祭の日、あなたは会社を休めますか? 神仏習合と集落の祭 ~ 都祁紀行
「時代はかわった。ものすごくかわった」
・・・と、まもなく100歳にとどく小西勉さんがいうと、重みがあります。
先日、新潟産奈良人xiongmu さんのお誘いで、都祁地区の伝統行事の取材に同行させていただきました。
奈良県立大学の学生の手による、都祁地区の伝統行事を紹介する冊子をつくることが目的です。
以下に、「新潟産奈良人xiongmu」さんの記事から抜粋させていただきました。
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今回は、都祁地区の針集落 の長老、小西さんとお話することができました。
小西さん、お年の割に頭がさえていらしています。
なによりも話す口調がしっかりされていますね。
小西さんの半分も生きていない私自信が舌を巻くほどです
今回、奈良県立大生たちは、小西さんの記憶を記録にのこす試みをされようとしていました。
小西さんの居る針集落では、年のはじまりから、一年を通して行われる行事があります。
前年に子供が生まれた家の父親が三人、選出されます。
年のはじまりに、観音寺という寺の板を叩き、魔除けの乱声を執り行います。
その年の安泰と豊作を祈ります。
花作りをし春日神社で、花をまきます。
この祭では、お寺と神社の双方で行われるため、しばし神仏習合というキーワードが発せられます。
上の写真のように、子供に衣装を着せて、その横にある檜の木箱は、春日神社の分祀になります。
これを、一年間、家の中で一番清められた場所で祀ります。
年末になると、この箱を、このような祠にうつし、神主が訪れて祝詞をあげます。
もっと細かい行事があります。
それがビッシリと書かれたノートも見せていただきました。
この祭が執り行われているとき、父親は、会社を休みます。
また親族が全員、遠方に嫁入りした女性も、このときには里帰りします。
そんなお祭りが、現代にも連綿と受け継がれているのですね。
祭の発祥は、さすがの小西さんも御存じではなかったですね。
同じ都祁地区内の集落でも、祭はそれぞれあります。
少子化が叫ばれる昨今に、前年に子供が生まれていなくても、なんとか維持しようと、前回うけもった家が、引き続き執り行っったりしているそうです。
祭の起源については、小西さん、NPO都祁でも、思うところはあるようです。
古来より受け継がれてきた厳粛な神事、というわけではないようです。
昔、土曜日、日曜日などと休日の概念が日本になかった時代。
あえて神事をとり入れることで、祝日を設け、農業の手を休めようという意図があったのではないかとおっしゃっていました。
つまり、お祭りの日には、集落の人々が集まり、朝からお酒をのんで、のんびりとするということだそうです。
時代の移り変わりにより、農業が、本業ではなくなりました。
減反などで収入が激減し、農業だけでは生活できなくなります。
他所に出向きサラリーマンをしながら、週末に農業をする傾向になります。
先祖からの土地を守る意義のみで農業を続ける家が大半になってきたそうです。
「時代はかわった。ものすごくかわった」
戦前より現在まで、時代の趨勢を目の当たりしていた小西さんがつぶやきます。
時代のうつりかわりにより、集落単位でおくられてきた生活スタイルが、今や、社会単位での生活に拡大していったことをおっしゃっているのですね。
生活を維持するため、自治体、村の年寄りよりも、会社の上司、社長のプライオリティが高くなっている時代ですね。
あなたは、自治体の祭のために、会社を休むことができますか
大阪の新興住宅街で生まれ育った私には、その思考はありません。
だけど、都祁地区には、その風習が残されているのですね。
祭のときには、遠方に散らばった兄弟姉妹、親族が、一同に会するのです。
齢100歳に届こうとしている小西さんのお宅は、さぞ、盛大なことでしょうね。
今回の都祁紀行の一気読みはこちら「奈良の空中都市 大和高原 都祁地区 」
・・・と、まもなく100歳にとどく小西勉さんがいうと、重みがあります。
先日、新潟産奈良人xiongmu さんのお誘いで、都祁地区の伝統行事の取材に同行させていただきました。
奈良県立大学の学生の手による、都祁地区の伝統行事を紹介する冊子をつくることが目的です。
以下に、「新潟産奈良人xiongmu」さんの記事から抜粋させていただきました。
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都祁に限らず、日本の農村では、農業の節目に沿ってお祭りを行っています。
(中略)
四季折々に変わる気候と、それにより産み出される農産物、そして節目節目のお祭りは、日本人独特の繊細な季節感を産みました。
農産物がスーパーなどで年中安定供給されるようになった今、旬のものをいただくという感性が芽生えにくく、作った人の心にふれる機会もなくなってしまっています。
これでは季節の変化を受け取る感性も、大地や作った人への感謝の気持ちもなくなってしまいます。
(中略)
そんなとき、年間を通して四季折々の伝統的な行事が残る奈良のむら都祁は、とても大切なことを教えてくれる場所なのではないかと思えるのです。
「都祁までヒアリングに
」より
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今回は、都祁地区の針集落 の長老、小西さんとお話することができました。
小西さん、お年の割に頭がさえていらしています。
なによりも話す口調がしっかりされていますね。
小西さんの半分も生きていない私自信が舌を巻くほどです

