月曜日からの在宅介護で精魂尽き果てる頃が金曜日。
世の中、たくさんの方が在宅介護をされているのに甘えた事をと言われそうやけど。
半身麻痺で60キロの90才を移乗や移動や起き上がりや立ち上がりや車の乗り降りなどの7年で、右手指はペパーデン結節で第一関節から腫れ上がり曲がったままで常に痺れている。
右足は変形性股関節症になって常に痛みを伴うようになり足を引きずって歩くことが日常になった。
子供だからという責任感だけで逃げ出せず、親も逃げ出さないであろう子供に寄りかかる。
7年前の入院の時は独居やったから老健も特養も優先してくれたはずと、体調不良に陥った私に今になってケアマネが言う。
今さらやけどあの時に親を突き放せる強さが私にあれば、好きな仕事でまだ働いていたはず。
定年まで働いて年金を貰うのが夢やったのに、無職になって4年。
定年までの年数を働けば、お給料とボーナスで貯金も出来たし年金も増えた。
バー様が暴れなければ、泣き喚かなければ、、、
今日は指の痺れが強くて股関節の痛みが酷いから、マイナス思考に落ちてしまう。
痺れや痛みさえ無ければ、バー様が施設や病院にでも入った折には、また仕事を再開して社会復帰を目指そうとポジティブシンキングが出来るのに。
曲がった指や引きずる足を抱えて、社会復帰が出来るんやろか。
嫌いな親の介護をするという事が、マイナス思考に拍車をかける。
弟ばかりを贔屓した母から、気の強い姉には言いなりになる母から、幼い頃から愛情を感じた事が無い。
父は平等だった気がするが、不仲の夫婦が遊びや旅行に連れて行ってくれる事もなく、弟だけにあるオヤツに泣く事もなく、根性悪の姉とは年が離れていて遊ぶ事もなく、思い出の無いつまらない幼少期だった。
母のイケズのせいか高学年までオネショが治らず、修学旅行で先生が夜中のトイレに起こしに来てくれた。
中学も高校も部活はお金がかかるとさせてもらえなかった。
姉や弟は部活やリトルリーグやらで忙しくしていた。
高校生になってアルバイトを始めてやっと買い食いが出来るようになって、アルバイトを増やして必死でこなした。
姉も大学に行き、弟も私立の高校から大学へ行く予定で「お金ないからアンタは高卒で働け」と母から言われてなりたい仕事も見つけられることもなく、いい給料の金融機関を選んで就職した。
おかげで今の幸せがあるから違う道があったと後悔することも無いけど、母を引き取る責任が私にあったとは今もどうしても思えない日がある。
身体の不調が心の不調を呼びさます。
土日月は二泊三日のショートステイ![]()
明日は高校の同級生とランチだわい![]()
ちょっと贅沢なランチを食べて元気になってやる![]()