ポータブルトイレで用を足す時には必ずナースコールを押すように伝えてるのに、今だにひとりで車椅子を移動させてポータブルに座ることがある。
装具を付けてるおかげで時間をかければ自分でも車椅子からポータブルトイレに移れるけどズボンの上げ下げはちゃんと出来ない。
大便の時は手も便座や周囲も便だらけに汚す。
今朝も部屋を覗くと時すでに遅しで、リハパンもズボンも汚していた。
「ナースコール鳴らさなアカンやん!」
私の強めの口調に久しぶりにヒステリーを起こした母。
「汚してないやないの!」
汚してるのに😩
帽子をなげつけたり、施設に入れろと言うてるやろと虚言を放つ。
アンタが施設は行けへんでって喚くから在宅介護になってるんやんか😭
久しぶりに喚き散らす母を見て、昔のヒステリーを起こした時の母を思い出した。
何かイヤなことがあったのか、決まって父のいない時に台所の流しに向かってお茶碗やお皿を投げつけて喚いていた。
ガチャンとお茶碗の割れる大きな音に震え上がりながら遠目に母を見ている光景は何度も繰り返されて、私が子供を産んでからも実家に帰省した折に目にしていた。
必ず父のいない時で私ひとりの目の前で繰り広げられた。
今朝のヒステリーも夫の出勤後の私しかいない時間。
トラウマのように台所で鬼の形相で喚く母の横顔が浮かぶ。
夏までに施設に入るよと伝えてからの不機嫌な母の脳で、自分が施設に入れろと言ってると変換されたのか、帽子を畳に投げつけては拾ってまた投げつけて喚き散らし続けた。
「もう迎えに来んでええ!!」
私に言葉を投げつけてショートステイの準備を始めた。
おかげで母を入所させる罪悪感が小さくなった。
母に言い返しながら、これでいいと思った。
母は変わらない。
小さい頃から私を傷つけることに躊躇のない母を忘れない。
弟だけが可愛いと幼い私に言い続けた母。
ハタキや掃除機のノズルで叩かれて、着物の腰紐で両手両足を縛られて暗闇の押入れに何度も閉じ込められた。
布団で簀巻きにされて上から乗られて苦しかった。
オネショをするたびの恐怖。
高学年までオネショが治らなかった。
大学受験も姉弟の中で私だけさせてもらえなかった。
それなのに姉弟に比べて優しいから母の介護を引き受けたという虚言を周囲に言いふらす。
自分が喚いて泣いて怒鳴って揉めて今に至ってることは誰にも言わない母。
久しぶりの母のヒステリーで蘇る記憶を心の中で反芻して、母を可哀想と思う気持ちに蓋が出来た。