ミサキ ・・・ 強い兆しとキセキと大自然の十津川村 玉置神社ツアー ~神代杉 大杉 笹の滝
4月16日は「強い兆しとキセキと大自然の十津川村 玉置神社ツアー」でした。
(タイトルは後付けですが・・・
)
因みに、ミサキとは、八咫烏伝説 のときにも書きました。
神の降臨に先駆けて、遣い、または予兆として現れるとされるものです。
さて・・・
今回の玉置神社ツアーは、いつも以上の兆しがありました。
今回のお客様・Yさん。
公私ともに、なにかと災難にみまわれています。
会社、仕事場、家庭や、カレシとのことや、色々この時期に問題が集中しています。
よく耐えてますねーと感心するほどです。
(-"-;A
ツアー前日の吉野郡十津川村は大雨でした。
夜、奈良のとあるところでYさんを車で迎えにいき、一路、吉野郡十津川村へとむかいます。
道中、雨はあがっていましたが、ところどころで道は濃い霧につつまれていました。
カーブと片側は切り立った崖、片側は落ち込んだ崖。
その下は闇ですが川があります。
(((( ;°Д°))))
雨の後のせいか落石が多く、拳大の石がごろごろと道におちています。
と―
「おおっと・・・」
バレーボールぐらいの岩が行く手にころがっており、あわてて車を停止。
すると、助手席のYさんが声をあげます。
なんと崖のところ、目と鼻の先に、野生の鹿の群れがいました。





奈良公園の鹿を見慣れているYさんですが、大興奮です。
十津川村にはいると、空を厚い雲がつつんでいます。
・・・
雲が厚いときは・・・
玉置山から、みごとな雲海が拝めます。
大峰山系の山々の頂を覆うほどの雲。
まるで雲の上にのぼったみたいです。
玉置山を登る途中も霧に覆われて、
時折、野ウサギや、キジ、小鳥たちが道を横切り、ひやひやしました。
Yさん、野生のウサギ、キジを見るのは初めてだそうです。
思いもかけない御出迎えに、大喜びです。
玉置神社にたどりつくと、
どーん!どーん!どーん!
勇壮な太鼓の音が、早朝の澄んだ大気をふるわせます。
朝靄の中、本殿から神主さんの祝詞が聞こえてきます。
同じ時間になんどとなく来ている私ですが、こんな場面に出くわすのは初めてです。
後で聞いたことですが・・・
この本の著者である久保さん。
そんな光景に出くわしたことはなかったそうです。
茫然とみとれていたら・・・
祝詞がおわり、神主さんが出てきました。
(格子戸の左端に神主さんの姿あり。)
御詣りを済ませ、
Yさん、おみくじで「大吉」をあてます。
(私、末吉
)
大吉をあてたというよりも、書かれていた内容が、
今のご自身の状況に対し、ストレートな答えがあったと驚かれていました。
(私は、ここで大吉をあてた人が初めてなんで、充分、びっくりなんですが・・・)
しばし本殿のところで、ぼーっとしています。
朝日が、ゆっくりと登ります。
その後、
三千年を生きながらえたと伝えられる神代杉をおとずれます。
靄のなかに、うっそうと巨体をあらわしています。
そして県下一の大きさをほこる大杉。
森の中、杉がならぶ中で忽然とその巨体をあらわしています。
由緒ある玉置神社。
玉置山山頂に鎮座する旧郷社。
ここでは自然が生み出した奇跡を目の当たりにすることができます。
永い年月を生きながらえた巨木の姿は、
訪れる人に、畏敬と、生きる力をあたえてくれますね。
玉置神社を後にして、(ツアー定番?)笹の滝 を訪れます。
Yさん、幼い頃は女だてらに、近所の男の子をあつめて野山を駆けまわっていたワルガキだったとか。
大きな岩がごろごろと転がる中を、あれよあれよと、のぼりつめ、
・・・滝の淵のそばまできましたよ。
Yさん、日々のことに忙殺され、心を小さくしてしまい、自身を見失っていたと。
このツアーで少し、自分自身を思い起こせたと語ってくださいました。
・・・
八咫烏伝説 のときにも書きました。
ヤタガラスは、神の降臨に先駆けて、遣い、または予兆として現れるとされるミサキの一種です。
鹿、キジ、野ウサギと、Yさんにこれから何かイイコトが起こる予兆としてあらわれたミサキだったのかもしれませんね。
ずっと、彼女の話しを聞いていました。
その困難、逆に転じれば、ものすごいパワーとなると。
今は、流れが悪いだけなんだろうなと。
これを機にイイコトあるといいですね。
ましては、玉置神社はヤタガラスと縁が深い神社です。
さて・・・
前回の記事「こわれてしまいました 」で、
玉置神社の玉石社を撮影したときに、カメラが壊れたお話をしましたね。
このとき、こんな写真も撮れました。
スピリチュアルなことに無縁の私。
ただ一枚だけ、こういう現象がおこりましたね。
手ぶれ、光の具合、なんとでも理由はつけれます。
(むしろ、私はこちらの意見かな。)
ただ、このタイミングにおいて、こういう事象がおこったことを、
どうとらえ、意味づけるかは、
見る人の判断にお任せしますね。
これをキセキとし、生きる糧とすることも。
関連記事