今回、奈良県立大生たちは、小西さんの記憶を記録にのこす試みをされようとしていました。
小西さんの居る針集落では、年のはじまりから、一年を通して行われる行事があります。
前年に子供が生まれた家の父親が三人、選出されます。
年のはじまりに、観音寺という寺の板を叩き、魔除けの乱声を執り行います。
その年の安泰と豊作を祈ります。
花作りをし春日神社で、花をまきます。
この祭では、お寺と神社の双方で行われるため、しばし神仏習合というキーワードが発せられます。
上の写真のように、子供に衣装を着せて、その横にある檜の木箱は、春日神社の分祀になります。
これを、一年間、家の中で一番清められた場所で祀ります。
年末になると、この箱を、このような祠にうつし、神主が訪れて祝詞をあげます。
もっと細かい行事があります。
それがビッシリと書かれたノートも見せていただきました。
この祭が執り行われているとき、父親は、会社を休みます。
また親族が全員、遠方に嫁入りした女性も、このときには里帰りします。
そんなお祭りが、現代にも連綿と受け継がれているのですね。
祭の発祥は、さすがの小西さんも御存じではなかったですね。
同じ都祁地区内の集落でも、祭はそれぞれあります。
少子化が叫ばれる昨今に、前年に子供が生まれていなくても、なんとか維持しようと、前回うけもった家が、引き続き執り行っったりしているそうです。
祭の起源については、小西さん、NPO都祁でも、思うところはあるようです。
古来より受け継がれてきた厳粛な神事、というわけではないようです。
昔、土曜日、日曜日などと休日の概念が日本になかった時代。
あえて神事をとり入れることで、祝日を設け、農業の手を休めようという意図があったのではないかとおっしゃっていました。
つまり、お祭りの日には、集落の人々が集まり、朝からお酒をのんで、のんびりとするということだそうです。
時代の移り変わりにより、農業が、本業ではなくなりました。
減反などで収入が激減し、農業だけでは生活できなくなります。
他所に出向きサラリーマンをしながら、週末に農業をする傾向になります。
先祖からの土地を守る意義のみで農業を続ける家が大半になってきたそうです。
「時代はかわった。ものすごくかわった」
戦前より現在まで、時代の趨勢を目の当たりしていた小西さんがつぶやきます。
時代のうつりかわりにより、集落単位でおくられてきた生活スタイルが、今や、社会単位での生活に拡大していったことをおっしゃっているのですね。
生活を維持するため、自治体、村の年寄りよりも、会社の上司、社長のプライオリティが高くなっている時代ですね。
あなたは、自治体の祭のために、会社を休むことができますか

大阪の新興住宅街で生まれ育った私には、その思考はありません。
だけど、都祁地区には、その風習が残されているのですね。
祭のときには、遠方に散らばった兄弟姉妹、親族が、一同に会するのです。
齢100歳に届こうとしている小西さんのお宅は、さぞ、盛大なことでしょうね。
今回の都祁紀行の一気読みはこちら「奈良の空中都市 大和高原 都祁地区 」
針の歴史 と 坂上田村麻呂 伝説 ~ 都祁紀行 針インター、針T.R.S(針テラス)
ドライバーのみなさん。
針インター、針T.R.S(針テラス) は、なぜ”針”(はり)とよばれているか、御存知ですか
針は、もちろん、裁縫につかわれるはりです。

もともと、このあたりは山辺郡針ヶ別所村という村でした。
昭和30年(1955)に、山辺郡都介野村(つげのむら)と合併し、都祁村(つげむら)となりました。
更に、都祁村は、平成17年(2005)添上郡月ヶ瀬村とともに奈良市へ編入されました。
今では”針”という名前は、針町、針ヶ別所町など町名と、針インターの針T.R.S(はりテラス) に残されているのですね。
針という地名の由来には、こんなお話がありました。
むかし、坂上田村麻呂の一族が、この地を訪れた時のことでした。
この地に、弓の腕がたつ者がおるかと、一族の者が問うたところ、
一人の達人があらわれました。
その達人は、みごと針の穴に矢を通してみせたのでした。
すっかり感服した一族は、”針”という名を、この地に与えたとのことです。
「道の駅 針T・R・S (針テラス)は、都祁(つげ)地区の特産物でいっぱい! 」
※坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
802年、征夷大将軍として東北遠征をおこない蝦夷討伐に活躍した武将。
針インター、針T.R.S(針テラス) は、なぜ”針”(はり)とよばれているか、御存知ですか

針は、もちろん、裁縫につかわれるはりです。

もともと、このあたりは山辺郡針ヶ別所村という村でした。
昭和30年(1955)に、山辺郡都介野村(つげのむら)と合併し、都祁村(つげむら)となりました。
更に、都祁村は、平成17年(2005)添上郡月ヶ瀬村とともに奈良市へ編入されました。
今では”針”という名前は、針町、針ヶ別所町など町名と、針インターの針T.R.S(はりテラス) に残されているのですね。
針という地名の由来には、こんなお話がありました。
むかし、坂上田村麻呂の一族が、この地を訪れた時のことでした。
この地に、弓の腕がたつ者がおるかと、一族の者が問うたところ、
一人の達人があらわれました。
その達人は、みごと針の穴に矢を通してみせたのでした。
すっかり感服した一族は、”針”という名を、この地に与えたとのことです。
「道の駅 針T・R・S (針テラス)は、都祁(つげ)地区の特産物でいっぱい! 」
※坂上田村麻呂
さかのうえのたむらまろ
802年、征夷大将軍として東北遠征をおこない蝦夷討伐に活躍した武将。
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