人と自然の融合を奈良の田舎に見る。 ・・・奈良市都祁地区を訪れて【雑記帳】
都祁(つげ)は、奈良県の北東部の山間部にあります。
2005年に、月ヶ瀬村とともに奈良市へ編入されました。
今では都祁地区と呼ばれるようになりました。
しかし、都祁にはいにしえの大和朝廷とは異なる流れの文化・文明が栄えていたと、まことしやかにささやかれています。
例えば都祁 (つげ)の語源は古代朝鮮語のトキノから由来しているそうです。
また遺物の中に関東、東海地方から、はるか海の向こうの大陸・中国は前漢のものが含まれていました。
そこから推察するに・・・
日本全国を平定した大和朝廷以前に、巨大な力をもった存在したのではないかと言われている。
そんな都祁には不思議がいっぱい。
と、ここまでは、前回、奈良逍遙さん と出会ったときの記事に掲載しました。
(都祁(つげ)には不思議がいっぱい。 奈良逍遙さんと出会い。 【雑記帳】奈良市都祁地区 )
そして今回訪れたのは、奈良市都祁地区は「都祁水分神社」でした。
本件については別途、報告します。
その後に国津神社、八柱神社を探して、奇しくも名阪国道を挟み、縦断することになりました。
さて・・・
車で名阪国道を天理市から三重・名古屋方面に走り、途中、五ヶ谷インターを降ります。
夕暮近く。
山あいのため日が遮られ、やや暗い。
道路はしっかりと整備されているので、走るには支障はありませんでした。
住居が密集するあたりに差し掛かると、車一台が通るのにやっとの道幅になります。
そしてようやく都祁水分神社にさしかかります。周囲は田圃です。
こちらは少し収穫時期が早いのか、既に稲は刈り取られた後でした。
落ち穂を焼いた後の焦げが転々とシミのようについています。
そんな風景を目の当たりにして、私は、
おっ・・・
ふっと驚嘆し、肌が泡立ちます。
あたりさわりのない表現をすれば、
・・・のどかな風景。
少し凝った表現をすれば、
郷愁と感動を呼び起こす風景。
と、加えて意外性。
なんとものびやかな、開放的な情景がそこにありました。
傾いてゆく太陽。夕暮です。
景色は茜色に染まります。
田畑が広がる間の道は、遠く彼の山へとのびてゆく。
映画「少年時代」の原作となった小説「長い道」を彷彿とさせます。
そして都祁水分神社へ続く道。
左右に田圃が広がり、そのまっすぐの道の先に、鎮守の森があります。
その茂みの中に、都祁水分神社はおわせられます。
これみよがしさはなく、川面の流れをみるかのような光景です。
都祁水分神社を後にし、国津神社を探しつつ、八柱神社方面へ移動します。
結果、国津神社はみけることはできませんでした。
名阪国道を超え、上昇すると木立ちの道を抜け、人家が密集する地帯に入り込みます。
ここで、後悔の念がこみ上げます。
道は狭く斜面を蛇行するようになっておりました。
立派な屋敷のミニチュアのような和風の民家が道の両端に、高く低く並びます。
山の斜面に溶け込むように人家が建てられているのです。
そして合間を畑が占めており、森と森の間の池のように田圃がひろがっています。
まさにここに住む人々が長い年月をかけて自然との生活を融合させた作りであることがうかがえました。
近辺をうろうろしながら八柱神社も結局はたどり着くことができずじまいでした。
なによりも都祁地区をリポートするにあたり、
茫漠としすぎていた自分に気が付き、深い後悔におそわれました。
あえていうなら”無計画”。
これは、無理だな・・・
いくつかのスポットを押さえてはいました。
この都祁地区のつかみどころのなさは、ふらっと訪れただけでは理解はできないでしょう。
そして車では、ここを探索するには機動性を発揮することはできないですね。
無計画さを否めず、次回にかけることにしました。
本当のこの都祁地区を理解するには、数日の滞在を要するのではないだろうか。
しかし強いて、ここからテーマを絞りだすのは、いささか野暮なような気もしました。
ここの伸びやかさ、あえていうのなら”閉塞感”のなさは、なんでしょうかね。
名阪国道が近くにのびており、車さえあれば、
ひょいと奈良市内、大阪、はたまた三重、名古屋へと抜け出すことができるという余裕でしょうか。
それとも昔から培われたこの地区の風土でしょうか。
奈良逍遙さん
のブログ
都祁に関するホームページ
「都祁野にて」URL:http://www.biwa.ne.jp/~sjnsha/11202tsugeno.html
「都祁商工会」URL:http://www5.ocn.ne.jp/~tsuge/index.html
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2005年に、月ヶ瀬村とともに奈良市へ編入されました。