>神武東征 玉置神社の由来
(タイトルは後付けですが・・・
)因みに、ミサキとは、八咫烏伝説 のときにも書きました。
神の降臨に先駆けて、遣い、または予兆として現れるとされるものです。
さて・・・
今回の玉置神社ツアーは、いつも以上の兆しがありました。
今回のお客様・Yさん。
公私ともに、なにかと災難にみまわれています。
会社、仕事場、家庭や、カレシとのことや、色々この時期に問題が集中しています。
よく耐えてますねーと感心するほどです。
(-"-;A
ツアー前日の吉野郡十津川村は大雨でした。
夜、奈良のとあるところでYさんを車で迎えにいき、一路、吉野郡十津川村へとむかいます。
道中、雨はあがっていましたが、ところどころで道は濃い霧につつまれていました。
カーブと片側は切り立った崖、片側は落ち込んだ崖。
その下は闇ですが川があります。
(((( ;°Д°))))
雨の後のせいか落石が多く、拳大の石がごろごろと道におちています。
と―
「おおっと・・・」
バレーボールぐらいの岩が行く手にころがっており、あわてて車を停止。
すると、助手席のYさんが声をあげます。
なんと崖のところ、目と鼻の先に、野生の鹿の群れがいました。





奈良公園の鹿を見慣れているYさんですが、大興奮です。
十津川村にはいると、空を厚い雲がつつんでいます。
・・・
雲が厚いときは・・・
玉置山から、みごとな雲海が拝めます。
大峰山系の山々の頂を覆うほどの雲。
まるで雲の上にのぼったみたいです。
玉置山を登る途中も霧に覆われて、
時折、野ウサギや、キジ、小鳥たちが道を横切り、ひやひやしました。
Yさん、野生のウサギ、キジを見るのは初めてだそうです。
思いもかけない御出迎えに、大喜びです。
玉置神社にたどりつくと、
どーん!どーん!どーん!
勇壮な太鼓の音が、早朝の澄んだ大気をふるわせます。
朝靄の中、本殿から神主さんの祝詞が聞こえてきます。
同じ時間になんどとなく来ている私ですが、こんな場面に出くわすのは初めてです。
後で聞いたことですが・・・
この本の著者である久保さん。
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そんな光景に出くわしたことはなかったそうです。
茫然とみとれていたら・・・
祝詞がおわり、神主さんが出てきました。
(格子戸の左端に神主さんの姿あり。)
御詣りを済ませ、
Yさん、おみくじで「大吉」をあてます。
(私、末吉
)大吉をあてたというよりも、書かれていた内容が、
今のご自身の状況に対し、ストレートな答えがあったと驚かれていました。
(私は、ここで大吉をあてた人が初めてなんで、充分、びっくりなんですが・・・)
しばし本殿のところで、ぼーっとしています。
朝日が、ゆっくりと登ります。
その後、
三千年を生きながらえたと伝えられる神代杉をおとずれます。
靄のなかに、うっそうと巨体をあらわしています。
そして県下一の大きさをほこる大杉。
森の中、杉がならぶ中で忽然とその巨体をあらわしています。
由緒ある玉置神社。
玉置山山頂に鎮座する旧郷社。
ここでは自然が生み出した奇跡を目の当たりにすることができます。
永い年月を生きながらえた巨木の姿は、
訪れる人に、畏敬と、生きる力をあたえてくれますね。
玉置神社を後にして、(ツアー定番?)笹の滝 を訪れます。
Yさん、幼い頃は女だてらに、近所の男の子をあつめて野山を駆けまわっていたワルガキだったとか。
大きな岩がごろごろと転がる中を、あれよあれよと、のぼりつめ、
・・・滝の淵のそばまできましたよ。
Yさん、日々のことに忙殺され、心を小さくしてしまい、自身を見失っていたと。
このツアーで少し、自分自身を思い起こせたと語ってくださいました。
・・・
八咫烏伝説 のときにも書きました。
ヤタガラスは、神の降臨に先駆けて、遣い、または予兆として現れるとされるミサキの一種です。
鹿、キジ、野ウサギと、Yさんにこれから何かイイコトが起こる予兆としてあらわれたミサキだったのかもしれませんね。
ずっと、彼女の話しを聞いていました。
その困難、逆に転じれば、ものすごいパワーとなると。
今は、流れが悪いだけなんだろうなと。
これを機にイイコトあるといいですね。
ましては、玉置神社はヤタガラスと縁が深い神社です。
さて・・・
前回の記事「こわれてしまいました 」で、
玉置神社の玉石社を撮影したときに、カメラが壊れたお話をしましたね。
このとき、こんな写真も撮れました。
スピリチュアルなことに無縁の私。
ただ一枚だけ、こういう現象がおこりましたね。
手ぶれ、光の具合、なんとでも理由はつけれます。
(むしろ、私はこちらの意見かな。)
ただ、このタイミングにおいて、こういう事象がおこったことを、
どうとらえ、意味づけるかは、
見る人の判断にお任せしますね。
これをキセキとし、生きる糧とすることも。
関連記事>神武東征 玉置神社の由来






