隊・花と兵隊の
  兵隊3部作や父:玉井金五郎と母:マンの生涯を描いた「花と龍」
  は度々映画化されている。

   

  歴史民俗資料館

   
  
  倉田百三生誕之地(庄原市西本町)
  生家は呉服商・祖母キクの実家・尾道の「くりしん」の出店として開
  業した。

   
 
  瓢山古墳(庄原市本町) 広島県指定史跡。
  庄原市上野公園北側丘陵にある。前方後円墳。古墳時代中期
  (5世紀)

    

   森の沼の文学碑
  1957年(昭和32年)建立・上野公園(庄原市本町)の瓢山古墳脇
  にある。「愛と認識との出発」の一節。
 
  文学碑前で説明を聞いています。

    

    文学碑

 

  倉田百三の墓(庄原市西本町)
   百三の墓は東京府中の多摩霊園と庄原にある。
   戒名は「威々西行水楽居士」西田天香揮毫

   
 
  神楽門前湯治村(安芸高田市美土里町)
  
  

  格子づくりの旅籠屋や湯治宿、田舎料理、茶店が並ぶ懐かしい
  町並みがある。

   

    
  
    舞台で神楽を舞ってみよう

     

      神楽資料館
      かむくら座では神楽衣装体験ができる。
    
   ひろしま安芸高田神楽東京公演とひろしま神楽グランプリ2014
   のポスター

    

   神楽ドーム
   日本でも珍しい神楽専用の観覧施設。千畳敷の広さで最大で
   2000人が鑑賞できる。

     
 
   神楽を鑑賞しながら食べます。
   観劇グルメ弁当
 
   

   今日の神楽定期公演は美穂神楽団の「紅葉狩」と「鬼八塚」で
   す。安芸高田市の神楽は出雲流神楽を源流とする、石見神楽
   が江戸期に伝えられたと言われている。22の神楽団がある。


    
  
  
   

  昼食神楽鑑賞後は安芸高田市の戦国武将毛利元就の足跡を
  訪ねます。

   安芸高田市歴史民俗博物館(安芸高田市吉田町)

   安芸高田市の歴史、民俗資料の収集・保存をしている。
   毛利元就とその時代の文化財、毛利時代を通じて受け継が
   れてきた中世の文化財が展示してある。

     

    
 
   毛利公居館御里屋敷跡と毛利元就像

    
 
    元就火葬場跡 説明文
   毛利元就は1571年6月14日お里屋敷で75才で逝去。
   6月20日の初七日の法会後、この火葬場で荼毘に附した。

     

    火葬場跡
   
      

  毛利元就公墓所参道

   
  
 
 
   百万一心碑
   昭和6年に石碑は元就墓所境内に建立された。
   百万一心は一日一力一心と読み、一致団結の大切さを教えてい
   る。
    
     
 
  毛利元就墓所。
  元就は1571年75才の生涯を閉じた。その翌年郡山城の中腹に
  墓地が建立された、その一角に兄興元、興元の長男幸松丸元就
  の長男隆元の妻の墓も建立された。

   
 毛利元就墓所の後は湧永満之記念庭園へいきます。

   湧永満之(わくながまんじ)記念庭園。(安芸高田市甲田町)
   1993年当時の湧永製薬湧永儀助社長が発案、設計し施工は
   すべて社員によって行われた庭園。広さ45000坪。モネ邸の
   睡蓮,第1・2庭園、薬用植物園、バラ園がある。