「最近、コンプライアンスが厳しくなった」とよく聞くようになった。
「モテるために、あるいは芸能人と結婚するために、お笑い芸人を目指したのに何もできなくなってしまった。」
芸人はこの発言すらも笑いを変えていく。
私の方は、芸能人のスキャンダルを上から目線で、「なんてこんなバカなことをするんだ?」と冷ややかに見ている。
さも自分ならばそんなバカなことはしない、自分はバカではない、と自信ありげなのだが、本当に自分はバカではないのだろうか?
なぜだか、車の飲酒運転のことが思い浮かんできた。
30年以上前も飲酒運転は道交法上禁止であったのだが、当時の私は少量であれば平気で運転していた。
周りもなんとなくそうだった。
見つからなければ大丈夫だろう、という感覚があった。
その後、罰則が重くなるなどの改正があって、グレー扱いになっていた禁止事項がホントの禁止事項に変化した。
30年経った今、ホントの?禁止事項になっている。
芸能人のスキャンダルもこれと同じなのではないかと感じる。
世の中のNGの中に、隠し通せてきたものがあって、隠せているうちはなぜか大丈夫だと、NGがまかり通る。
それが隠せなくなってきて焦ってホントのNGだと認識するのだ。
世間の意識が変わることで隠しづらくなるわけだが、それに加えてスマホやネットを中心にして記録が残るようになった。
その記録を誰しもが広く世間に公開できるようになった。
TVなどのマスメディア、そういった特定の権力がないと流せなかった情報が、民衆の手に渡った。
こうして隠せていたことを隠すことができなくなってきているのだ。
最近では「ジャニーズ事件」によって、民の意識がまた変化した。
権力によって握りつぶされて、泣き寝入りするしかない、(同業者ならば)干されてしまう、などと言ったことで終わらない社会になってきているのだと・・・。
このことは、芸能人に限らず、政治家、社長などあらゆる権力者のスキャンダル、セクハラやらパワハラにも当てはまることだ。
今、権力によって隠し通せるグレイゾーンが隠し通せなくなっていく流れがあって、民が勇気を得て泣き寝入りしないという流れができている。
この流れに乗ってグレイゾーンがNGになる、この膿だしが昨今我々が目にする不祥事なのである、と言えなくもない。
大丈夫。隠せる、という感覚で古い意識のまま蜜に浸っていると、世の中がどうやら変わってしまっていた。
そうしてやってきた古い意識も同時に晒されてバカみたいに見えるのだ。
冒頭の疑問「スキャンダルを上から冷ややかに見ている私は、バカではないのか?」について。
飲酒運転のことからすると、自分も同様にバカなのだろう。
隠せれば大丈夫だと思っているのは一緒のことだ。
では、同じ感覚の私がこれまでに(目立った?)スキャンダルを起こさなかったのは、なぜだろうか?
それは、隠し通せるほどの権力を持っていなかったからが大きいのだろう。
あるいは、スキャンダルを起こしてしまいそうになるほどの魅力的な場所にいなかったからかもしれない。
そして、スキャンダルに引っかかるような魅力を持ち合わせていないからなのではないか?
ウーン、書いていて空しくなってきたので、これ以上はやめにしよう。
ともかく、NGはグレーゾーンからホントのNGになるというステップを経て、時代は確実に変化していくのだ。
これからも意識の古いグレーNGの持ち主が、ホントNGとなって世に晒されることが続いていくんだろう。
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