今では都祁地区と呼ばれるようになりました。
しかし、都祁にはいにしえの大和朝廷とは異なる流れの文化・文明が栄えていたと、まことしやかにささやかれています。
例えば都祁 (つげ)の語源は古代朝鮮語のトキノから由来しているそうです。
また遺物の中に関東、東海地方から、はるか海の向こうの大陸・中国は前漢のものが含まれていました。
そこから推察するに・・・
日本全国を平定した大和朝廷以前に、巨大な力をもった存在したのではないかと言われている。
そんな都祁には不思議がいっぱい。
と、ここまでは、前回、奈良逍遙さん と出会ったときの記事に掲載しました。
(都祁(つげ)には不思議がいっぱい。 奈良逍遙さんと出会い。 【雑記帳】奈良市都祁地区 )
そして今回訪れたのは、奈良市都祁地区は「都祁水分神社」でした。
本件については別途、報告します。
その後に国津神社、八柱神社を探して、奇しくも名阪国道を挟み、縦断することになりました。
さて・・・
車で名阪国道を天理市から三重・名古屋方面に走り、途中、五ヶ谷インターを降ります。
夕暮近く。
山あいのため日が遮られ、やや暗い。
道路はしっかりと整備されているので、走るには支障はありませんでした。
住居が密集するあたりに差し掛かると、車一台が通るのにやっとの道幅になります。
そしてようやく都祁水分神社にさしかかります。周囲は田圃です。
こちらは少し収穫時期が早いのか、既に稲は刈り取られた後でした。
落ち穂を焼いた後の焦げが転々とシミのようについています。
そんな風景を目の当たりにして、私は、
おっ・・・
ふっと驚嘆し、肌が泡立ちます。
あたりさわりのない表現をすれば、
・・・のどかな風景。
少し凝った表現をすれば、
郷愁と感動を呼び起こす風景。
と、加えて意外性。
なんとものびやかな、開放的な情景がそこにありました。
傾いてゆく太陽。夕暮です。
景色は茜色に染まります。
田畑が広がる間の道は、遠く彼の山へとのびてゆく。
映画「少年時代」の原作となった小説「長い道」を彷彿とさせます。
そして都祁水分神社へ続く道。
左右に田圃が広がり、そのまっすぐの道の先に、鎮守の森があります。
その茂みの中に、都祁水分神社はおわせられます。
これみよがしさはなく、川面の流れをみるかのような光景です。
都祁水分神社を後にし、国津神社を探しつつ、八柱神社方面へ移動します。
結果、国津神社はみけることはできませんでした。
名阪国道を超え、上昇すると木立ちの道を抜け、人家が密集する地帯に入り込みます。
ここで、後悔の念がこみ上げます。
道は狭く斜面を蛇行するようになっておりました。
立派な屋敷のミニチュアのような和風の民家が道の両端に、高く低く並びます。
山の斜面に溶け込むように人家が建てられているのです。
そして合間を畑が占めており、森と森の間の池のように田圃がひろがっています。
まさにここに住む人々が長い年月をかけて自然との生活を融合させた作りであることがうかがえました。
近辺をうろうろしながら八柱神社も結局はたどり着くことができずじまいでした。
なによりも都祁地区をリポートするにあたり、
茫漠としすぎていた自分に気が付き、深い後悔におそわれました。
あえていうなら”無計画”。
これは、無理だな・・・
いくつかのスポットを押さえてはいました。
この都祁地区のつかみどころのなさは、ふらっと訪れただけでは理解はできないでしょう。
そして車では、ここを探索するには機動性を発揮することはできないですね。
無計画さを否めず、次回にかけることにしました。
本当のこの都祁地区を理解するには、数日の滞在を要するのではないだろうか。
しかし強いて、ここからテーマを絞りだすのは、いささか野暮なような気もしました。
ここの伸びやかさ、あえていうのなら”閉塞感”のなさは、なんでしょうかね。
名阪国道が近くにのびており、車さえあれば、
ひょいと奈良市内、大阪、はたまた三重、名古屋へと抜け出すことができるという余裕でしょうか。
それとも昔から培われたこの地区の風土でしょうか。
奈良逍遙さん
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都祁に関するホームページ「都祁野にて」URL:http://www.biwa.ne.jp/~sjnsha/11202tsugeno.html
「都祁商工会」URL:http://www5.ocn.ne.jp/~tsuge/index.html
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