おはようございます!
今朝は、3時に長男のトイレに起こされ笑い泣き
それから眠れず、
週報を、作り終え
今ブログを書いています。

今日から、11月。
自分の誕生日前後の月は、気をつけねば💧
大体、10月11月のころの自分の身に起こったことが、次の年の1年を映し出しているのだそうです。
(大好きなゲッターズ飯田さんが言ってました♥夜な夜な動画を見ていた昨年。どんなに荒れた私の心を癒やしてくれたか⭐あと、江原さん🤣感謝♥♥♥👼)
10月は、自分起業をスタートしました👏
11月は、今からですが、記憶としては、今まであまりいい月ではない…

目の前のことを、しっかりこなしていこうと思っている、今日この頃です。

今日は、前回↓

に引き続き、
教育と私②
〜児童期の私〜


児童期といえば、小学生時代の私は、
母親の教育観を、たっぷりと浴び、
「勉強が、世の中で1番大事」
「勉強が、できれば、仕事の選択肢も広がるし、仕事に上下はないけれど、頭を使う仕事につくか、体を使う仕事につくか、それだけのことだ」

と言われて育ちました。


私の母は、4人兄弟の長女。
その当時の話を聞けば涙がでます。
男と女の差が激しかった頃、
兄と弟は、大学を出ていたのに
母と母の妹は、女だからということで、
高卒、しかも、母は、兄や弟のために、
学費などの仕送りまでしていた😭

母は幼稚園の先生になりたかったから、短大は、出ないとなれなかったが、泣く泣く断念。本当は、CAになりたかったらしい。
とにかく、夢を、「女性だから」ということで諦めてなければいけなかった悲しさを、すべて、私達姉妹に与えてくれた。「学力」「勉強」という形で。

まだ、昭和の鹿児島で、
その当時は、それほど習い事として行く子供もいなかった、英語を幼稚園年中から習わせてもらった。(中学3年まで)

そして、ピアノも、年中から習っていた。

お勉強のほうはというと、

4年生から、夏休みに、厚物(厚みが3センチほどある、問題集)を、母と姉と3人で解き、母が添削し、2学期を迎えるという、流れ。
もちろん、1ヶ月の夏休みの間に2学期の内容をすべて終らせているので、学校の授業は、復習の役割。ほとんど、テストでは、100点を取っていた。

これは、母が私に、努力すれば、結果に現れて、自分に自信を着けられるということを、
身を持って教えてくれた、私にとっては、今を作り出している強烈な経験だ。


小学生のころは、
1200人規模の学校で、
かけっこは、大体1位か2位。
勉強も、母の特訓のおかげで、上位

順風満帆な日々を送っていた。

この時点で、私は、勉強することは、好きなことになっていた。
もちろん、難しくて大変だけれど、努力は、裏切らないし、大好きで頼もしい母の言うことは、大体合っていて、同じ女としても、かっこいい存在だった。

苦労しても、腐れず
今できることを子供に対して
必死にする。


これは、今私が母になっても母を尊敬する
一つの理由でもある。


次回
【教育と私③】
小学校で、強烈な担任との出会い

に続く。。。