65代の九州男児ベーシスト | FMAの日記

FMAの日記

ライブハウスの照明とポリエステルの領域の外に棲むアザラシをモチーフとした日記

先に言っておくとめっちゃ長いです。(2800文字)

ドン引きの長さです。

こういう場面では真面目かつくさいことが言いたい人間なので許してください。🙇‍♀️

あと大半が自分語りで占めてます。




内川 直哉のプロフィール

2003年9月3日生まれ

血液型 B型

好きな食べ物  お寿司

埼玉出身の父と宮崎出身の母の間に生まれる

鹿児島県霧島市隼人町     生まれ

福岡県北九州市小倉南区 育ち


赤い丸のところだよーー



見ての通り、自分はずっと九州で育ってきたのですが、人生の内1回は日本の中心に行ってみたいということで、上京してきました。

浪人中、BUMP OF CHICKENにハマり大学で軽音楽部に入ろうと思ったので、楽器もやったことないですが、新歓のときは軽音楽部のブースしか行きませんでした。


ブースでは「電軽」と「FMA」の2つがありましたが、その時の自分は

FMAってなんだよ、フォークミュージックってなんだよ、名前からして電軽一択やん

と思い、電軽のブースでその当時の部員の方と話し、FMAのブースには行きもせず、帰りました。


その後、入部希望の方はtwitterのDMでというのを見かけ、「入部したいです!」と送ったのですが、間違えてFMAの人(英恵さん)に送ってしまいました。今思うと運命だったのかも

間違えたと気づいたのはグループLINEに招待されてからでした。

僕は小心者なので断ることもできず「まあええか」と思い新入生の顔合わせである部会に顔を出すのでした。


こんな感じで僕はFMAと出会った訳ですが、

入部当初、大学生は自分から話しかけにいかないと友達ができないこと、楽器経験のある人間が強いことを知りました。でも、大学生活を軽音部で過ごしたかった僕は

「楽器を誰よりも上手くなって、誘ってもらってからみんなと仲良くなろう!」

と考えるようになりました。


楽器を買った日からまったく触らなかった日はほぼありませんでした。

ベース講習会で、初心者なのに30万のベースを持った高田や、いきなりピック弾き1本で貫こうとしてる籠谷がいましたが、こいつらには負けねえと思い頑張っていました。


デビュライ出た後、固定バンドというのは解散するもので、自分もそうでした。当時のメンツは誰も残っていません。それでもベースを続けていましたが、本当にこの努力は実を結ぶのかなーって思い

辞めようかなーと思った時もありました。本当にこの期間は孤独で、かつ尖っていたので、東京のやつらおもんねえなあーって思うことで、自分で自分を納得させていたと思います。


そのまま11月になり、学祭期間になりました。

当然固定バンドもないし、誰も友達はいないので

1年生の学祭は出たことがありません

ただ、同じ学科でかつFMAで唯一の友達だったDr激うまの木村くんと準備に行ったり、彼の出番と当時の武道場でやった特設だけ一人で見てそそくさと帰りました。


そんな僕は学祭以降からFMAと仲良くなり始めました。

仲良くなったきっかけ1人目は大野くんです。彼は学祭の準備中に初めて話し、「他大のライブに今度出るんだけど、ベースいないから出ない?」と言われ出ることを決意しました。

8月のデビュライの次に出たライブは12月の合同ライブでした。


2人目は4代飲みの日に勇気出して行った部室にいた、寺口くんです。

彼は後の「yueni,」になるバンドに誘ってくれました。


そこから勇気を出して部室に行ったり、みんなとゆっくりゆっくり仲良くなり始めました。

初めて同期と飲みに行ったのは、まさきが誘ってくれたライブの日でした。打ち上げに行ったのですが、あまり馴染めず楽しくありませんでした。そんな僕と同じことを思っていたのが大塚まさやです。彼はほぼ関わったことない僕を飲みに誘ってくれました。梅島の鳥メロで、はるきとまさやと近所に住んでた、こうたと4人で飲みました。いい思い出です。誘ってくれてありがとう



まあ長々と僕の愛するFMAの馴れ初めを語り散らかしたのですが、内川ってこんなんやったんやでーっていうのを伝えたかったのと、自分と似たような人間がいたら、頑張れーって言いたいだけです。アメブロって昔(最古は2014)のも見れるので、これから入ってくるであろう人間もしくは、めっちゃ上の先輩が久しぶりに見た時、65代はこういうやつもいたんやで〜って思ってください。



話は変わり、アメブロは昔のもので見れると言うと、このブログリレーは63代の先輩がやっていました。63代は僕が1年の時の3年生です。先程も述べた通り、徐々に仲良くなってる時期なので、3年生とは誰とも仲良くないというか気軽に話せる存在ではなく、楽器がバケモン級に上手い人がいたので、雲の上の存在でした。当時の部長のりょうさんの「FMAと電軽」というアメブロの記事を見た時、FMAに入って良かったなと思いました。

なんと今では、あの部長のりょうさんと、あのボーカルの世莉さんとcinema staff枠が決まっている事実。

いやあでっかくなったなあ俺。


更に昔のものを遡って見てみてみると

2014年の夏合宿行った時の写真があります

夏合宿行った人はわかると思いますが、北志賀ホリデーインのBBQ会場です。

初めて見た時、こんなに前から行ってるんだと思いました。そして夏合宿のとき、バスの運転手さんから、「もうあんたたちを何十年も毎年、北志賀ホリデーインさんに運んでるよ」って言われましたし、宿の方からも「FMAさんをずっと受け入れてるよ」っていわれました。



さらに場面は変わり、学祭の特設に立ってる時に「去年立ってた奴らはこういう気持ちだったんだな」「今見てる後輩たちも来年は立ってるんだろうな」と思いました。

このことから

「世代って変わっていくんだなあー」と思いました。

僕たちの知らないFMAが何十年もあって、毎年その年のドラマがあって、青春があって、名残惜しく引退していく。そう考えると感慨深いし、僕たちもその1ページになると考えると嬉しくもあり悲しくもあると思いました。


あーずっと大学生して、FMAでいたいなー



66代のみなさん、よりよいFMAを作ってくださいね

りあむがどうこう言ってたけど、FMAが好きだから心配するだけで、なんだかんだいってあんたたちならうまくやっていけると思いますよ



先輩方ー、そっち側にいきますねー



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最後に、

後輩へ、僕は未熟者だったなあとよく思います。僕はみんなにとって良い先輩だったでしょうか、先輩としてうまくできていたでしょうか

もっとみんなと仲良くできたし、みんなのためにしてやれることがあったなあと思います

ごめんなさい

引退したら飲みに誘ってください。




同期へ、お前ら愛してる




千葉へ、部長という重荷が降りたらまた河川敷で       音楽語ろう






FMA愛してるよ

引退ガチ泣きするんだろうなあ

夏合宿いきてえー